春日局の手紙、発見=奉公人気遣う―京都(時事通信) - goo ニュース
2012年11月30日(金)20:30
本願寺史料研究所(京都市)は30日、春日局が奉公人の医師玄利を気遣い、西本願寺にいる病気の母親と会わせるよう、同寺の良如宗主に依頼した手紙を保管史料の中から発見したと発表した。
同研究所によると、手紙は1640年11月に書かれたとされる。研究所は、プライベートな内容であることから他者が代筆した可能性は低く、春日局の自筆と判断した。格式ばった書体ではなく、リラックスした様子の美しい字で書かれている。
[時事通信社]
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読売新聞には「奉公人を気遣う⇔優しい」と書いていた。
朝日新聞には「役人を自由に使う⇔権力」と書いていた。
インタビューした人物の感性による違いなんだろうけど、面白いね。
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読売新聞
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20121201-OYO1T00319.htm?from=main2
浄土真宗本願寺派(本山・西本願寺、京都市下京区)は30日、徳川3代将軍家光の乳母・春日局かすがのつぼね(1579~1643)らの書状7通が保管史料から見つかったと発表した。春日局の書状は西本願寺に対し、自分に仕える奉公人の医師を、同寺にいた病気の母親のそばに帰して働けるよう依頼した内容で、優しい人柄を示す貴重な発見という。
書状は今年8~10月、西本願寺に隣接する同派の本願寺史料研究所(同市)内で確認された。うち春日局の書状は、表書きと文中に「かすか」の署名があり、私的な内容で、他者が代筆した可能性は低いことから直筆と判断した。
文面では1640年(寛永17年)11月12日、当時の同寺の門跡・良如りょうにょに宛て、「外科医・玄利の母は病気のため西本願寺にいるそうです。玄利は一人っ子で、門跡様に奉公したいと望んでいます。京都に向かわせますので、お寺で召し置いてもらえませんでしょうか」と記していた。
また、この依頼について幕府側の朝廷への使者を務めた吉良義弥きらよしみつが、西本願寺との間を取り持った書状も調査で見つかった。文面には「玄利に春日局の手紙を持たせ、京都へ向かわせました。不審な身の上ではなく、本願寺で働かせるのがよいと思います」と書かれている。義弥は赤穂浪士に討ち取られた吉良上野介こうずけのすけの祖父にあたる。
京都橘大の田端泰子名誉教授(日本女性史)は「若い頃苦労を重ねたことから、春日局は人の痛みがわかる優しい人だったとされる。周囲への心配りにもたけた局の性格がよくわかる文面だ」と話している。
ほかに、上野介が娘の結婚祝いを贈ってくれた西本願寺に宛てた礼状など5通もあった。7通は8日~1月27日、京都市下京区の龍谷ミュージアム(075・351・2500)で公開される。
朝日新聞
(※ネットで見つからなかったので紙面から抜粋)
自分に仕えた外科医を西本願寺で暮らす母親と再会させ、そのまま外科医が西本願寺に就職できるよう吉良上野介義弥に段取りを命じた、と寺に伝える内容だ。
(本願寺資料)研究所の大喜直彦・上級研究員は「~~~~~春日局の手紙からは、役人を自由に使うなど彼女の権力の大きさがわかる」と話す。
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