ニュートンもガリレオも子供の絵本にはよく登場するが、専門書では余り見かけない。
同じ様に、野口英世も子供向けの伝記やマンガには登場するが、医学書や医学の歴史には殆ど登場しないとされる。
もし、世界的に偉大な人物とされてた科学者の論文の大半が嘘や捏造だとしたら?
自分が研究した業績の大半が誤りだとしたら?それに、間違いが解った上で発表したとしたら?
ガリレオやニュートンなど大科学者が詐欺師まがいの論文を公表してた事が知られつつあるが、もしそれが、日本の千円札に刷られてる野口英世だったとしたら?
「背信の科学者たち」(2006年、原書は1982年)では、世界的に著名な科学者たちが不正行為を繰り返す事に警鐘を鳴らし、欺瞞と科学の構造を見事に暴いている。
事実、ガリレオは実験を重視する”現代経験科学の祖”と見なされてたが、実験を軽視してた側面があり、彼が発明した望遠鏡は精度が低く地動説の発見にはそれ程の貢献はなかったとされる。
ニュートンも自分の主張に説得力を持たせる為、観測数値を改竄していた。
勿論、当の本人は嘘をつく為に医者や科学者になった訳でもないし、結果的にそうなっただけである。しかし、彼らはそれが嘘である事を検証すべきだったが、それすら成し得なかった。
つまり、物事の真相よりも自らの名声の方が彼らにとっては重要なものだったのだろうか?
確かに、間違う事が悪いのではなく、間違いを認める勇気のなさを悔やむべきだろう。
しかし、野口英世にその勇気がなかったとはとても思えないのだが・・・
”野口英世”で考える研究者の倫理
BSプレミアム「フランケンシュタインの誘惑〜科学者・野口英世」では、千円札の肖像画に登場する程の偉大な医学博士の、実はその杜撰な科学研究の実態を暴く。
野口英世記念館の関係者や福島県民がNHK受信料不払いするんじゃないかと心配する程の”突っ込んだ”内容に好感を覚えた。
以下、「野口英世で考える研究者の論理と生態」から一部抜粋です。
”大火傷の障害を努力で乗り越え、日本では認められなかったが、並外れた努力により米国で研究が認められ、最後は研究に打ち込み過ぎて自分を犠牲にして亡くなった”という、私たち多くの日本人が理解してる偉人・野口英世の生涯のドキュメントではない。
それは、”医師として大成できない障害をかかえ、研究者として低学歴の野口が自分を認めさせる為に、再現性のない結果であっても発表し、自分の手法や思い込みに拘り、研究倫理を逸脱した”という野口英世の別の側面で番組は進行する。
野口英世の主要な業績の中でも、病原性梅毒スピロヘータの純粋培養の研究は再現できないもので、今日の科学で考えると野口の行った方法では純粋培養はできないものとされる。
また狂犬病や黄熱病の研究についても、顕微鏡で病原体を見つける手法に拘った野口が見つける事ができた筈がないウイルス感染症である事が、今日の科学では判っている。
一方で、黄熱病が別の病原体(ワイル病)の類縁株であるとの思い込みから、効かないワクチンを製造し、その効かないワクチンを打ってガーナに乗り込み、勝手に黄熱病にり患し、生涯を終えた。
”未知の課題に挑戦したからこそ、後世に否定されるのであり、科学研究における挑戦は重要である。しかし、今日の感染症史の教科書や医学の歴史書に野口は登場せず、医学の知見の積み重ねに野口は貢献していない”(岩田健太郎)との解説が印象に残る。
野心や向上心は必要だが、行き過ぎた野心や向上心には警戒が必要である。最近では有力大学の博士課程に自校出身者が少なくなり、他大学からの野心家が博士課程に増えてるのも注意すべきな危険な憂う状況ではある。
以上、Journal of Tarotenからでした。
野口英世の真実
「野口英世」(1987、E・R・プレセット著)によれば、もっと深く掘り下げ、アメリカでの野口の業績と生活の未知の部分を、プレセット夫人が野口の上司で庇護者だったフレクスナーの遺した書類を元に、多くの一次資料を渉猟してこの空白を埋めた。
従来の野口伝には、”偶像視か偶像破壊かのいずれか”に傾いてたが、本書では”第三の野口像”を提供している。
残念な事に、野口の業績は”嘘”または”勘違い”いや”思い込み”が多すぎるという。その結果が野口の論文の9割以上が間違いという事になる。
しかし、こうした考察は日本人がすべきであった。だが、ここまで核心に踏み込む知力・体力・腕力が日本人にはない。
アメリカ人が本書を読んだら、日本人は”嘘つきをお札に刷ってる”と思うだろう。とても残念だが、それも科学の一部なのだ(レヴューより)。
一方ウィキで調べると、学歴詐欺とまでは行かないが、それに近いものがやはり書かれてはいる。
事実、アメリカでの上司フレクスナーに渡した履歴書には、”東京医科大学に入学して3年で卒業”とあるが、実際は会津若松での書生の経験しかなく、その後も医術開業試験予備校の済生学舎にも僅か数か月しか通っていない。
またアメリカでは医学博士(M.D.)を明示してたが、日本には当時医学博士は数十人程度しかおらず、学歴詐称・肩書詐称の状態でもあった。
しかし、済生学舎は医師免許取得と共に卒業を認定してたので、済生学舎の卒業生である事は事実ではある。但し、野口自身は半年で卒業し、医師免許取得というのも出来過ぎの感も歪めない。厳密には、M.D.は医師免許の事で、医学博士Ph.D.とは異なる。
一方で野口は、貧乏育ちの為か金銭感覚が疎く、金遣いが荒かったという。
後年、彼が恩師や友人たちを巧妙に説得して多額の負債を重ね、”借金の天才”とまで呼ばれた野口の要領の良さや世渡りの上手さは、良くも悪くも父・佐代助から受け継いだ才能であった。その上、酒好き放蕩好きな浪費家という父の欠点をも受け継いでるが、伝記では伏せられる事が多い。
そんな野口だが、出世欲だけでなく異性関係でも執着深かった。
野口は書生時代に出会った6歳年下の女学生・山内ヨネ子に懸想し、幾度も恋文を送るも、女学校校長経由で叱責を受ける。
その後、東京の済生学舎で女医を目指す山内に再会し学友となり、野口と山内の名を刻んだ指輪を贈った。山内はそれを迷惑と感じ、以降の面会を拒否する。
その後、山内は20歳で医師免許を取得して、医師森川俊夫と結婚し、会津若松で三省堂医院を開業する。
これに失望した野口は、”夏の夜に飛び去る星、誰か追うものぞ。君よ、快活に世を送り給え”との一文を送っている。しかし野口が日本に帰郷した際の記念写真には、なぜか山内の姿がある。
渡米資金を得る為に婚約を交わした斎藤ます子との関係は、渡米後の野口の悩みの種となり、”顔も醜く学がない”とまで言い放った。
野口は自ら破談にするではなく、先方から破談されるよう策してたが、欧州への留学資金を要求するなど、ズレたやりとりも多く見られた。
最後に
野口英世は貧しい農家に生まれ、1歳で左手に大火傷を負ったハンディキャップを克服し、ほぼ独学のみで医師となった。更に、細菌学者として一時は世界的な名声を得る。
21世紀の現在に至るまで、日本では子供向けの偉人伝が多数刊行され続け、医学研究者としては非常に知名度が高い。
結局、野口英世は物語上の伝説の人物である。どんなに良く書かれようが、どんなに悪く書かれようが、野口が生きた人生は我らが思うより、ずっとずっと困難と苦悩に満ちていた筈だ。
つまり、彼は医学や研究に生きたのではなく、困難の中に生きたのである。
その困難を打ち砕く事こそが彼の最終目標であり、ゴールであったように思う。その為には、(他人が描く)歴史上の、いや(自分が描く)物語上のヒーローになるしか他に方法はなかったのだろうか。
しかし、人間・野口英世として見れば、これ程興味ある人物もいない。
そう思う事にしよう。でないとやってられない。
ただインチキとしてみれば、小保方さんの方が明らかに深刻ですね。丸写しの単なる盗作でしたから。
それに比べれば、野口英世の方は一時は世界中で認められましたから、でも研究が進むうちに、論文や業績上の過ちが次々と判明しました。
多分本人も結果を急いたんでしょうね。そして日本を見返したかった。
逆にインドの偉大な数学者ラマヌジャンは、最初は彼が予想したものの大半は間違ってるとされてましたが、査察が進むにつれ、殆どが正しく、中には世紀の発明も含まれてる事が判明しつつあります。
特に数学者はずっと後になってその真価が認められるというケースはよくありますが。
著名な研究者の中には、心がクスんだ人たちも多いんだろうね。
でも、子供の頃に大変な苦労をしたから、そればかりが伝説として独り歩きした。
結局は、美しくも虚しい伝説なんだろうか。
野口英世みたいなカリスマ性を持つ人物を見ると、何の疑いもなくそのまま受け入れてしまうんですよね。
明日はノーベル賞の発表ですが、インチキ度はどれくらいなんでしょうか。