ヒトリシズカのつぶやき特論

起業家などの変革を目指す方々がどう汗をかいているかを時々リポートし、季節の移ろいも時々リポートします

オーストリアのウイーン市中心部にある王宮などを“お上りさん”として見学しました

2014年04月15日 | 旅行
 オーストリアのウイーン市街地の中心部にある王宮(Holbulg)などに行った話です。今回は、ウィーン初心者の“お上りさん”見学記です。

 Uバーンと呼ばれる地下鉄「U3」のファルクスシアター(Volkstheather)駅から地上に出ると、日本の東京都でいえば皇居前広場みたいな周囲に建物がほとんどない広大な空間が広がる場所に出ました。東京駅の丸の内側から行幸通りを進んで和田倉噴水公園界辺りにいきなり出た感じです。

 広大な通路の両側に中世風の大きな威厳ある建物が向かい合って立っています。

 自然史博物館と美術史博物館です。下の画像の美術史博物館には、王宮を見学し、さらに昼食を済ませた後に行きました。



 美術史博物館には、ハプスブルグ家が16世紀以降に収集した美術品が多数展示されています。ブリューゲル、ディーラーなどの美術の教科書に出てくる作家たちの絵画などが多数並んでいるため、全部見るとかなり疲れました。

 展示されているピーテル・ブリューゲルが描いた名作「農家の結婚式」です。



 向かい合って立つ自然史博物館と美術史博物館の真ん中に立っているマリア・テレジア像です。



 このマリア・テレジア像がある広場は午前8時ごろと早朝だったので、観光客はほとんどいません。地図を片手に王宮を目指して進みます。

 威厳のあるブルグ門を抜けると、広大な広場にオイゲン公騎馬像(画像の右下側)があり、その背後に立派な新王宮(エフェクス博物館など)がそびえています。「これが王宮では」と考えたのですが、もう少し先でした(北東方向に)。



 その先の威厳のある建物のかたまりが、旧王宮などを含む王宮でした。

 この王宮の入り口付近にある入場券売り場は「午前9時から」との表示なので、一度、ミヒャエル広場側まで通り抜けました。ここは、ふだんは観光客であふれる場所です。

 午前9時少し前に、入場券売り場に戻ると、開いていたので、入場券を購入しました。

 旧王宮の入り口の中庭に立っているフランツ一世の銅像です。



 この銅像の右手の建物が旧王宮です。

 旧王宮の中心になっている展示物は、ハプスブルグ家最後の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世とその皇后のエリザベートの居室や皇后エリザベートの生活を伝えるシシィミュージアム(Sisi Museum)です。

 王室で使用された皇帝銀器コレクションなども見学しました。磁器の食器コレクションも拝見しました。



 自然史博物館と美術史博物館が立つ広場から王宮までの広大な空間は、ハプスブルグ家の栄華を淡々と語っています。どこをみても絵になる建物や銅像などがあちこちに立っています。ウィーン市の大きな魅力です。

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5 コメント

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威厳ある銅像 (フットサル)
2014-04-15 07:36:12
今回、御ブログで紹介されているどの銅像も、歴史を感じさせる威厳あるものです。
新王宮も見事な建物です。圧倒される感じです。
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ウィーン市の博物館 (メグロ警部)
2014-04-15 09:19:44
 オーストリアのウィーン市はハプスブルグ家が蓄えた財宝や生活道具、絵画などを展示する博物館・美術館を売り物に、世界中から観光客を集めています。
 日本は京都市や奈良市の寺や寺院には、いくらか外国人観光客を集めていますが、東京に来る外国人は何を見に来るのか分かりません。
ハイテク機器・施設にあふれる東京が売り物かもしれません。
また、東京から京都まで、新幹線で移動する外国人観光客が多いと思いますが、数分ごとに新幹線が入ってきて出発するシステムは、他の国にはありません。
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美術史博物館 (ペリエ)
2014-04-15 18:23:00
美術史博物館に展示されている絵画では、スペインの宮廷画家のディエゴ・ベラケラスが描いた王女の絵が記憶に残っています。

多数のギャラリーが続くので、途中で休みを取らないと、かなり疲れます。
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マリア・テレジア (ほどほど)
2014-04-16 08:23:44
マリア・テレジア像は、ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝カール6世の長女として誕生したマリア・テレジアが皇位を継承し、それに不満がある領主たちと領土争いをした彼女の意思を感じさせます。
昔習った世界史の教科書を思い出しました。
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ほどほど様 (ヒトリシズカ)
2014-04-16 09:25:20
ほどほど様

コメントをいつもいただき、ありがとうございます。

マリアテレジアが継承したオーストリアは現在のドイツ、スイス、ハンガリー、イタリアなどに囲まれた地域で、領土争うが多いところだったようです。プロイセンとの争いが有名です。

戦争を仕掛けると同時に、子供をスペインやフランスなどの王室に嫁がせて、関係を巧みに築いていったそうです。

まさに権謀術策の極みのようです。

欧州の王室は婚姻関係で互いに協調する部分と、領土争いとなかなか複雑です。

日本の北海道程度と小さなオーストリアが勢力の均衡の中で生き延びるのは大変だったことと思います。

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