著書の解説に”かつて、普通のよき日本人が<もう戦争しかない>と思った。世界最高の頭脳たちが<やむなし>と決断した”とあるが、普通の良き日本人が戦争を選択したのは正解だが、世界最高の頭脳たちが<やむなし>と決断したとは、正解とは言えない気もする。
つまり、”軍人の中では最高の頭脳を持った指導者らが・・・”と言いかえるべきであろうか。それに、軍人の中で”最高の頭脳”と言ってもたかが知れてはいる。
例えば、スターリンは勤勉だったとされるが、聖書が読破できるレベルに過ぎず、トルーマンとチャーチルはほぼ無学に近い。ヒトラーも政治家としては評価できるが、所詮は暴君に過ぎないし、絵を何とか描ける次元であるし、東条英機に至っては無能と言っていい。
一方で、戦時に限って言えば、有能な指導者は暴君や狂人や強硬派に潰され、ごく普通の国民もまた彼らに味方する。戦争とはそうした矛盾の積み重ねで起きるものだとも言える。
これは、私がこの本を読まずに直感で得た、最初の違和感である。そして、この(喉の奥に突き刺さる魚の小骨の様な)微妙な違和感は、少なくとも間違ってはいなかった様に思う。
結局は、バカが戦争を引き起こす!?
日清・日露戦争、第1次世界大戦と、運良くかつ棚ぼた式に3つの大きな戦争に勝利し、更には、満州事変やノモンハン事変を経て、日中戦争に飛び火し、やがて無謀とも思える太平洋戦争へと挑んだ旧日本帝国軍。
だが、なぜ日本は”戦争”という選択肢を選んだのか?
確かに、当時の英仏ポーランドの国力に対して日独伊の国力は勝り、”早期の決着を目論む”という大甘な計画で戦争に突入した。だが、東条英機が掲げる米露英を相手にした”3正面作戦”を考えると、”早期決着”の論理は全く通用しないし、戦争自体が無謀無策と言わざるを得ない。
勿論、歴史教科書としてみれば緻密で詳細すぎる部分もあるが、一方で、歴史専門書としてみれば、”タイトルに異和感があり、表題と内容が必ずしも一致しない”との指摘もある。
勿論、一般の歴史書としてみれば、普段は知る事のできない詳細な史実が、裏付け史料を明示し、分かりやすく解説されてはいる。故に、中高生が読むべき教科書として見れば、5点満点を挙げられそうだが、この手の詳細な歴史専門書は探せばだが、幾らでも存在する。
一方で、戦争をする脳、戦時の大衆心理、失敗の本質、メディアのあり方など、戦争を捉える視座は幾らでも存在する。
それに、資源の乏しい島国の日本が敵国内の混乱に乗じ、清国とロシアという2大国に勝利し、色気づいて甘い考えの下に帝国主義に走るのも容易に想像できる。
更に、何ら具体的な展望も大した計画もなく、ただ単に領土拡大を目指し、太平洋戦争ではアメリカと衝突した。勿論、アジアの安全保障との大義が存在しなくもないが、所詮は結果論に過ぎない。故に、どんな悲惨な結果になるのかも容易に想像できる。
つまり、こうした幼弱な帝国主義にどっぷりと浸かった旧日本軍が引き起こした一連の戦争は、軍隊の中の一部の指導者らが後先なにも考えずに引き起こした”究極の選択”だったとも言える。
更に、一連の戦争は(基本的に)全てが日本から仕掛けたものであり、日本人を1番殺したのは、アメリカでもロシアでもなく、本質的で言えばだが、戦争を選択した(日本人を含む)日本軍となる。更に言えば、自国の兵士の命さえ大切にしない日本軍が敵国の捕虜を含め、命というものを大事にする筈もない。
つまり、”命を大切にしない”国は戦争を選択してはアカンのだ。
但し、著者の加藤陽子氏が論ずる”日本の領土拡大が安全保障上の観点からは一貫した政策だった”とか”大国アメリカと戦争を始めたのは開戦当初の連合国と枢軸国との国力は拮抗しており”とは、疑問が残る。確かに、英仏と日独伊では枢軸国が有利かもだが、アメリカが参戦するとなると戦力は大幅に逆転する。
悲しいかな、一連の戦争を振り返る度に、我ら日本人は自虐的かつ自壊的になるのだが、日本みたいな島国は大風呂敷を広げるではなく、常に控えめに振る舞う方が身の為いや国民の為だと思うのだが・・・
結論として、当時の日本人は”もう戦争しかない”と追い詰められてただろうし、旧日本帝国軍の指導者らは当時の世論や勢いに任せ、”戦争もやむなし”という方向に傾倒した。勿論、断固反対する有能な将校らもいた筈だ。
だが、どんな優秀な頭脳を持ってしても、バカや狂人に囲まれたら、簡単に潰される。パニック時の集団心理とはそういうもので、戦時なら尚更の事だろう。
でも悲しいかな、そのバカが勢いに任せ、議会を独占し、戦争を選択した。東条英機なんかその典型かもだが、戦争というものは、そんな次元の愚かで悲しいものかもしれない。
優秀な頭脳がなぜ?戦争を選択する
”そんなに戦争がお好きなら、どうぞ好き勝手におやりなさい”と語り、内閣を退陣し、A級戦犯指定を受け、服毒自殺を計った近衛文麿の言葉が印象的でもある。
そんな近衛だが、園遊会ではヒトラーの仮装をしたとのエピソードを持つ変人だが、五摂家筆頭という名家の出で東京と京都の2つの帝大で学んだ。180cmを超す貴公子然とした風貌で、英米協調外交に反対し、国民に高い支持を得て、その人気を背景に、日中戦争(日華事変)や太平洋戦争へと向う混乱の時代に、3度に渡り首相を務めたが、”結局は何も出来んかった”と悔やんだ。が、壊滅した日本を残したのも近衛であった。
特に、大東亜共栄圏構想という大風呂敷を広げ、日独伊3国軍事同盟や日ソ中立条約を締結したが、結局は後の祭りであった。自身も”日中戦争の泥沼化と日米開戦の責任は軍部にあり、天皇も内閣もお飾りに過ぎなかったし、自身も陸軍の独走を阻止できなかった”と釈明したが、受け入れられる筈もない。
勿論、こうした近衞の戦争責任に対する態度は、自身の責任をも全て軍部に転嫁するものであり、当時から今日に至るまで、数多くの歴史学者から厳しく批判されている。
事実、昭和天皇も彼の手記を読んで”近衞は自分にだけ都合の良い事を言ってるね”と呆れ気味に語り、海軍大将の井上には”大佐どまり程の頭も無い男で・・味のしない五目飯の様な政治家だ”と辛らつである。
著者が”世界最高の頭脳たちが・・”と書いたのは、(多分だが)この近衛文麿の事であり、こうした優秀な学歴を持つ首相でさえも”戦時には道を誤る”と言いたかったのだろう。
しかし、近衛が国内の全体主義化と独裁政党の確立を目指したのは明白であり、太平洋戦争の起因となる南下政策という愚策を支持したのも事実で、A級戦犯指定を受けたのも当然ではある。但し、退陣後も戦争の早期終結を唱え続け、戦争末期には独自の終戦工作を展開してた事は評価すべきではある。
ただ個人的に言えばだが、仮に”戦争を選択”するのなら、南下政策ではなく(石原陸軍中将が主張する)”北進”を選択すべきだったし、当時は陸軍も北進と(東条が主張する)南進で真っ2つに分かれてたから、”陸軍の独走を阻止する”にも都合がよかった筈だ。
つまり、近衛は学はあっても知覚が鈍かった。もっと言えば、出が良くて学識はあっても、それだけで”優秀な頭脳”とはならない。
一方で、近衛の失政と失脚を生んだのは、陸軍の暴走に依る所も大きく、参謀本部の東条英機や昭和天皇を始め、山本五十六を含めた海軍幹部ですら、それを止められなかった事実を考慮すると、近衛の言い訳も理解出来なくもない。
故に、優秀な頭脳を持ってしても、”バカが暴走したら止められない”という事だろう。勿論、そういう肝心な事に後になって気付いても、既に遅すぎるのだが・・・
従って、仮に”戦犯の近衛文麿を暗に養護した”事が、著者の加藤陽子氏が学術会から除外処分を受けた理由だとすればだが、それこそが矛盾で不可解な真実である。つまり、加藤氏は戦争を”既知の事柄”にする事で、その歴史を取り巻く史実の詳細を再検討する事の矛盾と危惧を提示しただけであり、明らかに除外は不当である。
事実そう思うのは、私だけではない筈だ。
最後に〜戦争を論理的に描く
戦争はそれ単体だけで存在してる訳ではなく、”戦争を考える”にしても戦争を考える為の決まった筋道がある筈もない。つまり、史実という”膨大なディテール”が存在するだけである。
だが、史実の詳細を追うだけで戦争の何が見えてくるのか?もっと言えば、戦争の先に何が見えるのか?つまり、それが見えない限り、人類は延々と戦争を検証して反省し、そして戦争を繰り返すだろう。
確かに、戦争を語る上で膨大な”史実の詳細を語る”事は大きな説得力を放つ。だが、その膨大なディテールを1つの結論にまとめ上げる事は困難な作業である。
つまり、戦争を語る事の困難さはここにある。多くの識者は自身が知る膨大な史実を纏めきれない。仮に、それら全てを理解出来たとしても、無理に纏めようとすれば、結論に歪みが生じる。
一方で、膨大な史実を知る作家や歴史家は必然的に、いや当り前の様にそれを語るが、読み手はそれら史実の詳細を消化しきれる筈もない。今回紹介した本もその類かもしれない。
故に、膨大な史実の語り手は自分の語った事に対し、責任や確証を持つではなく、その膨大な史実の詳細を自分に都合のいい結論を出す為の曖昧な傍証にするかもしれない。
確かに、この本は”戦争を正確に捉えるには、どんな材料が必要か”という事を問うてはいる。それを中高校生相手に講義し、本にしたものだが、(一連の)特に太平洋戦争という無謀な戦争の謎を解き明すヒントにはなるかもだが、明確な答えが中高生に導き出せるか?は疑問が残る。
しかし、凝り固まった思想や古臭い信念を持つ一部の歴史家よりも、柔軟な思考を持つ中高生に詳細な史実を提示し、戦争の審判を下すのもユニークな視点だと思う。
ただ、仮に審判が下されたとしても、戦争の先に見える筈の景色が曖昧なままであれば・・勿論、加藤女史が説く”国際協調”というのは1つの答え、いや景色かもしれないが、これだけの膨大な史実を語った上で出した答えとして見れば、役不足にも感じてしまう。
一方で、彼女の”若い人は歴史を(暗記で記述するではなく)論理的に記述し、説明する力を養うべき”という考えには全くの同意である。言い換えれば、戦争を史実という膨大なデータで明確に整理して分析し、それらを元に論理的に記述する。
つまり、多くのごく普通の日本人がやってきた様に、戦争を自虐的かつ自壊的に振り返るではなく、戦争そのものを論理的に描ききる能力が、これからの日本人に求められているのではないだろうか。例えば、19世紀の天才数学者ベルンハルト・リーマンが素数の神秘をゼータ関数を使って描いた様に・・である。
更に言えば、戦争の先にある光景を描く能力が必要ではないか。
そういう意味では、(多少の違和感はあるかもだが)若者に今一番にオススメしたい歴史書と言えるのかもしれない。
・経済の行き詰まり
・満州を捨てることなどできないこと
・常勝の傲り~日露戦争は薄氷の勝利だったのですが。
などがあると思います。
ただ自称・愛国保守界隈で言われているような「アジアの解放のための戦争」はありませんよね。
あくまでそれは戦争を正当化するための建前。
他国の解放のために、膨大な国費を使い、自国の兵を損なう戦争をおこなうバカはいません。