象が転んだ

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善人ほど残忍な奴らはいない〜「Cloud クラウド」に見る善人狂気説とは・・

2025年01月04日 04時04分05秒 | 映画&ドラマ

 ここ数年は正月が至極苦痛になってきた。それに、地上波は酒と旅とグルメしか流さないし、BSは未だにショップ全盛で、CHを間違えると婆さんの大声が部屋中に響き渡る。
 今年の正月は「孤独のグルメ」や「深夜食堂」や「酒場放浪記」などが特番扱いだったが、酒とグルメにはいい加減吐き気を覚える。更に、アマプラで日本の新作を幾つか見たが、どれも駄作に近いものだった。
 そこで、何もする事もなく図書館で借りた「チョコレートの帝国」(ジョエル・ブレナー著)でも読んで、大好きなチョコレートの世界に浸ろうと思ってた矢先、某帰国子女が突然やってきた。それも真っ昼間にである。
 私は、この手の気難しいインテリ女が苦手だ。多少は面識のある女だが、やけに文学に詳しい典型の文系女である。2度離婚して今は独身だが、40代にしては結構な若作りで、端正な顔立ちもあってか、才女の様に見えなくもない。

 というのも、私のブログを読んで因縁をつけに来たのか?やたらと計算高く説教臭い。それでも得る所も多かったので、聞き流していたが、やがてフランス文学の話題になり、ロシア文学へと移行する。ツルゲーネフやトルストイとなると彼女の独壇場だ。が、私はドストエフスキーで対抗するも、(当り前だが)読書量で圧倒する彼女にどう食らいついても太刀打ちできない。
 そのうち、彼女が持参したチョコドーナツを摘みに酒がどんどん進み、議論が噛み合わず、2人とも次第に悪酔い状態になっていく。
 私はそのまますっかり寝込んでしまい、目が醒めて深夜になると、もう女はいない。だが、ドーナツだけは残してくれてたから、SMSで感謝の意を丁寧に送っておいた。

 少し愚痴っぽくなったが、何の変哲もない正月よりかは多少はマシだったが、「チョコレートの帝国」については、後日記事にする事にする(多分)。
 という事で、今日はアマプラで見た駄作の中の1つである「Cloud クラウド」(2024)の紹介です。


善人の善人による”見えない悪意”

 今年9月に公開されたばかりの作品だが、”第97回アカデミー賞では国際長編映画賞の日本代表作品に選出されてる”との声を鵜呑みにした私がバカだった。
 更に、”見えない悪意による恐怖を描いた”との評価もあるが、”ありえない”転売ヤーの日常を描いたに過ぎない。
 主人公の吉井(菅田将暉)が電子治療器を安値で買い叩く所から始まるが、倒産寸前の町工場に押しかけ、スクラップ同然の品物30個を僅か9万円の現金で直接買取り、1つ20万でHPに載せると、すぐに全てが”完売”となり、600万円の収益を得る。
 この時点で、見る気は一気に失せたが、「アルキメデスの海戦」では名演技をこなした菅田に免じて、仕方なく見続ける事にした。

 町工場で渋々と働く吉井だが、高専の先輩で同じ転売屋の村岡(窪田正孝)から儲け話を持ちかけられたり、工場の上司からも管理職の打診を受けるも断り、細々と独りで転売屋を続けていた。が、600万の大当りが出た事で、転売のみで生計を立てようと工場を退職。郊外の湖畔に自宅(兼倉庫)を借り、地元の若者を雇い、訳アリな恋人と悠々自適な生活を送り始めるのだが・・
 と、ここまでは生活費が底を付きかけた男がマン馬券を当てて天狗になった様な同じ類いの展開だが、やがて彼の周りで不可解な事件が起き、転売の方も売れない日々が続く。
 次第に追い詰められてく吉井だが、彼が今まで何も罪悪感を覚える事なく撒き散らしてきた”悪意の種”は罪なき顧客の怒りや憎しみを誘い、集団狂気へと変貌し、彼を襲う様になっていたのだ。
 それら集団狂気は、転売屋の犠牲となった人たちの中にも悪意を溜め込み、人格を蝕み、やがて無慈悲な殺意へと発展していく。
 勿論、”見えない悪意”とはこの事かもだが、転売屋に善意や慈悲の心があれば、商売としては成り立つ筈もなく、一方でまんまと騙される善意ある良い人(=善人)が存在するから成り立つ仕事でもある。

 確かに、転売屋の本質が”見えない悪意”にあるのは明白で、そうした本質を知ってれば、何ら変哲もない当り前の日常で起こりうる現実である。が、それをわざわざスクリーン上で大げさに膨らましても何ら目新しいものもないし、そこには創造も意外性すらも存在しない。
 言い換えれば、騙す側と騙される側のドンパチ系の幼弱な殺し合いを描いただけの動画に思えた。
 他方で”善人ほど悪い奴らはいない”という視点で映画を作っていたら、そこそこいい映画になり得たと思うと少し残念ではある。少なくとも、”見えない悪意”に視点を当てるべきではなかった。
 それは、終盤を見れば明らかになる。

 ネタバレになるので詳しく言えないが、中盤まで平坦な展開で進んでいたので、最後には少し凝ったカラクリ又はトリックが用意されてると思いきや、結局は消化不良のまま幕を閉じてしまう。
 勿論、現代社会に潜む”見えない悪意”を描こうとした監督の気持ちも解らなくもないが、その悪意はあまりにも当り前すぎて、見る者の心には響かない。
 つまり、転売屋の悪意とは顧客の良心と善意を踏みにじる事で成立するものだが、(普通なら)それ以前にクレームが殺到し、転売屋は当り前の様に淘汰されるだろうが、そうした事は無視されている。

 現代人が幼弱で淡白になり、現代社会も軽薄で短小な時代となり、”見えない悪意”すらも日常で起こりうる、当り前の感情に成り下がる。
 こうした日本の長編映画も当り前の日常を描くだけの動画に成り下がるのだろう。が故に、見てて何も感じない平坦過ぎる作品にも映った。
 という事で、少し愚痴っぽくなりましたが、お正月明けに見た長編作品の紹介でした。


補足〜善人ほど残忍な奴らはいない

 現代社会の大半に蔓延る善人たち・・が故に、善人たちほど暴力を秘めた悪人はいない。事実、善人だと思っていた人が突然暴力や狂気に訴えたりもする。それを見た善人たちは絶望感に襲われ、従って”善人ほど悪い奴はいない”となる。
 一方、日本人の多くは”自分は善人である”と思い込んでいるが、それはただの悲しすぎる貧しい妄想にすぎないし、つまりは、暴力・偽善・欺瞞に染まる悪人への入り口なのかもしれない。
 「Cloud クラウド」では、そうした善人らが徹底した悪人に染まるクラウド(Crowd=群衆)の様子が描かれてはいる。
 元々クラウド(Cloud)とは、一般ユーザーがネットを通じ、サービスを無期限かつ無差別に利用する考え方の事で、”クラウド・コンピューティング”と呼ばれ、インフラやサーバーやストレージ、ネットワークを指す。
 因みに、Cloudとは英語で”雲”を意味するが、ネットを使ったサービスは実体が無く、Cloudを提供するサーバーは不特定な所にあるので”雲”に例えられる。

 つまり、実体や住処が不透明という意味では、転売屋は”雲(=Cloud)”的な存在であり、一方で不特定多数の群衆(=Crowd)、つまり善人を意味する存在と見れば、実に対照的でもある。
 最近は、この群衆を意味するCrowd型サービスもクラウド(Cloud)と共に発展してきた。
 Crowd型サービスの特徴として、仕事の受発注・人材募集や投資・資金調達などがあり、これまで企業がやってた事を、ネットを介す事で個人間でも直接やり取り出来る。
 Crowd型が不特定多数の個人を繋ぐ膨大な錯綜する仕組みと見れば、映画では転売屋の被害にあったおバカな善人らがCrowd型サービスで知り合い、意気投合して、Cloud(雲)的存在の転売屋に復讐を計るのだが、転売屋の悪意だけで善人の狂気を描ききれていない。
 それどころか、逆に殺し屋?を味方につけた転売屋に、狂気と化した善人らが全て抹殺されるという消化不良的展開で幕を閉じる。

 結局、転売屋だけに”見えない悪意”を押し付け、騙された被害者(善人)にはその悪意に騙されるという”明確な失態”が存在するにも関わらず、何も押し付けない事による矛盾が見え隠れする。
 つまり、悪意を問題視するのなら、その悪意に騙される善人もまた問題視すべきである。アインシュタインが諭す様に、悪を悪と気付かずに騙される善人ほど罪深く、質の悪い生き物もいない。
 「善人ほど悪い奴はいない」(中島義道 著)を読むと少しは納得だが、昨今のワイドショーでも無学で無能なタレントらは”炎上”を異常なまでに恐れ、ありきたりなコメントしか残せない。
 これは、大衆という不特定多数の善人により作り上げられた炎上という名の”明確な悪意”を恐れての事でもある。一方で、炎上覚悟でものを言えば、更に炎上する。
 故に、炎上も厄介だが、善人はもっと厄介な生き物である事が理解出来よう。


最後に

 勿論、ここでニーチェの哲学を長々と述べるつもりもない。
 確かに、この世は幼弱で浅薄で愚鈍な善人で溢れ返っている。だが、善人の本質を見抜く事で善人はいくらでも賢く、そして強くなれる。つまり、善人だと信じて疑わない低脳・弱者のバカ正直な”良心こそが破棄すべき忌わしい行為だ”という事をニーチェは言いたかったのだろう。
 現代社会では善人と言うだけで生き残れる時代でもないし、勿論、悪人と言うだけでも生き残れない。言い換えれば、悪意と善意は同義であり、見えない悪意も見える善意も同じ事である。更に、露骨な悪意もさり気ない善意もまた同じだろう。
 つまり、悪意とか善意の上を行く覚悟と勇気が現代人には必要なのかもしれない。

 多分それは、ドストエフスキーが諭す様に、人間の本性は本来は”グータラで野蛮で非合理的に出来てる”から故に”バカげた行動や気まぐれこそが最高に尊い事だ”と言う事に尽きる。
 確かに、悪意も善意も理屈で計算され尽くしたものに過ぎず、ニーチェが唱える過剰で貧相なエゴイズムなのかもしれない。
 但し、”騙そう”とする悪意の方が、”よく思われよう”とする善意よりも理屈度は高く、善人が悪人に蹂躙されるのも当然ではある。
 そう考えると、悪意や善意の先に何かが見えそうな気もするのだが・・・

 Cloud(雲)を悪とすれば、Crowd(群衆)は善であり、転売屋の”見えない悪意”を描くのであれば、善人らの狂気の先にある”露骨な悪意”も描くべきだった。CloudとCrowdの言葉と意味の対比が実に興味深かったのに、甚だ残念ではある。

 


4 コメント

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黒澤清監督って (tomas)
2025-01-05 13:17:57
こうしたぼかし方が好きなんですかね。
地味に始まり地味に終わる。
CUREもそうでしたが
登場人物が全てステレオタイプで
展開も平坦すぎて
でも最後の殺し合いでの助っ人の男は意味不明で軽いノリに映りました。

という事で
新年も宜しくお願いします。 
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tomasさん (象が転んだ)
2025-01-05 15:32:04
こちらこそ今年も宜しくです。
言われる通り
平坦すぎて意味不明な所もありました。
映画と言うより、短編のTVドラマで丁度いいと思います。

庵野秀明と同じで
質感も重厚感もないし、学生映画の延長と考えてるしか思えないですね。
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まるで文学子女 (HooRoo)
2025-01-06 13:24:24
のような純朴な人ね
でも気分転換には
ちょうどよかったんじゃないかしら 
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Hooさん (象が転んだ)
2025-01-06 14:40:25
今年も宜しくです。
結構、悪酔いもしたんですが
こちらも色々と勉強になりました。
ただ、チョコドーナッツはとても美味しかったです。
それだけはいい正月でした。
では・・・
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