人気小説家の原田マハさんが書いた「リーチ先生」を読み終えました。日本で陶芸家として活躍したイギリス人陶芸家のバーナード・リーチさんの自伝風小説を読んだ感想の続きです。
この作品は、2016年10月30日に集英社が発行しました。ページ数は中身が464ページと少し分厚いです。
この小説「リーチ先生」は、苦労して陶芸家になった沖亀之介という少年・青年が見た、イギリス人陶芸家バーナド・リーチさんの成長記録です。
東京都内で、たぶん日本で初めてエッチング画の教室を開いたバーナド・リーチさんは、次第に有名になり、友人関係が増えていきます。
日本で3年目を迎えたバーナド・リーチさんは、沖亀之介青年と友人の宮本憲吉さんと3人で、陶芸家の下村氏と知り合い、陶器の絵付けを楽しみます。こうした経緯から、1911年(明治44年)に、バーナド・リーチさんは、東京の上野で江戸時代から続く陶芸家の尾形乾山(けんざん)の6代目の浦野光山(こうざん)に師事し、陶芸を学び始めます。その修行の末に、バーナド・リーチさんは熱心な態度と腕前を見て、浦野光山さんは、バーナド・リーチさんに尾形乾山(けんざん)の7代目を継いでほしいと言い始めます。
ちょうどその頃、建設会社に勤めていた宮本憲吉さんも、会社勤めを辞めて、芸術的な仕事をしたいと思い始めます。
時が進み、バーナド・リーチさんは一時、中国の北京市に移り住みますが、また東京に戻り、自分の窯を持ちたいと計画を立てます。紆余曲折がありながら、千葉県の我孫子市の柳宗悦邸の庭に何とか窯を完成させます。
バーナド・リーチさん達は、日本の工芸品の多くが名もない職人がつくり、味わい深いものが多いと、民芸品の価値を見いだしていきます。
東京高等工業学校に通って技術を学んだ濱田庄司さんは、新しい陶芸の道を選ぼうと、バーナド・リーチさん達に合流します。
我孫子窯での作品づくりでは、武者小路実篤さんや志賀直哉さんたちも登場します。近代化しつつある日本の中で、日本らしい芸術を求めている同志でした。
バーナド・リーチさんが日本に来て11年経った1920年(大正9年)に、バーナド・リーチさんは英国に帰り、そこで窯を築き、英国で陶器・磁器の工房を持ちたいと考えます。運良く、費用を出してくれる資本家を見つけ、英国で工房を開きます。実際には、いい陶器の原料となる粘土探しに苦労したのですが・・。
英国の工房には、濱田庄司さんと沖亀之介青年も同行し、異国の地での陶芸事業起こしにかなりの苦労を重ねます。
陶器の魅力にとりつかれ、その職人芸のために、ひたすら精進を重ねるバーナド・リーチさんの人生に、濱田庄司さんの人生がからみ、そして沖亀之介青年も陶芸職人として成長していきます。
努力に勝るものはないことが伝わる小説です。明治後期から大正時代は、日本の産業の振興が始まったころです。古い日本が次第に近代化していく過程も描かれています。
ただし、あまり教訓めいた中身ではありません。この辺が作者の原田マハさんの小説家としての腕前・筆力です。
この作品は、2016年10月30日に集英社が発行しました。ページ数は中身が464ページと少し分厚いです。
この小説「リーチ先生」は、苦労して陶芸家になった沖亀之介という少年・青年が見た、イギリス人陶芸家バーナド・リーチさんの成長記録です。
東京都内で、たぶん日本で初めてエッチング画の教室を開いたバーナド・リーチさんは、次第に有名になり、友人関係が増えていきます。
日本で3年目を迎えたバーナド・リーチさんは、沖亀之介青年と友人の宮本憲吉さんと3人で、陶芸家の下村氏と知り合い、陶器の絵付けを楽しみます。こうした経緯から、1911年(明治44年)に、バーナド・リーチさんは、東京の上野で江戸時代から続く陶芸家の尾形乾山(けんざん)の6代目の浦野光山(こうざん)に師事し、陶芸を学び始めます。その修行の末に、バーナド・リーチさんは熱心な態度と腕前を見て、浦野光山さんは、バーナド・リーチさんに尾形乾山(けんざん)の7代目を継いでほしいと言い始めます。
ちょうどその頃、建設会社に勤めていた宮本憲吉さんも、会社勤めを辞めて、芸術的な仕事をしたいと思い始めます。
時が進み、バーナド・リーチさんは一時、中国の北京市に移り住みますが、また東京に戻り、自分の窯を持ちたいと計画を立てます。紆余曲折がありながら、千葉県の我孫子市の柳宗悦邸の庭に何とか窯を完成させます。
バーナド・リーチさん達は、日本の工芸品の多くが名もない職人がつくり、味わい深いものが多いと、民芸品の価値を見いだしていきます。
東京高等工業学校に通って技術を学んだ濱田庄司さんは、新しい陶芸の道を選ぼうと、バーナド・リーチさん達に合流します。
我孫子窯での作品づくりでは、武者小路実篤さんや志賀直哉さんたちも登場します。近代化しつつある日本の中で、日本らしい芸術を求めている同志でした。
バーナド・リーチさんが日本に来て11年経った1920年(大正9年)に、バーナド・リーチさんは英国に帰り、そこで窯を築き、英国で陶器・磁器の工房を持ちたいと考えます。運良く、費用を出してくれる資本家を見つけ、英国で工房を開きます。実際には、いい陶器の原料となる粘土探しに苦労したのですが・・。
英国の工房には、濱田庄司さんと沖亀之介青年も同行し、異国の地での陶芸事業起こしにかなりの苦労を重ねます。
陶器の魅力にとりつかれ、その職人芸のために、ひたすら精進を重ねるバーナド・リーチさんの人生に、濱田庄司さんの人生がからみ、そして沖亀之介青年も陶芸職人として成長していきます。
努力に勝るものはないことが伝わる小説です。明治後期から大正時代は、日本の産業の振興が始まったころです。古い日本が次第に近代化していく過程も描かれています。
ただし、あまり教訓めいた中身ではありません。この辺が作者の原田マハさんの小説家としての腕前・筆力です。
近代化する日本に偶然、訪れた西洋人を受け入れた白樺派や、現在の民芸運動の方の度量がなんとなく分かります。
コメントをお寄せいただき、ありがとうございます。
日本での近代的な産業化は、明治時代はその準備期間で、本格的には大正時代からです。現在の大手企業の創業は大正時代です。
まだ前近代的な日本社会での英国人のバーナド・リーチさんの苦労は、米などの日本食対応からパン食への対応なども、この小説では描かれています。、
この小説には、バーナド・リーチさんのところに、濱田庄司さんが加わった歴史も描かれているのですね。
読んでみたくなりました。
こんばんは。
ちょうど今から100年ほど前のお話になりますね。
亡くなった母が大正7年生まれですので、米騒動のあった時期ですね。重工業が発達し好景気をむかえ、文化・芸術の面でも充実してきた時期なのでしょうか!?
コメントをお寄せいただき、ありがとうございます。
この小説の舞台になった約100年前の明治後期。から大正時代は、日本の産業の振興が始まったころです。
富国強兵・産業振興策によって、現在の多くの大企業の基となる企業が創業し、成長し始めました。
第二次産業の振興によって、農業・漁業などの第一次産業からシフトし始めます。民芸運動が守ろうとした各地の手工芸もいくらか消えて行きました。
コメントをいつもお寄せいただき、ありがとうございます。
この小説の舞台になった約100年前からは、日本は産業化が大きく進みます。
一つは、鉄鋼業などが発達し、造船業ができていきます。日露戦争後に、船艦・砲弾などの軍事力を強化できる実力を持ちます。日露戦争で得た戦勝金は当時の日本にとっては大きなお金・資金でした。
この結果、現在の日立製作所やトヨタ自動車などは創業100年プラスです(おおまかにですが)。現在の大企業の多くが創業し、産業化が進みました。この結果、大企業や中小企業に勤める中間層ができ、大正デモクラシーが進みました。
しかし、これが裏目に出て、昭和時代からは一気に軍国化していきました。富国強兵を実効できる力を持ったからです。資本主義が進み、不況もできる状況になり、庶民は米の買い占めなどによる高騰に苦しみました。日本の中間層はまだ未成熟でした(結構、独断と偏見による日本の100年の歴史外観ですが・・)。
こうした変化が激しい日本で、英国人のバーナド・リーチさんは、苦労したことも多かったと思います。
同時に、のバーナド・リーチさんが守ろうとした工芸品は消えていったものが多く、高級化で生き延びています。庶民の日用品ではなくなっています。