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”だから、君は何をやってもダメなんだ”
”こんな事をやってる間は成功しない”
”デキる人はやっている”
日本では頻繁に使われる成功哲学だが、”原因が解れば結果も見えてくる”という古典的な決め付けや幼稚な因果的決定論が今も日本列島を支配してるように思える。
しかし、原因だけで結果が見通せれば、科学者はいらない。
判りやすい例としては、地球温暖化がある。
つまり、”CO2濃度が上昇すれば温暖化に影響する”という脱炭素の議論は、今では常識?となった”原因が結果を支配する”という因果的決定論と言えなくもない。
だが、CO2が減少すれば地球温暖化が防げると言い切れるのか?つまり、原因が解れば未来が見えると言い切れるのか?
昨年、日本人として28人目となるノーベル賞(物理学賞は12人目)の受賞者となった真鍋淑郎さんは、CO2濃度の増加が気温の上昇を招く物理モデルを世界で初めて再現した。
つまり、地球温暖化の危機をモデリングする事で大きな仕事をした筈だった。が、本当にそうと言い切れるのか?
確かに、CO2は地球温暖化の原因の1つかもしれない。しかしそれ以外にも、もっと重要で大きな原因があったとしたら?
つまり、CO2削減は地球温暖化を防ぐ十分条件に過ぎなかったとしたら?
温暖化騒動に浮かれるのもいいが、単に物理学上でモデリングされた1つの自然現象と捉えた方がいいのではないかと思わないでもない。
ラプラスの悪夢
”ラプラスの悪魔”とは、フランスの数学者ピエール・シモン・ラプラス(1749-1827)が提唱した1つの仮説である。
仮に、この1匹の悪魔がいるとして、全ての物質の動きや力学的状態を完全に把握し、解析できる能力を持ってるとすれば、(この悪魔は)”未来に何が起こるかを正確に予想できるだろう”というものである。
近代科学の発達により、様々な自然現象がニュートン力学(古典物理学)で説明できるようになった。
この様に、多くの自然現象が物理の法則で解き明かされると、”原因によって結果は一義的に導かれる”という因果律や、”全ての出来事はそれ以前の出来事のみによって決定される”といった決定論の考えを抱く研究者が現れるようになった。
勿論、ラプラスもその一人である。
彼の持つ世界観は、”あらゆる事象が原因と結果(の因果律)で結ばれるなら、現時点の出来事(原因)に基づいて未来(結果)も確定できる”という「因果的決定論」である。
厳密に言えば、”世界に存在する全物質の位置と運動量を知る事ができる知性が存在すると仮定すれば、その知性の存在は(古典物理学を用いれば)これら原子の時間発展を計算できるだろうから、その先の世界を完全に知る事ができるだろう”と考えた。
ラプラス自身は”知性”と呼んだが、後にエミール・デュ・ボア=レーモンが”ラプラスの霊(悪魔)と呼んだ。
しかしラプラスの死後、20世紀に入って量子論が台頭すると、古典物理学では説明できない矛盾した現象(光や電子の挙動など)が知られる様になる。
更に、(量子力学の基礎的原理とされる)「不確定性原理」により、”原子の位置と運動量の両方を同時に知る事は原理的に不可能である”事が明らかになり、”ラプラスの悪魔”は完全に否定された(Wikiより)。
「ラプラスの魔女」
つまり、”全知全能の神”がいたとしても、未来を予測するのは不可能なのであり、(故に)未来を予測できるとすれば、それは悪魔でない限り無理だという事になる。
事実、原因で結果が分かれば、フェルマー予想は僅か数年で解けたかもしれないし、競馬や株の予想なんかも百発百中であろう。
結局、数学が未来を予測できない様に、全知全能の神も明日すら予測できない。
冒頭で述べた地球温暖化も今に始まった研究で、解らない事は沢山ある(多分)。
つまり、一部の物理モデルで再現できたからとて、それが全てだとは限らない。
ただ言えるのは、”脱炭素は温暖化を阻止できるかもしれないし、そうでもないかもしれない”という事である。
「ラプラスの魔女」(2018)という映画を見て、未来を予測する筈の”ラプラスの悪魔”があまりにも幼稚に思えた。事実、(先を予見するどころか)明らかに矛盾した悪魔でもあった。
殺人というのは未来を予測しようがしまいが、日常的に起きる不可思議な現実でもあり、原因(事件)と結果(犯人)に直接の因果関係があるとまでは言い切れない。
明らかに、映画上での殺害の動機は曖昧であり、登場人物の結びつきもいい加減である。
東野圭吾原作の映画はいつもこんなバラバラな調子で、話題だけは賑わうも、脚本も展開も軽薄なままだ。
三池崇史監督の問題かもだが、登場人物のキャラに特徴がなく、ストーリーも含め作り込みが弱すぎた。
これじゃ、ラプラスの魔女でも奇怪な事件でもなく、ごく普通の何のドラマもサプライズすらもない殺人である。
同じ事が地球温暖化にも言えやしないだろうか。
つまり、温暖化はごく普通に起こり得る当たり前の自然現象だったとしたら?
鍋(地球)に火(CO2)をかければ熱くなるという超単純な現象だとしたら?
脱炭素というラプラスの悪魔が存在するとしたら、我々は地球温暖化に対し、どう向き合っていくべきなのだろうか?
勿論、原因が結果に繋がるケースも多々あるんですが、それだけではないと言う事でしょうね。
コメントありがとうです。
「ラプラスの悪魔」という壮大なモチーフを扱いながら、物語は犯人の動機を含めて、手垢のついたものばかりでチープでしたね。
映画でも扱っていましたが、気象に関しては物理的な数式化→予測はできそうですね。
現在の気象予報もかなり精度が高いですし。
一方、人間社会(社会科学)の予想は……。
映画では、人間社会がどこへ向かうかの未来予測ができるみたいなことを言っていましたが、果たして?
ラプラスを知らずして
ラプラスの悪魔を描こうとした”誤作”と言えなくもないですよね。
東野圭吾はガリレオも扱ってますが、ガリレオの何を描こうとしたのか?少し疑問に思う所もあります。
言われる通り、タイトルや話題だけは壮大ですが、せめて未来を予測するのがいかに大変かを描いてほしかったですね。
コメントありがとうございます。