京から数えて32宿目、嶋田宿です。
金谷宿と嶋田宿の間には、遠江と駿河の国境であった大井川があります。
この川も橋がなく、川越人足による徒行(かち)渡しでした。
「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」と唄われたように、ひとたび
雨が降って増水すると何日も川留めされました。
大名行列の先頭の者たちが、肩車や平輦(ひられん)台で渡る間に、手前では鉄砲や
長槍を持つ武士たち、行列の主の駕籠、荷物の上で休む者たちがいます。
右側には、人足たちの休む小屋もあります。
少しアップした写真です。
原画はこちらです。
金谷宿と嶋田宿の間には、遠江と駿河の国境であった大井川があります。
この川も橋がなく、川越人足による徒行(かち)渡しでした。
「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」と唄われたように、ひとたび
雨が降って増水すると何日も川留めされました。
大名行列の先頭の者たちが、肩車や平輦(ひられん)台で渡る間に、手前では鉄砲や
長槍を持つ武士たち、行列の主の駕籠、荷物の上で休む者たちがいます。
右側には、人足たちの休む小屋もあります。
少しアップした写真です。
原画はこちらです。