本の読み方の設計図。

本の構造を明らかにしていく。
論拠・主張

論証=事例、引用。

敗北の予感 : reProfesional#201

2009-07-11 03:39:11 | reProfesional
【繰り返す敗北の予感と実際】

認めようとしないから、それはあくまでも予感として現れる。
『私』は負けている。
どうしようもないくらいに負けている。
一度味わった感情はなかなか再生できない。
五月雨のように気まぐれで繰り返し、繰り返し、襲ってくるもの。
不足感。自己非充足感。
無気力感にさいなまれ、自分が失敗したのではないかという逃げの予感が付きまとう。自分はもはや必要ないのではないかという恐怖。

恐怖は過敏に反応しすぎるゆえに、感じられるという側面もある。
火の無いところに煙は立たない。根拠なきところに、不安は訪れない。
虚無性に対する恐怖。
自分がいないということ。自分の無に対する恐怖。
自分が雄であるということへの恐怖。
有と無が交錯する恐怖。

もっと私にひとりのときに恐怖を与えてください。
歯車が回りだしたらしばらくはとまらない。
いやな予感は身を震わす。
僕には処方箋が無い。デメロールという処方薬も無い。
ただ不気味な苦しみに苦しむということがいわゆる健康体ということ。

敗北の予感を味わい、すべてを投げ出すほどの勇気も無く、
より自分を価値が無い状態におくこともできない。
それゆえ、敗北の予感を味わい続ける。
悲観性は一時のもの。

マイケルジャクソンの孤独・敗北感は予感でなかったところが不幸だったのだろう。驚くことに、あれだけ話題になったのに、デメロールというキーワードを天下のグーグルで調べても検索数。予測数ともに驚くほど少ない。

敗北の予感すら感じない幸福な人々は、そこに興味を抱きすらしない。
マイケルジャクソンのモルヒネという曲は他のアーティストの擬似敗北感の漂った極と比べ物にならないほど不気味な音楽だ。

敗北の予感を味わえる擬似孤独感。
簡単に自分を敗北者などというのは、本格的な鬱病の方に失礼になる。
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感情と論理 : reProfesional#200

2009-07-11 03:31:51 | reProfesional
【不感症と過敏症】

うそだらけの世の中。
あるCMで「自分に勝て」というばかげたキャッチコピーを見かけた。
馬鹿じゃねえの。
自分を客体として捉えた場合、もう一人の自分に負けてることになるじゃん。


感じやすき心というのは、ある意味感じないでおこうとする作用があるから、感じてしまうともいえる。
誰にも相手にして欲しくないとき、誰かが相手にして欲しくないしかたで相手にしてくるだから、感じてしまう。
感じたいときに感じさせられると、それほど感じない。

感情なんて、論理的に成り立つものではない。
音楽を聴けば、回復し、心無いひとことでぼろぼろになり、消えたくなる。
いかにも簡単に消えたり、出てきたりするもの。

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人間の本性 : reProfesional#199

2009-07-10 20:52:33 | reProfesional
【地獄と天国の違いの話】
ひとはおそらくおろかなものであるといえるし、暴力的なものであるといえる。
虚勢を張り、自分をすごいように見せたがる。
もっと愛を持って知っている方はご存知だと思うが、天国のように箸をお隣様に、差し伸べて、共存すればいいと思うがそうもいかないようだ。

なんとも互いを傷つけあうように動く。
それがひとという動物の本性。

ある程度文章が好きなところで、なんの足しにもならない。
この自分。
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All the End  美しき廃頽。人生の終わり; reProfesional#198

2009-07-04 21:35:48 | reProfesional
RAMSETIN SEEMAN
http://www.youtube.com/user/1henrique?blend=1&ob=4

【死者の回想 死に際の想い】

美しい音楽が流れている。だれも生きているうちはそれほど積極的に生きたいなどとは思わなかった。
遣り残したことがあるなんて死ぬときには思わなかった。
ただ充実感と快楽が流れている。

すべて終わり。明日は無く。ただこうやって消え去っていくのみ。
なにかが残るわけでもない。
感謝の気持ちがあふれるわけでもない。
誰かを恨む気持ちがあふれるわけでもない。

すべてが終わる。美しい。
ただただ泪があふれてくるだけ。
もう悩むこともないし、争うことも無い。感謝の気持ちがわくのは、唯一終末を迎えさせてくれたということへの感謝の気持ちのみ。

ひとことも生きているうちでボクは一生懸命やって生きたいと心の奥底より、思ったことは無かった。
仕方が無かった。一生懸命生きるように、期待もされていたし、生きている以上は充実感を感じたいとは思っていた。
でも、ようやく責任。
生かされているという責任から逃れられるという最大の快楽。

生命を授かったその日は、試練の始まり、今日は、その日は祝福の日。
やっともう何もしなくてもいい。

生きているウチはたださびしかった。
孤独に耐えていた。
やっと、やっと生きているという最後の日になって、ボクらは祝福をされるんだね。ありがとう。

もう快楽すら必要が無いという快楽。

もっと速くこういう形を迎えられればよかった。
自殺をしたいとまでは思わなかったけど、病気で死にたいなどとは一切思わなかったけど。
まさかこういう形で人生の結末を迎えられるなんて。
ありがとう。君のおかげで。ありがとう。

あったたかいよ。ほをつたたたる泪が。
ありがとう。

All the End

結局最後には何も残らない。
でもただ一生懸命に生きなくちゃいけない。
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物質の法則 : reProfesional#197

2009-07-03 20:53:26 | reProfesional
感情は物質である。
形態のある物質である。行動を起こすのも物質である。
ということは、行動を起こさないのも物質であり、感情である。

なにかの動機となる物質それには、質量がある。
重かったり、軽かったり、冷たかったり、暖かかったり、さまざまな、においをまとっていることもある。
物質である感情は把握でききれないという性質のものではない。
把握できる物質という感情をどう受け止めるか?
もしくは受け止めるのを拒むのか?
そういうところに差異が生じてくる。

物事は感情である。対外の場合感情は把握できるにしても、余計なものがくっついている物質である。
物事自体にプラスマイナスの性質は無いというが、それはまったくのうそである。
マイナスやプラスのものそれが余計なものである。という意味でのそれ自体に特別な意味は無いという意味での意味が無いという意味での意味が無いという意味なら、意味が無いといいきれる性質の『意味が無い』である
意味があるものを『意味が無い』と切り捨ててしまおうとする風潮が憂鬱な気持ちを生み出す最大の要因となる。

つまり、物質、感情には大いに意味があり、だからこそ困る。
把握しようという姿勢を持ち余計なものをそぎ落とし、受け入れる。
そうしていくことでしか、『意味が無い』状態である。
『意味が無い』のは、余計なものをくっついた状態で受け入れてしまうことである。

【主体と客体】
自分が主体であるという意味では、物質である客体、感情には意味が無いとも言える。言い換えるならば、一度論理の飛躍を覚悟で言うならば、他者には自分を客体として捕らえた場合には、まったくの無意味であるといえる。
つまり、他者は客体の一種であり、感情や、自分にとっては物質に過ぎない。
自分主体が、意味をつかもうとしたり、ある程度の量で意味を放とうとするがゆえに、他者も意味を返してくる。

死すべき感情。死すべき他者。
感情も、他者も自分というすばらしき存在である主体を殺すべきではない。
凝らされるべきは感情であり、物質である他者である。
主体は客体に振り回されるべきものでもなく、ただそこに人と人がいるからといって、有機的にすばらしい反応が生まれるわけではない。
積極的に、他者に、感情に、無意味性を認め、主体の中に飲み込んでいくことでしか、意味がある結果にはつながらない。



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