退院後、初脳外科外来。
情報過多で倒れていると言うと・・・
「それはリタさん、前の手術から4年経っているんです。それだけ年齢も重ねていますし・・・3か月くらいかけてゆっくり(体力の)回復されたらいかがですか。今は喜んだり楽しんだりすることに時間をお使いになって」と・・・。ゆっくりリラックスはものすごく苦手。。。
最近、例の最寄駅にて快気祝いのランチに誘い出していただくことがあった。
先日の眼鏡屋さん以来の外出。内心、どきどき。
倒れたらどうしよう。
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昔、猟師がある人の所に行ったら、鷲のひながひよこと一緒に餌をついばんでいたらしい。
なぜ、ひよこの中に鷲のひなをいれているのか聞くと、
「この鷲のひなは、自分が鷲だと知らないのです」…
そこで猟師が鷲のひなを山頂に連れていき、手にとまらせて空にその手を差し出すと、鷲のひなが風を受け、大空に羽ばたいて行った。
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「3ヶ月が永遠に思える…」とくらくらしている私に
「永遠を知らないくせに!!」と噴き出して、「自分が鷲だと知らないくらい若いんだから、風を受けて羽ばたけ!!」と。
「にわとりには失礼だけど、地面ばっかり見て餌をついばむなよ!」と。
「若いうちしか挑戦できないぞ!」と。
「風になれ、風に。」
嵐にも台風にもなって破壊することもあるけれど、
暑い日には爽やかな風を、汚れを一掃する風、流れに任せて冷たくも暑くもなる風。
自分が風という意識がない風。
人間の考える相対的な基準でいくと、勝ち負けでいえば、私が「勝った」「追いついた」…と思える日はきっとこない。
ずっと負けたまま。
これには、結構ずきっ
でも、「勝ち組」の人や事象は勝っている意識がそもそもない。
だいたい勝ち負けじゃないから。
ならば、風になって、無意識に5月の風になったほうが豊か。
なるほど。
手放す…というのはかなり意識が必要だから、
風になって思いのまま吹いているうちに、気がついたら手元にない、
というほうが楽。
「以前に比べてこんなことができなくなった」とか、できていた事実を手放す話ね。
ニコデモとの会話みたい。
それでも私は最終的な希望があるので、身体的な困難はそれなりに受け止められるようになった。
「でも、次復活するなら、別な身体がいいかも」と私。
「それは、今の身体を否定することにならないか」
私「二分脊椎というか…。せっかくだから、男性とか、全く人種が違う人とかが良いかも…」
「・・・もう一回この世で生きる気?」
ああそうか
疲れたけど、いい時間だった。
たくさん笑った頑張ってゆっくりしよう。我慢我慢。急がば回れ。
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