新年早々やっぱり寒い。
で、ひとけがないなあ。
車で出かけると渋滞してたりするんだろうけど。
フライパンチャーシューはまあまあ。
見た目がチャーシューじゃないのはなんでだろう。
ローストビーフっぽい見た目。
300gだとあっという間になくなるんだなあ。
大みそかはこれっていうのがなくて、
紅白も最初と最後をちらっと見ただけ。
あいはらさんのラジオが終わったら寝てしまった。
目がさめたら、結局ボクシングと格闘技。
生放送なのかどうなのかもわからなくて、
ゴングが鳴ってインターバルになったと思ったら、
別のチャンネルで始まったり、トイレに行けなくて困った。
内山選手… ホームなのにホームタウンジャッジにならないのって、
ボクシングでも同じなんだな。
7ポイント差はないだろうと。
小國選手の二回目もダウンだと思うし。
年越したあとも見たいTVなかったので、
NFL倶楽部がはじまるまで録画してた番組を見た。
関西テレビは新年1発目の番組が再放送っていうのもびっくり。
でも、年末から今年にかけて、
なんか見た気がするなと思ったら、
去年の同じ時期の再放送ってけっこうあったような。
いまさらだけどキャパニックも調子上がって、
RGⅢのブラウンズも初勝利。
でも、またケガしたのかな。
UCLAの庄司選手って読売の夕刊に載ってたと思う。
あと、プラネットアースをやっと見た。
ナレーションがちょっと聞きづらいかな。
きれいな映像だけだと眠くなるし、
ヒゲじいにいてほしくなる。
あとは図書館で借りた本。
「なぜ時代劇は滅びるのか」
子どものころは3時から「暴れん坊将軍」
4時からは「大江戸捜査網」か「遠山の金さん」って感じ。
おじいちゃんとそれこそこたつに入って、
晩ごはんまでずーっと見てたっけ。
その時代劇がだんだん廃れていって、
とうとうレギュラー放送から消えていく過程がよくわかる本。
で、そこにはいろんな要素があると。
「水戸黄門」の功罪とか、
わかりやすい完全懲悪のマンネリ化。
いまや時代考証のお手本のようになった、
「鬼平」の江戸趣味の弊害。
もともと「時代劇」はファンタジーだった、っていうのは、
目からうろこ的な感じ。
「七人の侍」にしても「用心棒」にしても、
時代考証に忠実でなくてもおもしろければそれでよかったんだし。
ただ、某時代劇とか、裏店に住んでる浪人が、
真っ赤な派手な裏地の黒い着流しをきてたりすると入り込めないけど。
作り手がいなくなって俳優もいなくなるっていうのもよくわかる。
それは時代劇に限ったことではないけど。
大河ドラマのところもおもしろかった。
ストーリーよりもコンセプトが鼻につくと見る気もしなくなる。
女性をターゲットにするのはまちがってるとは思わないけど、
そこに媚びを売りすぎるとやっぱり気持ち悪さを感じるし、
結局、バランスなんだろうな。
前から気になっていた「銃・病原菌・鉄」を読んでみた。
まず、読みはじめからハテナがつくところがけっこうひっかかる。
日本では人種差別がまかりとおっているとか、
なんの根拠もなくさらっと書いてたり、
日本人が漢字を使う理由も全く理解してないみたいだし、
そもそも表意文字と表音文字の違いがわかってるかどうかも。
江戸時代に鉄砲が廃れた理由にも無理があったり。
そういうおかしな記述があると、
日本以外の部分でもそういう部分があるんじゃないかと思ってしまって、
この本自体の信用性にも薄らいでしまう。
たとえば、アンデス地方にアメリカ先住民が多いのは、
『遺伝的にヨーロッパ人である女性にとって
生理的に子どもを産むのがむずかしい』から、
っていうのも意味がよくわからない。
西洋人が優れてるのが理由ではない、っていう点では、
レヴィ・ストロースに近い感じもするけれど、
日本に対するようなふしぎな偏見や、
ちょくちょくあるそれはどうなんだろうっていう断定のしかたとか、
読者を納得させられるほど専門的な問題について、
深く掘り下げられてるわけではないような。
ただ、おもしろいなあと思ったところは、
人間がなぜ文明を発達させてきたか、ではなくて、
なぜ文明が発達しなかった地域があるのか、っていう考え方と、
もうひとつ、有効な新しい技術は拡散していくのが当然なはずなのに、
なぜか、定着せずに廃れてしまった地域があるという考え方。
ここに江戸時代の鉄砲の話を加えたのはまちがいだと思うし、
具体的な数値にどこまで信用性があるかはわからないけど。
「遥かなる地球の歌」とか「ノウンスペース」みたいな、
植民星をモチーフにしたSFの元ネタになりそう。