安倍首相の大金バラマキぶりは、祖父譲りだった?安倍の母型の祖父である岸信介も、大金を湯水の如く、公費で使い捲っていた。
靖国問題のブログを書いてた時、「昭和の妖怪 岸信介」(岩見隆夫著 中公文庫)という本に興味を惹かれた。
その時は、岸信介と言っても元A級犯罪者で”超怪しい”安倍首相の祖父くらいのイメージしかなかった。
2012年刊行ですが、あまりにも斬新な内容で正直ビックリです。
アヘン取引と岸信介
しかし、何とこのおじちゃん”凄〜く悪い人”だったんです。そこで、日本歴史上最大の戦争犯罪人?岸信介を2回に渡り紹介します。
今日は、”アヘン取引で戦争を遂行”した岸信介の視点で眺めてみます。
かつて、第二次大戦でA級戦犯の容疑をかけられた人物の孫が内閣総理大臣を務め、そいつは再び日本を“戦争のできる国”にしようとしてる。
安倍首相の母方の祖父は、”昭和の妖怪”と呼ばれた岸信介元首相だ。因みに、佐藤栄作は岸の実の弟でもある。これは誰も知ってる事実で別に驚く事でもない。
しかし安倍が、集団的自衛権行使と改憲に向かってひた走るのも、かつては激しい反対の中、”日米安保”を断行した敬愛する”おじいちゃん”を見習い、岸信介がやり残した仕事を成し遂げようとしてる事は明らかだ。
以下、”安倍首相の祖父•A級戦犯•岸信介の正体”から抜粋です。少し堅いので主観を交えての紹介です。
岸信介の真実、バラマキのDNAと
岸信介は、戦時中、東条英機首相率いる内閣の閣僚として、戦争遂行の一翼を担い、一時は”A級戦犯”容疑者として拘留されてた実質上の”戦争犯罪者”でもある。
この岸信介とは一体どんな人物だったのか?戦時中に何をしたのか?終戦から70年、ここに全てが明らかになる。
地元の高等小学校、名門岡山中学から山口中学といずれも首席だった。東京帝国大学入学後も”民法学の秀才”として鳴らす。
卒業後は、商工省の革新官僚として統制経済(社会主義的政策)の旗手となる。
若き秀才の岸は、1936年に満州官僚へ転出し、若手官僚として一気に頭角を現わす。
満州国という実験国家を”自らの作品”と呼び、実質的な最高首脳の一人として、ソ連の計画経済を模した統制経済(5カ年計画)を強力に推進する。同時に、岸が戦争に手を染めるきっかけにもなった。
僅か3年の在任だったが、岸は満州で”3つの財産”を手に入れた。
それは、統制経済による国家経営のノウハウと東条英機を筆頭とする関東軍人脈に、湯水のごとく使える金脈だ。
後に東条英機を宰相にまで持ち上げたのは、岸のこの資金力があったからだと言われている。お陰で、岸と東条は満州時代に公私に絆を深めていく。
実は、この岸には表向きには大きな2つのスポンサーがいた。
1人は、日本産業(日産)財閥の総帥で、岸の遠縁に当たる鮎川義介。お陰で岸は、日産を満州に誘致し、南満州鉄道(満鉄)に対抗する満州重工業開発(満業)を設立させた。
もう1人は、当時の満鉄総裁で、岸の母方の叔父に当たる松岡洋右(後の外相)だ。
”巨額のカネを動かし、人脈と権力を培養し、人脈と権力を動かしてカネを集める”という手法は、まぎれもなく岸そのものだった。
つまり、何かの名目をつけ、大金を自由に使う術を既に知り尽くしていた。その孫の安倍が湯水の様に大金をバラまくのも悪しきDNAの弊害なんですね。
しかし、岸の豊富な資金源はそれだけではなかった。
アヘンマネーと日中戦争
潤沢な資金の源は何だったのか?そこで多くの研究者が指摘するのが、アヘン取引による利益だ。
当時の満州国は表向きはアヘン吸飲を禁じてたが、実質は野放しだった。しかし、一方で売買が禁止されてた為、価格は吊り上げ放題で、巨額の利益が上がる仕組みになってたのだ。流石、東大出のエリートは悪のレベルが違いますね。
満州を抑える関東軍はアヘン収入に目をつけ、満州国に隣接する熱河省へ侵略した。熱河にはアヘンの原料となるケシ畑が広がっていた。
つまり、”満州の背後を固める”とは単なる口実で、実質上アヘンを求めての進軍だった。消費地も満州国内だけでなく、北京、上海、広東、厦門へと拡大していく。
つまり、日中戦争は岸が美味しい思いをした”アヘン”を求めて遂行されたという訳です。
こうして得た莫大な”アヘンマネー”を、岸ら首脳陣は、国家経営や戦争遂行、謀略工作に回す一方で、一部を私的に着服していく。
このアヘン利権を巡り、岸や東条を始めとする満州人脈が複雑に絡み合い、時には利益分配で揉め事も起きた。そして、岸はそこから数千万円(今の数百億)、いや億単位(数千億)のカネを手にしてたのだ。
この満州国の”アヘン政策”は、日本軍の戦争遂行資金に深く関わっていた。それ以上に、陸軍が中国大陸を深く侵し続けた理由の1つに、”アヘン利権拡大”の側面があったのだ。
こうしたアヘンによる”侵略”のシステムを動かしていたのが、岸ら満州官僚であり、ここから吸い上げられたアヘンマネーこそが、”対米主戦派”の東条英機を首相に就任させる原動力になっていたのだ。
しかし、それだけではない。”満州は日本の生命線”とは、岸の叔父の松岡洋右が初めて唱えたスローガンだが。実際にこの言葉を用い、日本を戦争へと導いたのが何を隠そう岸信介だったのだ。つまり、岸こそが”実質の戦争主導者”なのである。
太平洋戦争と岸信介の野望と
満州着任後、岸は産業開発5カ年計画の実行を進め、日産の誘致にも成功し、裏ではアヘン政策を拡大させた。
それでも、まだ満州国の経営資金は足りなかった。そこで打ち出したのが、日本が戦時体制にある事を最大限に利用する事だった。
岸は日中戦争が始まるや、”戦略•兵站基地満州”を前面に押し出す事で、5カ年計画への資本導入を日本政府に強力に働きかけた。
つまり岸にとっては、持論の”国家統制経済遂行”の大きなチャンスだったのだ。
日中戦争に続く太平洋戦争への道は、国家主義者の岸信介にとって、それほど不都合な状況でもなかった。それどころか、岸にとって日本の戦時体制は、ある意味、自らの野心と才能を時代に投影し、検証する格好の機会となっていく。
だが、岸が信奉した統制経済は、満州国が掲げた”五族共和”とは程遠かった。東京裁判の証言台に立った元満州国皇帝の溥儀が、それを証言してる。
岸は、在満時代に入手したアヘン金脈と人脈をフルに使い、東条内閣をつくり上げた。
帰国後、岸はその東条内閣で商工大臣や軍需次官として、東条とともに対米戦争をも指導していく。
岸が内地で辣腕を振るったのも、統制経済の実行だったのは言うまでもない。
そこで岸がまず最初に考えたのは、”日本の置かれている情勢から国防産業を中核とし、国防国家を考える”という事だった。つまり、「国防国家」実現の為には、”国民生活がある程度不自由になってもやむを得ない”という事だ。
結局、岸は日本を戦争国家に仕上げたかったのだ。
なぜ?岸は戦犯被告から逃れたのか?
こうして日本は、ドロ沼の日中戦争から太平洋戦争へと転げ落ちていく。
そして岸は、その戦争遂行の為、国家の全ての人的•物的資源を国家が統制運用できる国家総動員体制、国家統制による軍需生産増進、大東亜共栄圏の自給自足体制確立など、戦時経済体制推進の先頭に立ち、旗振り役を務めた。
当然、戦争責任を問われても不思議はないこの岸こそが日本歴史上最大の堂々たる超の付くA級戦犯なのは明らかだ。
ところが岸は、満州時代の盟友東条英機、松岡洋右、星野直樹、鮎川義介らと共にA級戦犯容疑で逮捕されるが、不起訴処分により釈放される。
なぜ?岸は戦犯被告から逃れる事ができたのか?それは今、安倍首相が安保法制を強行しようとしてる事と、根元の所で繋がってるのだ。
今日はここまでです。何だか”昭和の妖怪”同様に怖い展開になってきましたが。後半は、岸信介がアメリカとの裏取引を使い、戦犯から逃れる過程とその野望を紹介します。
エリートも人間の質ってのが要求されますね。
岸信介のA級戦犯問題は禁句なのか
モリカケも冷え込んじゃったし
コメントどうもです。
仕掛け人だったわけだ
お勉強が出来て
そのうえ悪知恵が働く
岸信介は別の意味で偉大なのか
それとも
昭和の妖怪で片付けられる代物かってことか
そうすれば日本歴史上の最大の英雄になれたかも。