ちょうど1年前の今日から、たばこを中断した。未だに吸いたい気持ちが時々起こる。食後とは限らない。しかし、頻繁ではないので苦しいというほどではない。ほとんどの時間は忘れている。中断した当初は、その都度「吸ったら面倒」と心の中でつぶやいていた。代替品としてノンシュガー「カンロ スーパーメントールのど飴」が一日10粒程度必要。また「Asahi MINTIA」、「LOTTE XYLITOLガム」と、すべてメントール系。時にはこの全てをほおばる。歯磨きはライオン「XYLIDENT」の後にSUNSTAR「G・U・M」。アメの在庫はそこらの店より多い。
たばこを吸ってたときのアメは「春日井製菓 炭焼珈琲」。このアメに出合うまでは缶コーヒーだったのを、飲み過ぎないようにとアメにしたのだった。「カンロ スーパーメントールのど飴」、売ってない店がほとんどなので在庫は欠かせない。中断というからには、また吸い始めるのだが、それがいつか決めてはいない。たぶん、ひとりぼっちになったときだ。
体重が当初約7キロ増えた。止める時期が悪かった、食欲の秋。たばこを止めて一番困るのは、食後に終止符を打つ手段が無くなることだ。アルコールも刺激としてはやや劣る。たばこに代わるガツンとした刺激があれば、禁煙はたやすいと思う。たばこの代わりはない、体は正直だから騙すことは不可能だ。強い刺激を和らげる代替品はない。いつになったら意識しないですむようになるか、また報告する。2年中断して吸い始めたとの報告もある。油断はならぬ。無害な強い刺激を希求する。
たばこ値上げ大臣が現れた。増収でなく健康のためという。大きなお世話だろう。武田氏の言、塩も砂糖も摂りすぎると健康に悪い。だったら税金を上げるのか? 規制するのか? 毎年車の事故で5000人死ぬ、以前は交通戦争と表現し10000人死んでいた。これはゆゆしきことだろう。だからって、車を止める人を聞かない。標語「車、走らなければ事故は無い」とはいえ床の間に飾るには大き過ぎやしないか。人間、体に悪い嗜好を好むにもかかわらず、たばこを吸う人はずいぶん減った。だが、肺がん患者は増え続けているらしい。
常々思うのだが、人間、いや、動物はとことん進む、行き着くとこまで行くということだ。だから人間は地に満ちた。70億はきっと多いのだろうけど、いまさら後戻りなんかは出来ない。英知などはない。そこに草があれば、はんではんで、無くなったら移動する、新たに見つけられなければ死ぬ。この性は、経済でも、原発でも、科学でも、生物の営み、すべてに同じ。けっきょく、だれも止められない。行き着くとこまで行くしかないのだ。ただ生きることを止めるのは無理なはずなのに、日本だけで毎年3万人も無理を行って自殺する。今回の震災が毎年起こっていることになる。こちらもゆゆしき問題だろうが、災害より関心は少ない。
シャンプー、ボディーソープもすべてメントール系だった。メントールをほおばって冷えたウイスキーの水割りを呑む。喉に心地よい。酒量は当然増えた。今月、人間ドックに行く。結論、長生きは体に悪いような気がする。相手がいるうちに死ぬ。これが人生の幸せなのだ。心配なのは意識無く長らえることだ。長生きの遺伝子にスイッチを入れる方法が発見されたらしい。摂取カロリーを30%減らせばスイッチが入るという。ノーベル賞の田中耕一氏、血液の一滴ですべての病気を診断するという。100まで生きたらどうしよう。年金も心配だ。