昨日は午前中に友人の梅林で梅ちぎりをして、ダンボール3箱頂いた。この作業梅木に生っている梅の実を手でちぎるくらいに簡単に考えていたのだが、事路がどっこいー
木は大きく、梅は身長よりも高い所に生っている。どうするのかな?友人はアルミパイプで何段かに伸ばせる先のカギ型になった道具を使って枝にそれを引っ掛け力を入れて揺する。そうすると反動で梅がバラバラと落ちてくる。木の下には広いシートを敷いて落ちてくる梅を受け止めるのだ。これが力作業
頂いた梅、昨日一日干して、今日いよいよ梅干や梅酒に処理しなければならない。たいへんだが楽しみでもある
午後2時から公民館で「古文書講座」が開講になって参加することにした
現役時代、熊本市内で教員仲間から誘われて受講したことはあるのだが、なかなか古文書は読めない
出掛けると参加者は思いの外多くて会場はいっぱい。1万2千人の村だ、「古文書」なんて興味を持つ人いるんだろうかと出かけたのだが、予想外だった。
年間10回の講座で資料代2000円で受講できる。しっかり勉強しようと参加した。先生は地元の研究者で元この近くの中学の校長をされていた方で齢85歳。矍鑠とした先生だった。
テキストは古文書のコピーを20枚程度頂いて、昨日は明治維新の数年後村に配布された「触状」の写しだった。内容は天皇のお誕生日には役所を休みにして奉祝するので国民も挙って祝うようにーこういう趣旨のお達しだった。
昔は携帯もPCもない。郵便制度もそれほど整っていない。だから法令、達しは津々浦々に周る。その時村の代表者たる庄屋の元に「触状」として届く。どんどん「写し」が作成され回っていく。墨をすり筆を使い書いていくのだ。だからいちいち楷書できちんと丁寧にと言うわけにはいかない。
昨日の文書も最初は楷書だが次第に崩れ行書になり草書になっていく。そして特有の言い回しがあるのでなかなか読めないのだ
それでも読めると嬉しくなって「あっ読めた!これ○○と読むんでしょう?」と声にする。授業が教えるものと学ぶものの真摯な関係性=求めるものと伝えようとするものの繫がりー教育の原型がここにある。
楽しい古文書講座だった。2週間に1回、10月まで続く。時間はちゃーんと予習していこう・・・っと