TBA

(仮)

ゆき 雪 かなしい 悲しい 哀しい

2017-01-24 | 日記

寒い。

とうとう雪が降った。

でも、雨になったり雪になったりと、

どっちつかずの雪。


夜中12時すぎると灯油がもったいないから、

ストーブを消すんだけど、

いったん足先とか冷えてしまうと、

なかなか寝られないので困る。

やっとあったまるまで1時間近くかかったり。



「上方落語をきく会」

なんとか「地獄八景」と「らくご」だけは録音できた。

若手さんのトークも聞きたかったけど、

3時間ではむりだった。

来年はせめて3つのブロックに分けてもらえるといいんだけどなあ。



「バベル九朔」を読んだ。

途中から、村上春樹さんの

「世界の終わり~」みたいな感じもしてきたので、

いつかおもしろくなるかなあと思って、

がんばって最後まで読んだけれど、

どうにもならなかった。

この時間があったらもっとほかの本読めたのに…


「悟浄出立」はまだおもしろく読めた。

この方にもとめているものとは違ったけれど。



「100分de名著」3回目。

人づきあいがヘタ、というか、

いなかのお坊ちゃまっていう感じなのかな。

友人たちのそのあとの発言も、

内心めんどくさく感じていたことへの、

罪悪感のように思えなくもない。


「ボタンを探してる誰かがいるのかも」とか、

「ありきたりの結婚の幸せへのとまどいと照れ」とか、

「読み解き」よりも、伊集院さんの「感想」のほうが、

しっくりくるような。

まあ、詩って読み解いたり、解釈するよりも、

好きなように読んでそのまま感じればいいものだと思う。


朗読もなるべくそのまま読んだ方がいいと思うし。

ゆあーん ゆよーん ゆやゆよ(ー)ん

勝手に伸ばしてしまうのはどうなんだろう。


感じたことを言葉にしてしまった時の「誤差」は、

なにかわかる気がする。

マンガに出てくる汗とか、

がーんっていうときのタテの線みたいな、

そういう記号的な表現のしかたって、

わかりやすいけれど、

それがほんとうの気持ちを表せてるとはかぎらない。

だから新しい表現を考えたかったのかも。


施主さんと色決めの打ち合わせをするときに、

かならず色見本を持って行っていたけれど、

色見本で見ていても、実際に現場で塗ってみると、

印象が違うこともよくあることだし。


「生い立ちの歌」の雪の表現とか、

「かなしみ」の感じ方も人によって違うから、

その違いをどう伝えようか、

どうわかってもらおうか、っていうことを考えるのが、

詩人の言葉のえらび方なのかもしれない。


「骨」は詩集で読んだときには、

自分の運命を客観視した、

最晩年のなくなるまぎわのものだと思ってた。

芸術の自分と生活の自分。

わからないでもないような。


音楽を聴いてても、本業があって片手間で、

(ほんとはそうでもないんだろうけど)やってるような人よりも、

苦しくても自分の道を突き進んでる人のほうが、

応援したくなるし。


そういうアーティストが自分の路線とは、

全く違うアイドルの曲とかで、

大ヒットになったりすると、

よかったね、って思う一方で、

なんか複雑な気持ちになったり。
コメント
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