”<まずいな>と思った時に引き返せない心理的ハードルと、何とかなるだろうという根拠のない楽観。この2つはまさに迷子になった心境そのものだった・・・
<あれ?まずいかな?>と思った時にしなければならないのは、<来た道を戻る事>だったのに、なぜか先に進んでますます迷ってしまった”
これは、直前で総裁選立候補をドタキャンした菅首相の言葉ではない。「ドキュメント〜道迷い遭難」(羽根田治著)のレビューにある一文だ。
今回の菅首相の突然の辞退劇は、まさにこの”道迷い遭難”そのものである。
仮病を使って政権を放棄した安倍元首相に代わり、東京五輪開催とコロナ撲滅という2つの責任重大なバトンを受け継いだ菅首相にも、確かにチャンスはあった。
五輪コロナ対策として、東京都に2度の緊急事態を立て続けに宣言したが、コロナ渦は思ったほど収束しない。いやそんな緊急対策をあざ笑うかの様に、オリンピックへ向けて歩を合わせるかの様に、コロナ感染は広がっていく。
まさにこの時が、”これはまずいな?来た道を戻るべきだ”と思うべき時だった。
しかし、菅首相は誤ったカードを切ってしまう。”安全・安心”をスローガンに、IOCと政府と組織委と国民とが一体となって、”前へ進む”決断を下した。
当然の如く、五輪開催をきっかけに変異株は感染爆発を引き起こす。事前にNYのメディアが警鐘を鳴らしてた様に、昨年の”コロナ優等国”は一気に”感染大国”へと成り下がった。
夢と勇気と希望を持って、前へ進んだ筈なのに、”ますます迷って”しまう。頭の中には引き下がるという選択肢は全くなかった。
お陰で、夢は悪夢となり、希望は無謀となり、勇気は失意へと変わる。
”迷ったら、足を止め、助けを呼ぶ”べきだった。しかし、耄碌した老人は助けすら呼べなかった。それどころかそのまま歩き続け、医療崩壊の真っ只中にも拘らず、パラリンピックをも開催してしまう。
結局、引き返す体力も消耗し、孤立し、誰も助けに来ない。総裁選挙の立候補はカラ手形となり、身内の誰からも無視された。
遭難した老人の行く末は、誰が見ても火を見るより明らかである。
だったら、誰かさんみたいに五輪開催前に仮病を使い、政権を放棄した方がずっとマシだったかもしれない。
”老兵は死なずただ消えゆくのみ”
遭難死というより孤独死に近かった。
事実、「悲しい首相の最後」でも同じ様な事が書かれている。
ほぼ何も説明もせず、何ら具体策を打ち出す事もなく、首相の座を放り出した菅首相だが。
下村政調会長に対し、”立候補するなら辞任しろ”と迫り、岸田前政調会長が出馬を正式表明した途端、力技(37億円をも使い)で二階幹事長の交代方針を打ち出す。
その上、総裁選前に党役員人事を行い、解散総選挙に打って出る”禁じ手”まで模索した。
しかし、この解散総選挙の腹案がマスコミに漏れ、自民党内部から想像以上の反発が上がる。
つまり、”今解散したら自民党は潰れる”(小泉進次郎)と危惧したのは明白で、安倍前首相や麻生財務相らの反発が予想以上に凄まじかったのだろう。
菅首相は”勝負師”や”ケンカ師”なども呼ばれ、負け戦でも賭けに出る性格とされる。
五輪開催について”俺は賭け(勝負)に出たんだ”と発言したとの報道もある。しかし、選挙を戦う自民党員にとって、菅が”選挙の顔にはならない”のは明らかだった。
菅の”賭け”は、最初から常軌を逸していた。
つまり権力維持に固執し、解散の可能性を探る菅の賭けには、明らかに無理がある。
最後には外堀が埋められ、解散権が封じられ、頼みの党役員人事も受け手が見つからない。
このまま解散総選挙に突っ走り、政権交代が起きれば、政治家生命が絶たれる。故に、”身を引いた”との噂もある。
菅首相は権力を維持する為に人事を操り、頂点まで上り詰めた。でも、その権力が無力化した今、権力に酔い続けた老人は、最後は権力に負けた。つまり、”老兵は死なず、ただ消えゆくのみ”なのだろう。
国家の未来像には全く触れず、無策?に近いコロナ対策で市民の命を犠牲にし、五輪の利権に血眼になる、哀れな老人の姿だった。
今は、臨時国会を開き、コロナ対策の議論をすべきで、外交的には(失敗した)アフガン救出の体制を立て直す必要がある。
しかし、選挙で不利になるからと国会を開く気配さえない。アフガンに関しても興味を示さず、五輪開催と同じで”人命軽視の政治”が繰り広げられた。
結局、頭の中には選挙の事しかない菅総理は国民からも党内からも孤立した。戦争しか頭にない老兵が消えゆくのと同じである。
以上、AERAdotから抜粋&編集でした。
裸の王様
”おまえと一緒に、沈められる訳にはいかねえだろ”
この麻生太郎の一言が、菅首相が総裁立候補を辞めた本当の理由だろう。
この後に、”お前なんか所詮は敗戦処理なんだから、黙って俺たちの尻拭いをしてればよかったんだ。解散や人事とか余計な事しやがって、最初からそんな器じゃねぇーだろ”と続くのだろうか。
平成エンタメさんの記事によると、菅は人気の河野太郎や若い小泉進次郎を党や政府の要職に据え、イメージを刷新し、解散に臨むつもりだったらしい。
しかし、麻生に潰され、頼みの二階には”小泉は早すぎる”とハネられ、これが自民党内に漏れて大反発。
人事という武器で政治をして来た菅がそれを失えば、ただの無力な爺さんだが、その人事権と解散権を封じられ、打つ手がなくなった挙げ句の退任だったという。
コロナ対策では”後手”批判を浴び続け、東京五輪の政権浮揚効果も不発。8月の地元の横浜市長選でも支持候補が”大敗”する。
更に追い打ちを掛けたのが、総裁選で対抗馬になる岸田前政調会長だ。”二階切り”を含む人事改革案は党内の中堅・若手から歓迎する声が上がり、流れは岸田氏に傾き始めていた。
以下、「“2A”から首相に三下り半」から一部抜粋です。
8月31日、追い詰められた菅首相は総裁選の先送りを模索し、そこで浮上したのが総裁選前に衆院解散し、与党勝利をもって党総裁選を乗り切る”9月中旬解散説”である。
つまり、解散という大博打を先に打ち、与党勝利の勢いで総裁の座を狙うという、これまた”負け戦”を打って出た。
愚挙であったのは明らかだった。
事実、菅は二階に相談し、”首相の判断に委ねる”と返答したが、”解散”を二階が漏らしたのは容易に想像できる。
31日夜にこの話は漏れ伝わり、党内から”道連れ解散だ”とか”無理心中するつもりか”との批判が一気に広がった。
麻生から”9月解散説”を知らされた安倍は、菅に”総裁選はしっかりやるべきだ”と忠告。小泉も”総裁選を先送りしたら首相も党も終わる”と進言。
翌1日朝、首相は官邸で”解散できる状況ではない”と表明し、解散を封じられた上に党内の信頼も失った。
岸田の”二階切り”への対抗策として打ち出した人事刷新案も、この解散騒動で行き詰まる。
首相は安倍・麻生と折り合いが悪い二階を幹事長から外す事で歓心を買い、更に知名度の高い河野太郎や若い小泉らを要職に就ける事で刷新感を演出する筈だった。
党内の大きな反発がなくても、総裁選で菅が敗れるのを想定すれば、菅の人事案はリスクが高過ぎて、誰も引き受け手はいない。
それでも、菅首相が辞意表明する3日朝まで総裁選戦略や人事案などについて思案してたという。
側近たちはTVで首相の辞意を知り、こう嘆いた。
”人事権も解散権も封じ込まれた総理総裁なんて見た事がない。最後は裸の王様だったよ”
以上、西日本新聞からでした。
最後に
この哀れな老人は、最後の最後まで危機意識というものが欠損していた。
禁じ手が負け戦が悪いとか言うつもりはない。せめて、”勝負師”や”ケンカ師”なら、権力に酔う事なく、頭を使えと言いたい。
学がなくてもバカでも老いぼれでも、考える事は出来る。危機意識も何もなく博打をうち続ければ、どんな天才も負け続ける。
仮病を使い、政権を丸投げした安倍に対抗する気持ちも理解できる。しかし、菅は政権を担う器ではない。そもそも策士や参謀の器でもない。
最初からこの老人は、道に迷い続ける裸の王様だったのだろうか。
”この道はいつか来た道〜”と、自分を慰めながら、たった独りでそれも耄碌した幻影の中で総裁選を闘ってたつもりになってたのだろうか。
しかし、孤独な老人の耄碌に付き合ってられるほど、国民も自民党員もバカじゃない。
国民の命は、安倍や菅が思うほどに軽くはなかった。一方で、権力も彼らが思うほどに重くはなかった。
そして、1匹の老いた害虫が表舞台から去った今、自民党の総裁選挙が始まる。東京オリパラが盛り上がらなかった分、国民の注目を少しは集めつつある?みたいだ。
アメリカ大統領と同じで、総裁や総理の代りはナンボでも利くが、国民の信用は一度でも失うと、その代りは利かない。
結局、菅首相の言葉は国民の逆鱗に触れる事はあっても、琴線に触れる事はなかった。
ただただ、新しい総裁が無能な害虫でない事を望むばかりである。
二階は菅の最後の砦でしたから、その二階にやんわりと裏切られたのも誤算でしたか。
ただ、安倍も力ないですね。派閥で言えば、麻生と二階の一騎打ちの様な気もします。
総裁選は河野と岸田の一騎打ちな気もしますが、オリパラよりもずっと盛り上がりますかね。