おやままさおの部屋

阿蘇の大自然の中でゆっくりのんびりセカンドライフ

冬の家庭菜園は何もすることがない?!!

2013年01月24日 10時04分39秒 | 日記

今朝の我が家の畑の様子。font>

腰を痛めて3日目。一番ひどい状態の時には痛み止めを探し出してカロナール、市販のバッファリンを服用した。しかし、あまり効果はなかった。

痛むときには痛みを大事な体から心への情報発信として慌てず騒がず、静かに聞き取ることが必要なのだろう。
腰の痛みは何を訴えているのだろう?

一つは厳寒期の定年退職者で無職の「遊び人」の私は現在グータラ生活を送っている。

何をしているかといえば本を読むか昼寝をしているか、ブログを書いていてネットサーフィン

正月太りでまだ2キロオーバー状態は変わらない。慌てて毎日1時間程度歩いたりジョッグしたりし始めたと思った矢先の腰痛

痛みがあっても食欲はいっこうに減らないし、積極的に減食しようとも考えない。当然、ウウェイトの増加曲線は株式と逆に反転上昇を続けている。

ここに腰痛のすべての原因が隠れていると推論する。

1.運動不足と急に過度の運動を入れて体重の負荷に腰椎を護る大腰筋が耐えられなくなった?
2.ウォーク、ジョグといっても他に何もしないので全身の筋肉が使用されているわけではないので、腰にはその部位の筋肉強化の運動が必要になる。この不足状態。
3.厳寒期を除く季節は畑仕事において作物それぞれにすることがある。この時期だけは寒さで植えている品種も成長を殆ど休停止しているので、することがない。だから畑仕事で働かないので筋肉を働かせて汗を流すこともない。エネルギー消費もないし、食う量は変わらないから答えは算数の引き算。摂取カロリーに余りが出る。至極当然のこと。

「わかっているけど止めらない。そりゃスイスイスーダララッタスラスラスイスイスイ・・・♪」植木等が昔このスーダラ節を歌っていた。

畑に写真を掲載したけれど、トンネルは春菊、キャベツ、豆類、ブロッコリー、カリフラワー、サラダ菜など、マルチ栽培はタマネギ、ラッキョ、ニンニク。あと細葱(わけぎ)、ふと葱、白菜の残りなどなど。

あと終わった場所には藁を短く切断して播き、藁灰も何度か鋤いた。

2月になればタマネギの追肥をする予定だが、今のところはすることが見当たらない。この何日かは比較的冬にしては温暖な気候が続いているが、まだまだ寒さが続く。3月遅い時には4月の降雪もある山間地。

さてさて全身の運動をするにはどうしたものか???

まだ腰の痛みがビリビリするので激しい運動はだめだが軽い散歩くらいしないと却って回復が遅いのではないかと思う。

今テレビで見たけどワッキーがサハラ砂漠250kmマラソンに挑戦中だとかー今夜その結末が放映される。これを見てグータラ根性に活を入れよう

痛ったーい!!腰痛再発だー

2013年01月23日 11時10分39秒 | 日記


こんなんばっか食ってるから体重が増えて、腰に負担がかかってるのだ!!font>

昨日、午前中は自分の部屋で机に座って本を読み、ノートを取ったりしていた。

ところが離れの書斎から母屋に戻ると急に腰が痛くなり、体がぐにゃっと外側に曲がり、痛くてうまく歩けない最悪の状態になってしまった。

夕方は友人との新年会。お昼を食べてから近くの温泉センターに直行。

行き付けの温泉というのは下田城駅温泉といって南阿蘇鉄道の駅舎に温泉が作られている。駅の建物の半分が温泉という珍しいところで、なかなか泉質もよくて温度も私は丁度いい。40度ほどだろう。

「風呂に浸かって本を読む長ーく温泉に入る派」の私は、ぬる目のお湯がいいのだ

浴槽の端っこに電気をかける場所があるのでこれで腰を治療しようと考えた。病院には行くまでもないと判断。

温泉で体を温めて、腰を電気治療し、帰って体をベッドに横たえた。

夕方には少しはよくなるかと思ったのだが、やっぱりダメ

腰にシップを貼り、さらにコルセット(持病なので常備している)を装着し、黄門様の使用の節のある竹の杖を使って隣町の会場まで移動。

この高森町は1万人にも満たない小さな寂れたところで、夜になると完全に人の姿が消える。

人通りのない町並みの真ん中にある古ーい旅館に到着。お座敷に出席者8人分の座席が用意されていた。私には特に低いイスを用意していただき、開宴。

料理は一人3000円なのだが気持ちのこもった暖かい田舎料理でみな美味しかった。

この後、お隣のスナックに行き、カラオケで楽しんで帰宅。妻は運転があるので大好きなを我慢してもらった。ゴメン必ずこの埋め合わせはするからさ・・・?

今朝は昨日よりか幾分は痛みが減ったけれど、ついさっき10時オープンの温泉に一番に入って温まって来た

こういうときは温泉様様だ。入場料300円也


キンタロー。それでも面白い

2013年01月21日 09時29分34秒 | 日記


こういう囲炉裏のある日本間が欲しかったなあ・・・椎葉村にて。

strong>ものまねに新しいスターが誕生したようだ

その名を「キンタロー。」という。不思議な名前だ

キンタロー。なら男かと思いきや女。

結構年も行っている。

その芸は元AKBの前田敦子のまのまね。顔はエクストラBUSS(失礼)なのだが、声と表情、仕草・・・これが似ているのだ

顔はでかいし、背は低いし、目鼻立ちも加えて整っていないので敦ちゃんとは程遠い筈なのだが、見てるとだんだん似てくるのが不思議

一発芸はいっぱいある。一発屋で遠く去っていった芸人もいる。売り出した芸が受けた場合、マスコミの寵児になってしまうのは世の常。スギちゃんの「ワイルドだろうー」が最近心なしか遠くなってきた。問題はこの後を連続して出せるかどうかだ。

すぐバラエティーに方向替えするものが殆どだが、芸人は自分の「芸」=芸能を売ってなんぼーの話

最近では芸人が体を鍛えて芸人のスポーツで名を馳せようとする者が多くなっている。これにオリンピック選手まで担ぎ出されている。これは噴飯物

スポーツの各種目は芸能の世界の「芸」?

キンタロー。にはアドバンテージがある。ダンスだ。彼女は社交ダンスの実力派らしい。確かに敦ちゃんのまねをする時のダンスの切れが抜群だ

私が好きなのは最後の「フライングゲット」。これがなんとも可笑しいのだ。顔はあの泣き顔で哀愁を帯び、そしてそのフリがAKBのマネがどうかは知らないが可笑しみがある。

1発屋芸人といえばこの県には多い。「ひろしです・・・」、「ギター侍」の波田陽区がいる。一時期は月収で2000万円あったらしい。かれはどこへ行った???

顔を真っ白に塗った小梅太夫って好きだったのだが、もう全然出ない。

売り出し中の芸人では稼ぎ頭はウッチャンナンチャンの内村だろう。そしてクリームシチューの二人。

芸人でもジャンルがあるので一概には言えないけど、話芸であれば「ふざけた話」の見えない裏側に深い知識がなければならない。

ネタの面白さは裏側にある「知性」(クイズに出るような浅く薄くではない深い思索と鋭い直観力)から逆照射されるので寝たの面白さが浮彫りになるのだ。底の浅い簡単なギャグだけでは客を満足させられないだろう。客は飽きっぽいのだ。

キンタロー。頑張れ!応援してるぜ



初詣の”ブランド”神社

2013年01月20日 08時59分19秒 | 日記
阿蘇手野にある国造神社


ここは椎葉村の厳島神社

今年の初詣は地元の八坂神社というところだった。

八坂神社は京都東山にある有名な神社。ここと同名であることから同寺の末社になるのだろうか?

ここは創建は1500年前になるらしい。大層古い神社ではある。

元旦、熊本を東西に貫流する白川の上流部に当たり、去年7月の大雨(激甚災害)による被害の跡が今も生々しい。駐車場の目の前が白川で激流で両岸が崩れ、流されてきた岩、大木がまだ撤去されていなかった。復興作業・及び予算がここまで届かないのだろう。

神社は社格でいうと「郷社」の位置づけで、ブランドでは名も知れぬ下っ端。江戸時代は人民支配の末端組織に加えられていたらしい。寺請制度と同じようにー

境内は閑散としており、毎年ながらだーれも参拝者がいない寂しい初詣でだった。

2日には熊本市の日吉神社に参りに行ったが、ここは前日と違って人の多さに驚いた。ここは滋賀県にある日吉(ひえ)神社を勧請したもので、前日の八坂神社よりは格上。神主が友人でなかなか積極的に神社の「経営」に当たっており、訪れる度にきれいになり整備が進んでいる。

しかし、日本人とは面白い民族ではある

古来八百万の神の国、6世紀仏教伝来から仏教が国民の宗教の真ん中に座ったのだが、明治政府の仏教弾圧政策(廃仏毀釈)によって国は国家の政策で神社崇拝が推し進められていった。国家神道ってやつだ。

政教一致で天皇が神武天皇以来万世一系の血をそのまま受け継いでいる天皇を現人神として崇め、その体制で戦争に突っ走っていた。そして300万人の犠牲者を出したのだ。

ここに天皇の戦争責任論と首相の靖国参拝問題が浮上してくる。

しかし、それを知った上で私は宗教は現代に在っても人間にとって大きな意味と意義を持つものだと思っている。

歴史的な推移の中で、日本人から宗教への感心が薄れてしまった。それが突如として甦るのが、クリスマスと正月とお盆。キリスト教でもない日本人がクリスマスを祝うという可笑しさ。元旦の神仏参り、お盆の先祖のお墓参り。神信仰と仏様信仰は日本古来の伝統で神仏習合、併立で歴史的合理性はある。理論としては本地垂迹説がある。

しかし、日本人らしいと思うのはブランド志向だ。大きな神社への参拝客が集中するのは大きいところだからご利益が大きいと思うのだろう。道路は来るまで渋滞し、アルバイトの巫女さんのお祓いを受けるためにラーメンを食べるために並ぶ行列のようにずらーっと列をなしている。

神社には祭られている神様がいる。その由緒など同でもいいのだ。先ずはご利益。今年は金が儲かりますように、高校大学に合格しますように、恋人ができますように、病気をしないように・・・

本中で初詣の参拝者の数は何と1000万人という

そこで参拝者の祈る願望総計は一人で一つではなかろうから4,5千万の願いを受けてそれぞれの神様は今頃天上で対策会議を開いているのではなかろうかー

システムとアイデンティティー

2013年01月19日 09時22分13秒 | 日記


大阪の市立高校で体罰による生徒の自殺事件が起こった。

悲しい事件で未来ある尊い命が失われたことに心が痛む。

この事件から体罰に関する議論が全国で巻き起こっている。

わが県でも教育委員会からの体罰禁止の通達が公立学校に出された。

先日もブログで書いたのだが、スポーツ(体育)教育についての議論が深められていないところで表面的な命令=「通達」を出しても事は解決しない。

私は私立高校で昭和48年から平成20年まで勤めた経験がある。

その中で同じバスケ部の顧問を30数年続けてきた。

バスケット経験は高校時代にクラブ活動をしただけで、大学では書道部だったし、高校の部活も弱く県大会の1回戦か2回戦で終わっていた。顧問も科学の教員でズブシロで殆ど部活には顔を出さず、部員だけで練習していた。もちろん外で!!

だからここには体罰はなかった。

中学ではバレー部だったが、先生は若く熱心だったけれど体罰の覚えは全くない。それより転校してすぐのクラスで担任からいじめられた。何故かつま弾きされ、ぶたれた。とうとう不登校になりかけた。家から学校に通うには大きな橋を渡らなければならないのだが、毎日その橋の途中で家に引き返していた。

助けられたのは新しくできた友人達で家に迎えに来てくれて一緒に登校するようになって助かった経験がある。教師の存在と責任の大きさがここにある。

バレー部では地区大会3位になることもあって勝つことの喜びも知った。部活出できた友情の深さ、濃さは今も消えない。

さて教員になった時、初め非常勤から出発したが、すぐ校長に申し出た。顧問がいないバスケ部の指導をさせてくださいーと。

しかし、バスケ理論何にも知らない判らない私は右往左往するばかり。連戦連敗。しかも100点ゲームばかり。

それでも常に生徒と一緒にコートを走り回った。生徒と一緒にすることに意味があると思っていた。

ずーっと1回戦ばかりが続いた。練習は指導できないので高度なメニューはなく、基礎練習だけだったが、それでも少しずつ強くなっていく。

よそのチームとの練習試合にも出かけて行くようになった。強いチームの顧問監督は見ていると厳しかった。すさまじい暴力を振るうコーチもいた。特に体罰で有名なコーチは部外者で座っている椅子を投げつけたりする人だった。

彼はその後生徒へのセクハラで逮捕され辞めさせられるという大きな事件を起こした。

しかし、クラブ指導では強い高校(中学)ではどこでも「体罰」はあった。いやある。そう断言する。「通達」が出たとしても終わらないだろう。

私も次第に「強いチーム」にしたいという欲求が強くなり、生徒の怠け、反抗、生徒同士の諍い、部員の不祥事が起こると1発頬を叩くことがあった。内部での揉め事を部員同士で収められない時にはキャプテンを殴ることもあった。

高々ベストエイトほどの実力しかないのに、部の活動が活発できっちり運営されていることだけは自慢だった。

付け加えると40台以降は生徒指導部に属し、生徒の非行との対応に追われる。生徒指導部の教師にはスポーツクラブ指導をしている教師がどこでも大半。厳しく強い指導が荒れを救う最短最速と信じた時代がある。荒れた生徒、触法犯罪を起こす生徒に民主的で優しい指導は届かないことが多い。

校外の生徒指導は管轄の警察生活安全課とのコンビで行われる。だから警官=刑事の指導を目の当たりに見ている生徒指導教員の口調はいつか刑事の言葉・口調になってしまうという側面もある。

今注目されているのは、運動部の指導だが生徒指導に光を当てたらまたびっくりするような事態が浮き彫りになるはずだ。

県内の私立高校の校長(生え抜きのー県からの天下りではない)にはバリバリの生徒指導部長経験者が多い。皆体罰経験者。私もそうであった。自分の経験に頬かむりして、体罰で子どもが親に訴え、保護者が学校に訴えてくるような場合は校長室に当該の教員を呼んで事情を聞き、注意し、時には処分を行った。

学校には法制度的システムがあり、学内文化的システムもある。若い教員で生徒指導ができない温和な教員は周囲から「甘い」と陰に陽に批判される。体罰も辞さない腹決めが要求される。

教室が荒れていると、授業が妨害され、まじめに学習しようとする生徒は担当の教員(教科の教員)、担任に強い指導を要求し親もしっかりっしろという要望が出される。

こういう内外のシステムの中で、自分の指導を見出さないといけないのだが方向性としては、自分の授業における実力を伸ばす努力をするか、安易に暴力的指導で押さえつけるかー医療ではこれをパターナリズムという。「俺の言うことを聞いていたら君らの人生のいい方向に連れて行ってあげるからー」

学問的に専門性を深めさらにわからない生徒をうまく理解させ、自己学習を深める方向に導いて行くには専門の知識を深めるだけでなく、青年心理も勉強、生徒の家庭での生育歴、生活環境を自分の足で家庭訪問を繰り返して確かめて行く努力も必要になってくる。

現在はこれが乏しくなってきていないかー世間でこういう風に騒がれれば騒がれるほど、だったら何もしない生徒指導にも深入りしない。家庭訪問にも行かない。クラブ指導なんて時間外だから拒否する。こういうことになっていないかー

こうなると学校は殺伐とした風景になる。これは教育空間ではない。

今必要なのは教育現場で先生達が裸になって本音を出し合い、話し合うことではないかー無能で現場知らずの教育委員会が上から冷たい禁止令を出したって事態は変わらない。

橋下さん、自分のラグビー部での体験をもっと深く抉って意見を言ってほしい。経験にベールに被せたまま義憤に乗って感情的な発言をしているように思えるのだが・・・

私も教育界のシステムから外れた今じっくり再考していこうと思っている。

長くなったけど誰も読まないないだろうなー

あっこれだけは言っておきたい。体罰を行って教師が伝えようとしたことが生徒や親に伝わらずに問題化した時には常に自分で覚悟して決して逃っださないこと。場合によっては教員を辞める覚悟はしていた。