閑(ひま)じぃのブログ by 閑斎

趣味の紙紐細工創りとその時々の歌、旅の紹介です。遠方には行かなくなり近くで楽しい仲間との歌を楽しんでいます。

蒲原(夜の雪)

2018-05-17 12:19:33 | 歌川広重 東海道五十...
京から数えて40宿目、蒲原宿です。
降り続く雪に宿場町は寝静まり、雪道を踏みしめる足音だけが聞こえるくる
ようだと絵の解説にあります。
蒲原宿は現在の静岡市清水区のJR蒲原駅の北ということです。
静岡のような温暖の地に北国のような雪深いイメージがそぐわないと言われて
いますが、広重には関係ないようです。
雪景色の宿場がほっこりするような出来栄えでした。
夜道を行く旅人3人です。見えませんが、左の人物は下駄を履いています。

旅人をアップしました。


原画です。

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

由井(薩埵嶺)

2018-05-03 08:33:06 | 歌川広重 東海道五十...
京から数えて39宿目、由井宿です。由井は由比とも書かれたようです。
由井宿のあった由井町は平成の大合併で現在は静岡市清水区の一部だそうです。

副題の薩埵嶺は薩埵山のことで、作品の左の急峻な山がそれになります。
その山腹には道が切り開かれていて旅人が見えます。
それにしてもすばらしい眺望で、富士山、伊豆、駿河湾、三保までが見えている
そうです。岩陰から見える松は海風により、大きく傾きながら枝を伸ばして
います。旅人はこの絶景を楽しんだことでしょうね。

ちょっと角度を変えました。


原画はこちらです。

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

奥津(奥津川)

2018-04-19 16:48:21 | 歌川広重 東海道五十...
京から数えて38宿目、奥津宿です。
「奥津」は古くは「沖津」や「興津」とも書かれていたようです。
興津には東海屈指の名刹清見寺と、その前に広がる風光明媚な清見潟がありました。
この絵は、駿河湾に注ぐ興津川の河口付近の徒行(かち)渡しの光景です。
左の山が薩埵(さった)山の山裾です。
川を渡っているのは二人連れの相撲取りです。前を行く相撲取りは狭い駕籠に窮屈にそうに
体を小さくして乗っています。普通二人の駕籠かきが四人がかりで担いでいます。
後ろの相撲取りは馬に乗っていますが、馬も苦しそうです。

少しアップしました。


原画はこちらです。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

江尻(三保遠望)

2018-03-29 16:23:01 | 歌川広重 東海道五十...
京から数えて37宿目、江尻宿です。

絵の解説によりますと、左の峰の多い山は愛鷹山、右の三角形の山は鷲頭山、
海中に長く伸びている樹木の多い砂嘴(さし)が三保の松原となっています。
江尻宿は現在の静岡県清水区にあったそうで、諸国の回船が多数出入りした
良港清水湊がありました。
絵には多くの家屋と多数の舟があり、当時の賑わいを思わせます。

原画はこちらです。

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

府中(安倍川)

2018-03-15 11:11:53 | 歌川広重 東海道五十...
京から数えて36宿目、府中宿です。
解説によると府中は駿府城の城下町でかっての宿場は現在の静岡駅の付近です。
府中宿は安倍川餅と幕府公認の遊郭・二丁町で知られていました。
この絵は宿場の西はずれの安倍川の風景を描いています。
ここも徒行(かち)渡しで、旅人は川越人足の担う輦台(れんだい)や
肩車で川を渡りました。
手前には3人の女性が3種類の方法で川越をしています。
右端には、笠を被った半纏を着た男がいます。
対岸からは、馬に荷を載せた男たちが渡ってきています。
さらにその向こうには状箱に頭上にかかげた飛脚、客の荷物を頭に
載せた人足、裸になり人足に案内される旅人がいますね。
川向うの山は、賎機(しずはた)山かと言われていますが、不明です。

少しアップしました。


原画はこちらです。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鞠子(名物茶屋)

2018-03-01 17:17:02 | 歌川広重 東海道五十...

京から数えて35宿目、鞠子宿です。
副題にあるように名物茶屋の看板に「とろろ汁」とあります。
当時、麦飯に青海苔とろろをかけて食べるのがおいしかったようです。
茶屋の中では、二人の旅人がとろろ汁らしいものを食べていて、背中に
乳飲み子を背負った茶屋のおかみが給仕をしています。

ちょっとアップしました。


原画はこちらです。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岡部(宇都之山)

2018-02-15 12:52:03 | 歌川広重 東海道五十...
京から数えて34宿目、岡部宿です。
岡部宿と次の鞠子宿の間には東海道の難所のひとつ、宇津ノ谷峠があり、その一帯を
宇津の山と呼んでいたそうです。
ここは「伊勢物語」の一節にある「蔦の細道」があったところだそうで、江戸時代の
旅人も業平の昔に思いを馳せ、土地の人に蔦の細道の場所を聞いたのかも知れません、
と解説されています。
絵は、伊勢物語にある従者を伴い山道を登る公家と笈(おい)を背負って下る僧に代
わり、柴や薪を背負った地元の人々の姿を描いています。
蔦の細道、訪ねてみては如何でしょうか。

原画はこちらです。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

藤枝(人馬継立)

2018-02-01 11:01:32 | 歌川広重 東海道五十...
京から数えて33宿目、藤枝宿です。
この絵は問屋場の風景を描いています。箱根の関所を見学した時にこの絵が飾られてい
ました。問屋場とは、人馬の継立や公用旅行者の宿舎手配など、宿場の中でも特に重要
な業務を行う施設です。そういう訳で事務所の部屋は外部とのやり取りのため障子など
なく、一段高い造りになっています。
継立は、前の宿場から送られて来た荷物を新たな人馬に積み替えて次の宿場に送り継ぐ
業務です。
右端の一段高い所に問屋場の役人が見守る中、笠を被り黒い羽織を着た荷主らしい武士
と、帳面を片手に持った帳付が荷物の確認を行っています。
馬から荷物を下ろす者までは制作できましたが、その他の人夫ば場所が狭くなり入り切
りませんでした。
こちらは、荷物が着く前の閑散とした風景です。奥で馬が飼葉を食っています。

こちらは、荷物が着きにわかに賑やになった問屋場の風景です。


原画はこちらです。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

嶋田(大井川駿岸)

2018-01-11 14:13:36 | 歌川広重 東海道五十...
京から数えて32宿目、嶋田宿です。
金谷宿と嶋田宿の間には、遠江と駿河の国境であった大井川があります。
この川も橋がなく、川越人足による徒行(かち)渡しでした。
「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」と唄われたように、ひとたび
雨が降って増水すると何日も川留めされました。
大名行列の先頭の者たちが、肩車や平輦(ひられん)台で渡る間に、手前では鉄砲や
長槍を持つ武士たち、行列の主の駕籠、荷物の上で休む者たちがいます。
右側には、人足たちの休む小屋もあります。

少しアップした写真です。


原画はこちらです。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

金谷(大井川遠岸)

2017-12-28 11:30:31 | 歌川広重 東海道五十...
京から数えて31宿目、金谷宿です。
遠景の山々は、今の牧之原台地の北東縁にあたるそうです。
しかし高くなっているような山は存在せず、広重の構図作りで描かれたもののそうです。
昔は大井川を境にして駿河と遠江に分けていました。
山麓の家屋のあるところが金谷坂で、金谷宿はこの麓になるようです。
現在は、大井川橋がかかっていますが、当時は幕府の政策で徒行(かち)渡しとなって
いて、大勢の渡し人足が働いていました。

別角度からです。

原画はこちらです。


兎にも角にも、小さい人物を大勢制作して疲れましたが、完成するとまぁまぁでした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日坂(佐夜ノ中山)

2017-12-07 16:53:06 | 歌川広重 東海道五十...
京から数えて30宿目、日坂宿です。

この辺りは佐夜ノ中山と言われる旅の難所で、日坂宿を過ぎて峠に行く途中に夜啼石という
遠州七不思議のひとつがあります。
http://www.shizufan.jp/netamap/seibu/18592/
坂の下で旅人たちが恐る恐る取り囲んでいるのが夜啼石で、石には「南無阿弥陀仏」と
書かれているそうです。もちろん我が作品には書いていません。
彼方の青い山は無間山(粟ケ岳)となっています。この山にあった観音寺には撞くと
現世で大金持ちになるが死後無間地獄に落ちるという無間の鐘があったそうです。

別角度からです。


原画はこちらです。


人物を制作するため絵を詳しく見たら、坂を駆け上がっている2人は駕籠かきで、何と、
駕籠を担いでいました。今回も曲がりくねった松の樹に苦労しました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

掛川(秋葉山遠望)

2017-11-16 13:59:07 | 歌川広重 東海道五十...
京から数えて29宿目、掛川宿です。

秋葉山の山頂近くに秋葉大権現があり、宿場の西を流れる倉真川に架かる大池橋の
たもとから見た風景だそうです。
手前に2つの常夜灯があり、大権現への参道、秋葉道を示唆しているそうです。
橋の上では旅の僧と行き合った老夫婦が深々と腰を折ってお辞儀をしています。
腰の低さが信心の高さを現しているんだそうです。
遠方に見える秋葉山は岩山風に描かれていますが、実際はそんなことはないそうです。
空には凧が舞っていて、いろんなものを制作できて楽しかったですね。

これは通行人がいない風景です。


こちらが、鳥瞰図的な風景です。


原画はこちらです。


この作品のメインが橋と思い、1週間かかりました。常夜灯も結構な時間がかかりました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

袋井(出茶屋ノ図)

2017-11-02 19:53:04 | 歌川広重 東海道五十...
京から数えて28宿目、袋井宿です。

袋井宿は東海道の京と江戸とのちょうど中間にあるようで、ようやくの感です。
特に絵になるような名所・旧跡がなく、宿場外れの茶屋風景を描いたとされています。
手ぬぐいを被った女が石積みの竈でやかんで湯を沸かしています。
やかんを樹に吊るす風景がおもしろいですね。
客は、二人の駕籠かきと定紋の入った腹掛けをした定飛脚とあります。
駕籠かきの一人は、竈の火で煙管を吸いつけていて、もう一人は駕籠にもたれて
うたた寝をしています。

中央の樹が本命と思い制作に3日かかりましたが、立派になりました。
別々に造っていたら、やかんがやたらに大きくなってしまいました。
同じ作業をする気力がないので、このままで完成としました。

人物を配置すると背景が映らなくなるので、まず “ Before “ です。

“ After ” が、こちらです。

原画はこちらです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

見附(天竜川図)

2017-10-19 13:03:32 | 歌川広重 東海道五十...
京から27宿目、見附宿です。

浜松から見附までは4里7町の長い道のりですが、その途中に「暴れ天竜」と
呼ばれた急流を船で渡らねばなりませんでした。
天竜川の川幅は東海道あたりで約10町(1090m)ほどで、川には中州があり、
大天竜、小天竜と呼ばれていました。この二つの瀬を舟で渡ることを「ニ瀬越え」
と呼んでいたそうです。
この絵も「二瀬越え」の風景を描いたものですが、手前の舟を撮ると向こう側が
見えなくなるので、BEFORE & AFTER で掲載しました。
<Before>

向こう側は行きかう多くの舟や舟待ちの人々がにぎやかですが、手前側は客待ち
の二人の船頭ののんびりした風情が描かれています。
中央の舟待ちの集団の制作に一番時間がかかったのですが、結局はよく見えなく
なっているのは、まだ、未熟な腕のためですね。
<Ater>

原画はこちらです。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

浜松(冬枯ノ図)

2017-10-05 10:57:17 | 歌川広重 東海道五十...
京から数えて26宿目、浜松宿です。
家康ゆかりの浜松城は老中に出世する大名が多く、出世城とも言われたようです。
絵の右奥にお城がありますが、実際とは違うそうです。
絵の真ん中に大木があり、広重の特徴だとか。
副題が冬枯の図となっていて、街道で半裸の男たちが焚き火にあたっています。
通りすがりの旅人が興味深くその様子を見ていて、赤子を背負った女が箒で枯葉を
集めている様子が描かれています。
画面にある松の疎林は有名な「颯々(さざんざ)の松」を描いたものらしいです。

こちらは、別角度からです。

最初に絵を見た時に、どうやって創ろうかと一日考え込んでしまいましたが、何とか
完成できうれしい想いの作品になりました。

原画はこちらです。


嬉しいことがありました。みなかみさんに「白須賀」を貰っていただけることに
なりました。置き場所に困っていますので、次の作品の場所ができます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする