興行的に「ハズレ」たから失敗作なのか。
ヒットしなかったとしても制作費が少なかったため、ぎりぎり黒字になれば成功作といえるのか。
逆に興行的成功を収めても莫大な制作費を回収出来なければ、それは失敗ということになるのか。
そういうことではなく、
ヒット作でも批評家受けが悪かったら失敗作になるのかもしれないし。
批評家受けがよくても観客からは嫌われる映画だってあるわけで。
だから、どの視点で捉えるかによって失敗か否かが変わってくる。
本稿における失敗作とは、「野心的な試みに挑戦し、躓いた」映画のことをいう。
だから、興行的あるいは批評的には失敗したかもしれないが、映画史的には「偉大」であると。
今年の映画でいうと、『ダイハード』の最終作(なのかね?)は野心的でもなんでもないので、駄作ではあるけれど失敗作ではない、、、みたいな。
これもまたある意味で勲章―いや馬鹿にしているんじゃなくってね、ほんとうに。
誰も見たことのないどこかを目指した冒険者たちを称える気持ちで、この10傑を展開してみたい。
※というわけなので、一般的には成功作とされている映画も含まれる
(1)フランシス・フォード・コッポラ、『地獄の黙示録』(79)
戦争を通し、米国をまるごと捉えようとした「超」野心作。
コッポラが命をすり減らして撮ったであろうことが皮膚感覚で伝わってきて、だからいま(敢えていうが)抜け殻になっていたとしても、そりゃそうだろう・・・と思う。
(2)ガス・ヴァン・サント、『サイコ』(98)
リメイクはリメイクでも、こんな創りのリメイクは世界でも初だろう。
98%のシーンを「同じアングル」「編集タイミング」で撮っているのだから。
なんというか、習作みたい。
しかし、なぜだか憎めない。
(3)マーティン・スコセッシ、『ギャング・オブ・ニューヨーク』(2002…トップ画像)
企画○年というのは、熟成し過ぎたがゆえに失敗することが多い。
見応えはあるし、震えるシーンも多かった。
しかしそれでも、撮るのが遅過ぎたのだと思う。
当時は「あり」だと思っていた「ツインタワーの亡霊」ショットも、いま観ると「うーん」だったりする。
(4)小栗康平、『眠る男』(96)
群馬の星が二夜連続で登場。
いや、ある意味では傑作である。
傑作ではあるのだが、こういう映画を県の出資で撮るのは間違っていると思った。
なぜなら群馬のおじちゃんおばちゃんたち、みんな劇場でいびきをかいていたのだから。
(5)スティーブン・スピルバーグ、『宇宙戦争』(2005)
スピルバーグのイビツさが際立った作品で大好きなのだが、一般的な評価は芳しくなかった。
なにも解決しないまま唐突に幕を閉じるところとか、拍手モノなのだが。
(6)デヴィッド・リンチ、『ロスト・ハイウェイ』(97)
刺激的なショットは沢山あるが、失敗は失敗だと思う。
しかしこの失敗があったからこそ、『マルホランド・ドライブ』(2001)が出来上がったんだと思う。
(7)マイケル・チミノ、『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』(85)
スタジオを潰した『天国の門』(81)で有名な監督だが、チミノといえば(自分の)世代的にはこれ。
再起を図り、そこそこ成功したかのように見えて、やっぱり金を使い過ぎたので失敗作に・・・というのが、このひとの性なのかもしれない。
(8)ピーター・ハイアムズ、『2010年』(84)
偉大過ぎる前作に対し、「軽さ」で勝負したところが果敢。
生き残った七人の侍の「その後を描け」といわれているようなもので、監督をしたというだけでも偉かったのではないか。
(9)黒澤明、『夢』(90)
やりたいことをやったという意味では、成功作。
ただ多くの観客が「ちがう黒澤」を期待していた・・・という意味で、失敗作。
映画は、やっぱり難しい。
(10)クリント・イーストウッド、『マディソン郡の橋』(95)
公開当時は「イーストウッドでも、失敗するのか・・・」と思った。
やろうとしていることは分かったが、この映画に関しては、ふたりともミスキャストだったような気がする。
※画質はサイアクだが、すっげ懐かしい
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『辞書よりアイドル写真集が多いって、モノカキとしてどうよ』
ヒットしなかったとしても制作費が少なかったため、ぎりぎり黒字になれば成功作といえるのか。
逆に興行的成功を収めても莫大な制作費を回収出来なければ、それは失敗ということになるのか。
そういうことではなく、
ヒット作でも批評家受けが悪かったら失敗作になるのかもしれないし。
批評家受けがよくても観客からは嫌われる映画だってあるわけで。
だから、どの視点で捉えるかによって失敗か否かが変わってくる。
本稿における失敗作とは、「野心的な試みに挑戦し、躓いた」映画のことをいう。
だから、興行的あるいは批評的には失敗したかもしれないが、映画史的には「偉大」であると。
今年の映画でいうと、『ダイハード』の最終作(なのかね?)は野心的でもなんでもないので、駄作ではあるけれど失敗作ではない、、、みたいな。
これもまたある意味で勲章―いや馬鹿にしているんじゃなくってね、ほんとうに。
誰も見たことのないどこかを目指した冒険者たちを称える気持ちで、この10傑を展開してみたい。
※というわけなので、一般的には成功作とされている映画も含まれる
(1)フランシス・フォード・コッポラ、『地獄の黙示録』(79)
戦争を通し、米国をまるごと捉えようとした「超」野心作。
コッポラが命をすり減らして撮ったであろうことが皮膚感覚で伝わってきて、だからいま(敢えていうが)抜け殻になっていたとしても、そりゃそうだろう・・・と思う。
(2)ガス・ヴァン・サント、『サイコ』(98)
リメイクはリメイクでも、こんな創りのリメイクは世界でも初だろう。
98%のシーンを「同じアングル」「編集タイミング」で撮っているのだから。
なんというか、習作みたい。
しかし、なぜだか憎めない。
(3)マーティン・スコセッシ、『ギャング・オブ・ニューヨーク』(2002…トップ画像)
企画○年というのは、熟成し過ぎたがゆえに失敗することが多い。
見応えはあるし、震えるシーンも多かった。
しかしそれでも、撮るのが遅過ぎたのだと思う。
当時は「あり」だと思っていた「ツインタワーの亡霊」ショットも、いま観ると「うーん」だったりする。
(4)小栗康平、『眠る男』(96)
群馬の星が二夜連続で登場。
いや、ある意味では傑作である。
傑作ではあるのだが、こういう映画を県の出資で撮るのは間違っていると思った。
なぜなら群馬のおじちゃんおばちゃんたち、みんな劇場でいびきをかいていたのだから。
(5)スティーブン・スピルバーグ、『宇宙戦争』(2005)
スピルバーグのイビツさが際立った作品で大好きなのだが、一般的な評価は芳しくなかった。
なにも解決しないまま唐突に幕を閉じるところとか、拍手モノなのだが。
(6)デヴィッド・リンチ、『ロスト・ハイウェイ』(97)
刺激的なショットは沢山あるが、失敗は失敗だと思う。
しかしこの失敗があったからこそ、『マルホランド・ドライブ』(2001)が出来上がったんだと思う。
(7)マイケル・チミノ、『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』(85)
スタジオを潰した『天国の門』(81)で有名な監督だが、チミノといえば(自分の)世代的にはこれ。
再起を図り、そこそこ成功したかのように見えて、やっぱり金を使い過ぎたので失敗作に・・・というのが、このひとの性なのかもしれない。
(8)ピーター・ハイアムズ、『2010年』(84)
偉大過ぎる前作に対し、「軽さ」で勝負したところが果敢。
生き残った七人の侍の「その後を描け」といわれているようなもので、監督をしたというだけでも偉かったのではないか。
(9)黒澤明、『夢』(90)
やりたいことをやったという意味では、成功作。
ただ多くの観客が「ちがう黒澤」を期待していた・・・という意味で、失敗作。
映画は、やっぱり難しい。
(10)クリント・イーストウッド、『マディソン郡の橋』(95)
公開当時は「イーストウッドでも、失敗するのか・・・」と思った。
やろうとしていることは分かったが、この映画に関しては、ふたりともミスキャストだったような気がする。
※画質はサイアクだが、すっげ懐かしい
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『辞書よりアイドル写真集が多いって、モノカキとしてどうよ』
あの役はトム・クルーズである必要があったのか?
他の俳優でも成り立ったように思える
テレビ版制作なんて出てたような?
地獄の黙示録確かに偉大な作品意欲作。
よくぞ完成にこぎつけたたなんて思います。
♪の例で恐縮ですが・・・
ビーチボーイズやフーは完成しなかった、幻で終わって
しまいましたからね。