象が転んだ

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民主主義のパラドクス(前半)〜プラトンが描いた理想国家と反民主主義

2021年02月13日 00時38分49秒 | 数学のお話

 ”多数決に正義はあるのか””投票に正義はあるのか”では、プラトンが唱えた民主主義の矛盾を大まかに述べました。
 そこで今日は、2千年以上も前に民主主義の崩落を見抜いてたプラトンの理想国家とそのパラドクスについて、2回に分けて紹介します。
 以下、「数と正義のパラドクス」の第一章”反民主主義者”から一部抜粋です。

 プラトンの本名はアリストクレスで、プラトン(幅が広い)という名は、彼の額の広さとその広範囲な知的探求の為につけられた”あだ名”であったとされる。
 ギリシャ最大の哲学者と呼ばれたプラトンも、彼の批判者たちからは最悪の半民主主義者として厳しく非難された。
 しかし彼は、ソクラテスの最も優れた弟子で、”正義は人間はどうあるべきか”という思案に生涯を捧げた。数学、音楽、詩など最高級の教育を受け、最初は劇作家として腕を鳴らした。
 ソクラテスは自らの哲学や考えを羊用紙に委ねる事に躊躇したが、プラトンは言葉を正確に記す事を望んだ。
 以下でも述べるが、師のソクラテスを多数決による投票で死刑にされてから、プラトンは”アテネ民主制は茶番だ”と軽蔑した。

 そのプラトンが考えた民主制とは、有効な投票を行い得る、安定多数の陪審員による適正な裁判であった。
 一般市民では判決や審判を下すに相応しくなかった。彼にとって、民主主義という人民の権力は劣った政治形態の1つに過ぎなかったのだ。
 アテネ民主制に幻滅したプラトンは、政治哲学における世界初の論文である「国家(ポリティア)」を書き上げます。英語で”共和国”と訳され、このプラトンの理想国家の著は、その後2500年間ずっと政治学者たちを刺激し続けます。


プラトンの理想

 しかし、このプラトンの理想には不足もあった。投票も選挙も何処にも述べられてはいなかった。彼は独裁者の助言の役を務める事で、理想の国家を作ろうと試みたが、何れも失敗に終わる。
 落胆し意気消沈したプラトンは、明らかに実行不可能な自らの理論を大きく見直した。
 「法律」と名付けられた最後の原稿は全12巻からなり、彼の最も長大で最も実際的な著作となるものだった。
 この長大な書物の中で、プラトンは選挙を回避する事は出来ないと悟り、投票と選挙について、長々ともう一人の自分と議論した。
 彼が一番重要視したのは住民の分配、つまり世帯数だ。まるでPCゲームのシムシティのような形態だが、1世帯2区画10人(夫婦と3人の子供、2人の年寄と3人の奴隷)が基本財産で、貧困のレベルと富裕のレベル(貧困層の4倍まで)は厳しく管理される。
 市民は4つの財産階級に分けられ、所得税あるいは財産税が徴収された。

 明確な三権分立の立法・行政・司法は明記されず、その代りに民会・政務審議会・法廷の3つを明記した。
 政務審議委員と法廷委員は、くじ引きで民会の中から500人(360人+240人)が選ばれました。民会は20歳以上の成人男性にみな参加資格があったから、数千人を超える事もしばしばでした。
 将軍や政治家や役人は民会の直接投票で決まり、候補者は裕福な教育を受けた出が多かったが、もし彼らが不正を行えば、最悪処刑になる。
 プラトンが従来の民主制に嫌気が差したのも、彼が28歳の時、師のソクラテスが”無神論を広め、若者を堕落させた”という曖昧な容疑で、市民投票にて死刑を宣告されたからだ。
 当時、501人の陪審員の内、280人がソクラテスの死刑に賛成票を投じた。
 それ以降、プラトンは”無学(貧乏人)がソクラテスを死刑に追いやった”と思い込み、民主制を心底軽蔑します。

   
プラトンの反民主主義

 故に、プラトンは市民選挙には反対でした。”無学が金持ちを怖がらせるだけだ”と異議を唱えた。当時は、無知や無能な大衆が政務委員や法廷委員になるケースがあったからだ。一方で、プラトンは”金持ち=教養ある者”と決めつける欠点がありました。
 彼は都市の健全な存続として、法廷役人の中でも法の番人(護法官)を重視した。彼らは完成され訓練された教養人の必要があると考えたのです。
 故にプラトンは三権分立ではなく、司法と立法を明記しました。その中でも、特に護法官は立法と裁判と市民の財産の管理を任された。
 法の番人は”正義と安定の保証人”とされ、いくら法が正しくとも、その”法を扱う役人が未熟であれば法は役に立たない”とプラトンは考えたんです。

 護法官の数を37人(奇数)にし、引き分けで終わらない様にした。37人を19人(入植者)18人(クノッソス市民)と割当て、300人→100人→37人と投票(市民による直接選挙)を3段階にし、無学や無能をできるだけ排除出来る様にした。一方で選挙人(市民)は、候補者に対し拒否権を行使できました。
 候補者は、自らに教養があり法の訓練を受け、どんな人間であるかを証明する必要があった。家族や一族の不祥事も失格の対象となった。
 しかし、もう一人のプラトンは、こうした選挙には最初が肝心だと主張した。
 つまり、100人の入植者と100人のクノッソス市民の2つのグループの200人の選挙人の中から、1人の最年長で最善な老人を選び、その老人が護法官の候補者を選べばいいと考えた。
 200人の選挙人により、最初の37人の御法官が選ばれると、諸役人の選挙へと進む。
 彼らはまず、軍隊の要職である将軍候補3名をたて、選挙により将軍が決まる。将軍は12の部族の隊長候補者をたて、3段階の選挙で12名の隊長が決まる。


プラトンの策略

 法の万人の選出が終わると、次に政務審議官360人の選出だ。360とは4階級×90名と非常に便利な数でもあった。男は30歳から女は40歳から立候補できた。
 そこでプラトンは、独自の2段階選挙を提案する。まず1番裕福な階級から代表者の候補を選ぶ。次に2番目に裕福な階級から候補者を選ぶが、この2つの直接選挙には全市民の参加が義務付けられた。
 更に3番目に裕福な階級から候補を選ぶが、上位3つの階級のメンバーだけが選ぶ事を強制された。貧乏階級も投票できるが強制ではない。最後に貧困階級の候補を選ぶが、上位2つの階級のメンバーだけが投票できる。

 しかし、これには絶妙なカラクリがあった。
 プラトンは、裕福でより教育を受けた者が有利になる様に策を講じたのだ。
 つまり、金持ちは罰金を避ける為、4回全ての選挙に参加するが、貧乏人は最初の2回しか投票できない。それに、既に2日を費やしてるので、これ以上仕事を犠牲にして投票に時間を費やす事は出来ない。
 結果、金持ちは4票を投じ、貧乏人は2票しか投票出来ない。それに貧乏人は騙されてる事に気づかないし、その上、貧乏人の代表は金持ちが選ぶという矛盾。
 結局、ごますりとイエスマンだけが絶好の機会を掴む。
 プラトンのこの見事なカラクリには脱帽でもある。事実、この”貧乏人のパラドクス”は現在の(平日に行われる)アメリカ大統領選挙でも繰り返されてる事である。
 つまり、貧困層は投票したくても、仕事のある平日には行けない仕組みなのだ。

 最後の選挙の5日目は、各4階級のそれぞれの360人の候補者の中から、まずは180人を選ぶが、これは全市民参加だ。
 そして、最後の最後にクジで90人に絞る。これは役職任命に偶然の要素を持ち込む事で、”神様に選ばれた”という意識を植え付け、選挙結果の不平不満を回避できる。
 つまり、”恨みっこなし”の神の選択なのだ。
 貧困層は裕福層よりも圧倒的に多い。
 故にプラトンは、市民たちを財産階級に区別する事で、貧困層の発言権と役員の数(割合)を減らしたのだ。3つの富裕層と同じ定数枠90名を貧困階級にも用意する事で、彼らは公平に代表を送り込んでると信じ込ませたのだ。 
 これを”数字のパラドクス”と言わずして何といおうか。
 プラトンの思考の冴えは、貧困層に正反対の事を信じ込ませてた点にあったのだ。


パラドクスの中のパラドクス

 次に国家の治安には、地方治安機関にて12の各部族(区画)から5人ずつ計60人の隊長と、12人ずつの計144人の部下から構成された。
 その他、都市保安官や神官、学校の管理者、音楽や踊りの管理者なども選挙かクジで選出された。
 特に教育の管理者は重要で、護法官の中から選ばれた。それも政務審議官の役人を除く全ての役人が参加する”秘密投票”によって選出された。
 しかし、この最後の重要な選挙は腐敗に陥りやすく、秘密選挙にする事でその腐敗を防ぐ唯一の例外(パラドクス)でもある。
 全ての地位に対する候補者たちは、挙手かクジによる選出の後、徹底した厳しい審査が行われる。少しでも不足があれば、候補は無効になる。勿論、役員の汚職に対しては任期の終わりに厳しくチェックされ、奪った物を全て返却させ、相応の罰金を支払わせる。

 最後に法廷の設置と裁判官の選挙だが、第一審法廷は訴訟当事者の友人や隣人で構成され、保安官隊長が裁判官の役を果たす。第二審法廷は部族法廷で裁判官はクジで選ばれる。
 最高法廷に相当する第三審法廷の主席裁判官は非の打ち所のない人柄であるべきで、選挙人もまた法律に精通した管理者や役人である必要がある。
 結局、プラトンの理想を持ってしても、役人が役人を選ぶという矛盾(パラドクス)からは逃れられない。その上、最後の裁定は国民投票によって下され、皮肉にもソクラテスの死刑と何ら変わりはない。

 以上長々と、プラトンの理想とそのパラドクスを述べましたが。
 結局はプラトンをしても、民主主義に理想は見いだせないし、反民主主義の中にもその答えは見い出せない。
 それは、数学的なパラドクスが現実においても避けられないという事の証明でもあろうか。
 因みに、今回紹介した「法律」はプラトンの作品の中でもとりわけ研究される事が少なかった。「法の支配と対話の哲学」(写真)では、法理論と倫理思想に綿密なる分析を加える事で、プラトンの政治哲学における”法の支配”をソクラテスの”対話の哲学”から読み解いた作品です(GoogleBook)。政治好きな人にはオススメの一冊かもしれません。

 次回は、国家の正義と、その存続と正義のあり方について書きたいと思います。



8 コメント

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ビコさんへ (象が転んだ)
2021-02-13 09:50:31
政治家になるほどには落ちぶれてもいないんですが(笑)。
結局、民主主義の終着駅は腐敗した絶対権力と法の私物化のような気がします。
でもその民主主義に変わる制度がないのが一番の大きな問題なんですが。

堅苦しい詰まんないネタに、コメントありがとうです。
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リクスケさんへ (象が転んだ)
2021-02-13 09:45:01
おはようございます。流石に鋭いですね。
後半でも書いたんですが、プラトンも全く同じ事を指摘してます。
結局、無知な大衆が選挙に参加しても混乱を引き起こすだけだと。

独裁国家も鄧小平や周恩来などの優秀な政治家がいれば別ですが、今の中国も北も所詮はエロ狸ですもんね。
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Unknown (kaminaribiko2、)
2021-02-13 07:37:38
提案です。

転象さんが政治家になればいいと思います。
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象が転んだ様へ。 (りくすけ)
2021-02-13 06:42:39
お邪魔します。

個人的には、常々、市民選挙の怖ろしさを感じています。候補者の資質や政策もよく分からないまま、好き嫌いの感情や他者のススメで一票を投じるのは大変危うい。「国民投票」はその典型です。

また、日本型の名前連呼握手戦術の選挙戦も奇妙なお祭りみたいだと思います。

市民選挙の危うさ、怖ろしさを分かっているから北朝鮮や中国をはじめとした独裁国家は、禁断の民主主義に手を出さないのかもしれませんね。

では、また。
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腹打てサン (象が転んだ)
2021-01-22 05:31:50
私もそう思います。
今の内閣は学力もですが、数学的思考がなさすぎですね。
全てがどんぶり勘定で動いてます。気合とか意欲とか誠心誠意とか、古臭い神論ばかりが飛び交ってます。

今の政治家なんて成り上がりの啓発本くらいしか読まないんでしょうね。
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これからの政治家は (腹打て)
2021-01-21 22:25:21
優れた数学者でなければならないと思う。
プラトンも学問の中では数学を重要視していた。
国家を治める事は人を学問を治める事だ。学問の王道である数学を収める事は必須なんだ。
ユダヤ人が政界や経済界の頂点に立てるのは、数学に強いからだよ。
結局、民主主義も公平な選挙も正義の行使も、大げさに言えば、数学の範疇なんだ。
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ぬくぬくサンへ (象が転んだ)
2021-01-21 09:40:28
貴重なコメントとても助かります。
プラトンは、行政(政府)よりも法律(司法と立法)や教育や軍隊を重視しました。後半でも述べる予定ですが、国家のリーダーには法律は勿論、高度な数学や話術を要求しました。故に、官僚には興味が薄かったようですね。

そんなプラトンも、シチリア島の無能な暴君の説得には3度とも失敗します。哲学では理想の国家が出来ない事を悟ります。
ぬくぬくサン言うように、選挙制度を工夫すれば、無能な政治家は排除できると思います。これは実際にプラトンが3段階投票でやろうとした事で、100%は無理にしてもかなりの効果は出そうですね。
結局、プラトンは自らパラドクスに陥った気もしますが、生まれた時代が早すぎたのかな。
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官僚制はどうなのでしょう (ぬくぬく)
2021-01-21 06:39:23
反民主主義者のプラトンが「官僚制」に行き着かなかったのは驚きですね。官僚制はその国で最も優秀な人間を選ぶはずですからプラトンが好みそうな制度ですが。
東洋の大国であった支那は2000年官僚制ですから。洋の東西で随分好みが違うようです。

日本の官僚制は戦後70年でもう制度疲労を起こしているようです。東大法学部を優秀な成績で卒業した財務官僚の経済政策が間違っているからこそ「失われた30年」なのですから。経済政策を法学部の卒業生にやらせるのがそもそも間違いという意見も聞きますが、一応財政学と租税法は法学部の縄張りですからね。
財務省をどうにかできれば日本が抱えている問題の半分は解決できるでしょう。日本のどこも金がないことが問題なのですから。

戦前対米戦争を決めたのも陸海軍のエリート官僚でした。帝国大学の卒業生ではないのですが、優秀な人間ばかりのはずでした。
米国も優秀な人間ばかりを政府に集めたはずなのにベトナム戦争では敗北しました。

米国はさておき日本はトップを選ぶ制度に問題があるとしか思えません。財務省の緊縮財政志向にしろ、自民党が安倍晋三を総理総裁にするにしろ。
週刊ポストで『逆説の日本史』を連載している井沢元彦はこれを「バカトップ問題」と呼称しています。

民主主義にしろ小選挙区制が良いのかどうか。熟考されたものではなく、中選挙区制が行き詰まったから米国や英国を真似ようとしたものに過ぎませんでした。それからの惨状は語る必要はないでしょう。
選挙制度を見直せば政治がもう少しマシなものになると考えます。プラトンが貧乏人を排除しようとしたように。
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