本の読み方の設計図。

本の構造を明らかにしていく。
論拠・主張

論証=事例、引用。

サルトル全盛期と越えられるまで。:松山情報発見庫#319

2005-10-31 00:00:00 | 松山情報発見庫(読書からタウン情報まで)
サルトル―1905-80

藤原書店

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まずはこの本の最初の章、石崎晴己氏と澤田直氏による対談を参考にしながらサルトルが受け入れられ、全盛期になり、忘れ去られた過程というものを概観してみよう。

まず、サルトルが1970年くらいまで大きく日本、フランスなどで大きく関心を持たれた理由としては、
「文学の世界の中でもっともたぶん優れていると日本人が考えていて、詩化も知識人たちの力で圧制から、自ら解放したという国のイメージ」がフランスにあったこと。(17ページ石崎氏の発言より)
ということが大きいようだ。
また、その文学者としての表現力の多才さも大きかったとのこと。

次に、サルトルが忘れ去られた大きな原因としては、
その共産主義への加担が大きい。
そのことにより、サルトルがいわば、ひとつのイメージに人間を理想付け方向付けようとするヒューマニズムとして捉えられたことがあるからのようだ。
しかし、このことは「実存は本質に先立つ」という言葉でも有名なサルトルの実存主義的な「倫理」観からも分かることだが、不当な批判というべきである。
この批評はさておくにしても、2つのサルトルにても触れたことだが、その後の政治的急進化も世間からサルトルを避けることの一因であっただろう。

続いては、この本を元にサルトルとアンガージュマンという概念について概観してみよう。
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善きものへの歩み:豆えっせい#14

2005-10-30 00:00:00 | 豆えっせい(#12~)
人は近づこうとする

人は結びつきを求める



一つ一つの行動が

一つ一つの判断が

どうにか

自分の思い描く幸せというものに近づこうと

しているように思える。



どうして

そんなにけなげな歩みを

大きな釜で切りつけようとする必要があるのか

涙という心の潤い

血流という心の破傷・・・

どうかいつもあなたが幸せを感じられますように・・・


------------


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構造主義はじめの一歩:松山情報発見庫#318

2005-10-29 00:00:00 | 松山情報発見庫(読書からタウン情報まで)
はじめての構造主義

講談社

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マルクス主義、
地質学、
精神分析、
構造主義、
それぞれに共通するのが、眼に視える部分の下に本当の秩序が隠れていると想定していることであるとこの本では示している。

マルクス主義では、それは、資本主義から共産主義へと流れていく不可避な「歴史」として捉えられていた。
歴史は法則に従って流れが決まっているのだから、抵抗してもしかたがない。
そんな考えに一石を投じたのがサルトル。
われわれは、そのような歴史というものからこそ逃れることこそできないが、その歴史の流れというもの序に自ら主体的に関わっていうことができるのではないか?
そういったわけだ。
その考えを更に推し進めて、歴史という必然と思われていた概念を否定して「構造」というもので世界を捉えようとしたのがこの構造主義というわけだ。

この構造主義というものはもともと変換という数学の概念がルーツになっており、変換されるということは、
たとえば、三角形が、四角形にと変化する場合を考えてもらえれば分かってもらえると思うが、たしかにその形こそは変わってしまうが、その中心には形が変わっても共通に残っている部分もある。
その部分が構造というもので、これを広く社会というものに置き換えていこうとしたのが、構造主義哲学の試みたことというわけだ。

つまり、構造主義以前の社会では、真理というのは、西洋側があらかじめ想定した唯一のものとして見られてが、それは場所が変われば変わるもので人間が勝手にこしらえた制度に過ぎないという見方を新たに与えたというわけだ。
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どろどろとした実存:松山情報発見庫#317

2005-10-28 00:00:00 | 松山情報発見庫(読書からタウン情報まで)
ホムンクルス 5 (5)

小学館

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めずらしく自分で買ってずっと読んでいるマンガだ。
ホムンクルスとは、脳科学の最新の世界ではどうやら否定されている概念ではあるが、脳の中にいるもう一人の自分の小人のような存在のことだ。
その小人が世界を世間を他者を感じている、その結果として自分もそれを感じているように感じる。
そんな位置関係だと思えばいいと思う。

このマンガ、今日たまたま立ち寄った古本屋で4,5巻を買って気づいたのだが、明らかにサルトルの『嘔吐』という小説を意識しているのではないかと感じた。
そもそも1巻の始まりが、主人公の嘔吐のシーンを含めて始まっている・・・

このマンガの中では、トレパネーションという頭蓋骨に小さな穴を開けるという手術を行った後に「ホムンクルス」による他者認識が始まるということになっている。
つまり、客観的に見える物質としての人ではなくて、その人の実存、「ただそこに存在するどろどろとした実態」としていわばあるがままの生々しいその人の現状の意識などを含むグロテスクないわば、本質的なものが現れるようになるということだ。
人間の醜い部分、世間体であったり、世間に期待される記号としてのあるべき姿としての実態。
そんなものばかりが見えてしまうという主人公のグロテスクなマンガだ。

ちなみに、著者の公式サイトはこちら(漫画化:山本英夫【公式】)
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電車通勤!人情系社長の仕事術!:松山情報発見庫#316

2005-10-27 00:00:00 | 松山情報発見庫(読書からタウン情報まで)
人は仕事で磨かれる

文藝春秋

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著者がタイトルでいう「人は仕事で磨かれる」その真意は、
「緊張の伴う決断、仕掛けを伴う仕事を通じてこそ多き感動、感激が伴い、そこから得られるものも多きはず」という伊藤忠の社長である丹羽氏の仕事論の核心のことである。
丹羽氏社長に必要な資質として、
・人間力:気力、体力、知力、情熱
・倫理観:会社が苦しい時は、自分が一番に苦しむ覚悟。
    「仁・義・礼・智・信+温」
をあげており、丹羽氏自身が社長として目指しているものとして、
「社員が喜び、株主が喜び、取引先にも『伊藤忠はいい会社だ』と言われることだ。自分ひとりで金銀財宝を抱え込んで喜んでいる、ニヤニヤしているというのは気持ちが悪い。みんなと感動や姜が気を分かち合う喜びのほうがいい」
と述べている。

また、今の日本を知的に衰退してきているとして嘆いており、
その処方箋として、
①想像力の衰退に対して
:本を読むことが必要。社会経済の本から小説までを考えながら読むことで、論理的な思考能力、物事を付加彫りして考える智から、物事の本質を捉える力が身につくという。
②行動規範の衰退に対して
:人生を通して相当な勉強が必要。仕事を通じての成長が必要。
といったことを挙げている。 
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アホでマヌケ日本アジア人!:松山情報発見庫#315

2005-10-26 00:00:00 | 松山情報発見庫(読書からタウン情報まで)
反ナショナリズム

講談社

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今回のタイトルでいうまでに過激なことは直接には言ってはいないが、姜尚中の思想の根底に質のいい「アホでマヌケ日本アジア人!」というような言葉を感じないでもない。
それは、あくまでも日本人を非難するためにというよりは、姜氏の在日で先祖を「日本人」として戦争で亡くしたと言う複雑な想いが絡まった結果に、今の国際情勢および、日本のナショナリスティックな現状を憂えるゆえの言葉であるといえる。

姜氏はマルクス主義的に、歴史を進歩継続していくものとしての捉え方、また歴史修正主義的、自由主義史観てきに民族が共有するものとしての「歴史」をという虚像を無理に描こうとする考えを痛烈に批判し、個々人の偶然の行動の集積として歴史を捉えようとしている。
その時代状況の中で仕方なしに、偶然に行動した個人の切実な行動の結果が行動を作るというような考え方といえるのではないだろうか。

本の装丁、文庫版というイメージから受けるものと違い理解するにはなかなかの高レベルな本ではあるが、政治について考えたいという人には示唆が多い書物だといえる。
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[苦痛]と[困難]の表現:松山情報発見庫#314

2005-10-25 00:00:00 | 松山情報発見庫(読書からタウン情報まで)
Playing the Angel
Depeche Mode
Sire/Reprise/Mute

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PRODIGYに10年ほど前に始めてであったときほどの衝撃を味わった。
こんなにかっこいい音楽があったなんて!!
正直そう思った。
DEPRCHE MODEというグループ名にあまりに厳めしい出で立ちの男・・・
視聴してみると超ダンディーな音が流れてくる。
日本語版の解説でメンバーの一人がこのアルバムは「“苦痛”と“困難”をさまざまなテンポ」で表したものであり、「欠点や弱点だらけの人へのメッセージ」である。と言う。
またメンバーの一人マーティは、このアルバムの中の“I WANT IT ALL”と言う曲の解説として、
「自分は、必要なものをすべて手に入れているのに、なぜそれに気付いて感謝できないのか、そしてなぜ手に入れたものを壊そうとしてしまうのかといったことを歌った曲なんだ。僕は美しい妻やかわいい子供たちに囲まれて幸せなときでさえ、ネガティブなものに引き寄せられてしまう。ドラッグやアルコールといったものではなくても、自分を傷付けるものにね。幸せを手に入れると、それをばらばらに引き裂きたくなる衝動に駆られるというか、自分にはふさわしくないと感じてつっぱねてしまいたくなる。」
というように述べている。

抗うことのできない生。
20代の若者と違い、そこに妥当な理由を発見してまでも、継続を余儀なくされるというか、キェルケゴールのいう絶望を抱えてまでも、這い進むことをごく当たり前のように受け止められている生。
その不条理さをまざまざと見せ付けてくれるあまりにも美しく深遠な感じのする音楽だ。
内容とメロディーこそ対照的ではあるが、どことなく彼らと同世代でもあるR.E.M.を髣髴とさせる部分もある。
ダークなR.E.M.とでもいえばいいのだろうか。


小難しい説明はさておき、とにかくかっこいい音楽だ。
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個人主義ロック!?:松山情報発見庫#313

2005-10-24 00:00:00 | 松山情報発見庫(読書からタウン情報まで)
WELCOME TO THE NORTH
ザ・ミュージック
東芝EMI

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自分の理想というか、「世界ってこうあるべきじゃないか?」という想いと目の前に繰り広げられる現実との間でもがき、なお理想を構築しようとする感じ。
このTHE MUSICのアルバムをひとことで表すとこういう感じになるだろう。

#5 Cessation(停止)
I never want to be
I never want to be like you
I wanna be myself
But you make me out to be somebody else
And I live the pain
And I love the darkness of my mind
Cos it makes me feel
You know it makes me feel like I'm alive
I'm alive
Oh I'm alive

Far across the land
Yeah far across the land
They understand the lies
But nobody here wants to question why
It's not what I need
But if I cut myself
I don't want to die
But it makes me feel like I'm alive
///
I'm sick of behind the crowd
I'm sick of behind the crowd
It's up to me
I'm not gonna crack
But the demons inside
Keep on coming back
I've got to fight the fear
I've got to know that how I feel is real
I've got to speak my mind
Cos it makes me feel like I'm alive

「世間が少しおかしいということもわかってる
 なのに、特に誰かが不正を暴こうとか動くわけでもない
 かといって、自分が必ずしも正しいことをいつもできるというわけじゃない
 でも、可能であるなら、痛みを感じででも、
 自分は正しくありたい。」
そんな想いが垣間見える歌詞だ。

他の曲も、ヴォーカルの切れのあるきれいな声と共に強烈な生の雄たけびともいえる内容を感じさせるものだ。

最近個人的に考えている「道徳」という概念の今の世での位置づけについても考えさせられる音楽だ。
いまの特に宗教とかが個人の道徳を規定しているわけではない社会においては、個人が自分自分で律する「自律」ということが前提となるわけだ。
だからこそ、自分の中の道徳感と社会でのあるべきとされる姿の間に齟齬を感じることもある。
そんな感じだ・・・
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中流へのはしご:松山情報発見庫#312

2005-10-23 00:00:00 | 松山情報発見庫(読書からタウン情報まで)
ハードワーク~低賃金で働くということ

東洋経済新報社

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少し前に取り上げたNHKの「日本の、これから」の若者についての特集を見たときも思ったが、市場原理主義というか現在の資本主義の世では、ただ中流階級として、普通の暮らしをするのはどうやら国民の3~5割ほどの人にとって、難しくなって来ている。
そんな事実をまざまざとルポルタージュしているのがこの本だ。
題のハードワークとは、「酷い仕事」「キツイ仕事」というくらいの意味だと思ってもらえればいい。

この本では、英国の一流新聞紙ガーディアン社の記者である著者が「40日間最低賃金」労働をして暮らすというルポだ。
日本のアルバイト、フリーターなどにしてもそうだが、「週40時間働いて生活賃金が稼げない状態というのは、正義にもとる。税控除が貧困と戦う武器のひとつであることは疑う余地がないが、働くからには、胸をはって家に持ち帰れるだけの賃金がもらえてしかるべきだ」(275ページ)という著者の主張が当てはまると思う。
「病院、学校、レストラン,厨房」などこの本で、著者が経験する最低賃金労働は日本でも同じことがいえると思うが、社会が回っていくには欠かせない仕事でありながら、報酬はごくわずかよいう実情がある。

フリーターであれ、何であれ、労働に貴賎はないという考えもあるように、同じ時間働くならば、十分生活できるだけの給料を払うべきではないか?
そういう至極当たり前だが、時代の流れの中で忘却を強いられている疑問を思い出させてくれる意義深い本だと思う。
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日本人のプレゼンテーション。:松山情報発見庫#311

2005-10-22 00:00:00 | 松山情報発見庫(読書からタウン情報まで)
自分「プレゼン」術

筑摩書房

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1.小手先のプレゼン技術よりあなた固有のキャラクターで、第一印象を演出すること。
2.弱みを素直に出してそれを強みにすること。
3.デジタル技術も含めて、あまり大げさな手段に頼らないこと。手段に溺れると、せっかくのあなたのキャラクターが、殺されてしまう。
この本では、
このようなプレゼンテーションのいわば日本人的側面を前提に具体的にどうやって、いかに自分を表現し、相手に自分のキャラクターをわかってもらうかということを教えてくれる。

実際に、著者である藤原氏が、自分の書籍を売り込んだ例。
リクルートで新しいメディアを立ち上げたときに藤原氏が作成した圧巻の企画書の例。
年賀状の例、名詞の例など・・・
自分を表現するということに立ち向かうすべての人に参考になる本です。
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無理なさそい@「若者自立塾」:日経新聞かじり読み#4

2005-10-21 00:00:00 | 日経新聞かじり読み
無理な誘いではないか?
今日(10月23日)の日経新聞若者自立塾の宣伝が「『働けない』と思っている若者の皆さんへ」「『若者自立塾』に参加してそんな自分を変えてみませんか?働く意欲と元気がわいてきます!」と呼び掛けられている。
おいおい・・・
2重の問題とはいわないが、本気で若者の就労に関する問題を考えているとは思えない問題提起だ。
なんで、よりによって日経新聞なんかにこんな広告出したんだ?
ニートがフリーターが日経新聞なんて読んでるとは思えないが・・・
どんだけ意欲的なニート、フリーター像を思い浮かべてるのだろうか、と嘆きたくなる・・・

本当にこの「若者自立塾」のすばらしさを訴えたいのなら、
もしかするとしているのかもしれないが、マンガとかエロ雑誌とか、ファッション誌、ゲーム雑誌、出会い系とか、もっと若者が見そうなメディアにこういう広告を出したほうが効果はあると思うのだが・・・
ちなみに、この「若者自立塾」は、2005年度から厚生労働省がニート、フリーターなどを正規雇用へと結びつけるために農作業、職業訓練をさせながら、規則正しい生活をさせ、自立へ結びつけようという試みのことだ。
いみじくも、この新聞の掲載の前日に日本の、これから(NHK)にて「いまどきの若者たち」というのでフリーター、ニートの問題も絡め、若者のことを考えようという企画があった。

イメージとしての、今の若者像というのが露骨に表れていたという意味ではよい番組だったのだろう。
・自分の夢を徐々に実現させ、自信たっぷりの勝ち組の若者。
・「組織に縛られたくない」「夢を見つけたい」「夢を追っていたい」とフリーターとして、もしくは社会との接点を模索しようとしている若者。
・2者の間で、苦しむ若者
「正規雇用にて働くことが望ましい」
この命題の間で精神的に動揺をする今の若者。
それをいぶかしげに見る大人といわばまともな「若者」。
そんな構造はどこにでもある。

ほんとうによい社会を築くには、
小学校くらいの段階から、なぜ人間は生きるのか?
自分はこの社会で何をして生きていきたいのか?
働くということとはどういうことなのか?
などなど
こういったこれまでは、特に考える必要もなかったようなコアな命題を哲学的に考察し、個人個人がそれぞれの人生観を築いていけるようにしていくことが肝要なのではないのだろうか?

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宗田家2代親子の夢:日経新聞かじり読み#3

2005-10-20 00:00:00 | 日経新聞かじり読み
写真は10月17日付の日経新聞「青春の道標」にて、学生時代の思い出を語られていた元法政大学の学長でもある清成忠男氏のものだ。
氏は、高橋先生という方のゼミに所属していたそうだ。
先生は、当時フランスの研究生活からもだられたばかりで、とても厳しいゼミであったそう。
うむ?妙に今の自分に重なる部分がある・・・

清成氏は、そのゼミで与えられたG・F・クナップという人の「農民開放」という文献に格闘すべく、お弁当片手に1日13時間図書館に入り浸り、文献解読にいそしんだのこと。
あのサルトルも、13時間、読書と執筆にいそしんだとのことである。
さて、そんなことはさておき、最近は卒業論文のことで僕自身も文献解読、収集また発表の準備などにいそしんでいる。(さすがに一日13時間というタフな頭脳はまだ持ち合わせていないが・・・)
それが、ひどく自分にとって充実したもののように感じる。
文献を読み、自分なりの論理を構築し、それを自分のゼミで先生を含めた友人と話し合う。
いたく、充実した時間に感じる。
自分にとって、これほど贅沢な時間があろうかと思うほどだ。

そういえば、昔、父が小さいの頃は学者になりたかったといっていた気がする。
おかげさまで、大学まで生かせてもらった自分としては、その気になれば学者にもなれるわけだ。
とりあえずは、民間企業に就職をすることになったが、ゆくゆくは研究者なりたいなあ・・・(いや、なぜかなる気がする。なんじゃそりゃ!!)
淡い想いを抱く今日この頃であった・・・
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悪に操られ悪を駆逐する罠:松山情報発見庫#310

2005-10-19 00:00:00 | 松山情報発見庫(読書からタウン情報まで)
DEATH NOTE (6) ジャンプ・コミックス

集英社

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宗田もたまには、マンガも読むんですね♪
ああ、今日木曜日はある学生が企画している就職のセミナーでほとんとど何をするかも聴いていない中、話をしなければならない。すこし憂鬱な気持ちでもある・・・
正直、少しは事前に話し合いをして、内容をつめて起きたいという気持ちだ・・・
さて、愚痴っていても仕方ない。
というかこのマンガは、どこか日常に潜む怠惰、不条理をもろに突きつけてくれるようなマンガだ。

あらすじまでをばらしてしまうと、ストーリーの醍醐味が薄れてしまうといけないので、概略的に、
このマンガのキーは、デスノートと死神だろう。
このデスノートというものは本来は、死神界で死神が持っていたもの、それをある日うっかり死神が、人間界に落としてしまう。
そこからストーリーは始まる。
主人公の少年は、この世から悪を駆逐するためにこのノートを使うと決心する。
このデスノートに、死なせたい人物の顔を思い浮かべ、その名前を書くとその人物を殺すことができるというものだ。
主人公の少年はこれを利用し、犯罪者を駆逐していこうと試みる。
最初は何事もなかったように話は進んでいくのだが、
徐々に世界を巻き込んだ大事件へと発展していく。

人間の欲望と、不条理。
正義をしているはずが、実は操り人形のごとく、動いているだけに過ぎないかもしれないという現実。
ハイクオリティーなマンガだ。

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ちなみに、この本は起愛塾でお世話になったわが師匠N氏に借りました。
ありがとうございます。
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体の資本。:松山情報発見庫#309

2005-10-18 00:00:00 | 松山情報発見庫(読書からタウン情報まで)
「資本」論

筑摩書房

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この本は、その意図を聴くときわめて難解に思える。
社会契約論、自然状態という言葉を、思想家ごとに、
「相違を腑分けする系譜学的作業、さらにはそうした相違を生み出すメカニズム、どのような条件の下で、どのような社会契約が可能となるかあるいはならないのか、についての経済学的にいえば『比較静学』、更にそれらが歴史の過程の中でどのように変化するのか、についてどう学的に重点を」
置くこれが、この本の趣旨のようなもので、著者はこれを「生態学的(エコロジカル)アプローチ」と呼んでいる。

さて、一見難解なこの論旨を順を追ってみていこう。

Ⅰ.「所有論」
1.戦争状態と所有
ホッブス-自然状態⇒統治権力が存在せず実定法がない状態
:戦争状態、無政府状態

ロック-自然法あり、秩序ある無政府状態
:ロックでの社会契約は、自然状態でも一応は実現している支配をより確実なものにするためにある。
 国家への服従理由は自由意志。

2.国家の存在理由は?
ヒューム-国家への服従はここに利益がある。
:ホッブス的な自然状態を前提としている。
 「安全で幸福」に生きるために社会契約がある。

3.私的所有への批判の矢

☆ジャン=ジャック=ルソー『人間不平等起源論』
:著者は、時代こそ前後するが、後に出てくるアダム・スミスの議論はすでに前もってルソーにより批判されつくしているとしている。

-自然状態
⇒ルソーは、ロック、ホッブスの自然状態の定義は、ある意味ですでに、自然な状態ではなく、「社会状態」にあると批判した。
そうではなくて、一人ひとりの人間が孤独のうちに、ばらばらに生きているというのが「自然状態」であるとした。

ルソーの「自然的」社会契約論
:人はもともとこういう孤独な平和の中に生きていたのに、やがて人口が増えてきて、それまで会わずにすんでいた人とがあちこちで出会うようになり、社会というものができてしまい、その中でホッブス的な不都合が生じてきて、そのために国家を作った、というわけです。ところがその国家によって、人々はかえって不幸になっている。その理由はまず第一に、国家のもとでは自然状態において享受していた自由が奪われてしまっているということであり、そして第二に、国家のもとでの所有権の確立によって、人々の不平等が固定してしまうことです。(80ページより)

この意見は、著者は不自然なものである反面、ホッブス的国家は自然状態より善い状態になることで始めて意味を持ちえるとしたこと、先に述べたように、アダム・スミスてき市場経済至上主義への反論をない方していることとして評価している。

☆アダム=スミス
:現在につながる市場主義を説く。
Ⅱ.「市場」論
交換=「違うもの同士の交換」
:所有権の移転⇒人々がより幸せになることに寄与
⇒各自の比較優位性を前提とした「分業」の発達に。

アダム=スミス
:「市場的交換を通じた分業」の利益
:分業が進めば労働の内容が単純化して、さほどの知識も技能も必要ではなくなり、労働者階級たる庶民の知性、徳性は次第に衰えていくのではないかという会議も含む理論。(120ページ参考)
Ⅲ.「資本」論
(アダム=スミスの続き)
労働力、資本、土地を生産資源のひとつとして捉える。
⇒(労働)市場で取引されるものとして
所有と経営の分離:資産としての企業組織という捉え方

Ⅳ.「人的資本」論
マルクス
「本源的蓄積」-資本化からお金を集めること
       -労働者階級からの強奪
-労働者の自由意志による労働とその矛盾
:疎外された労働
 資本化の指揮下にかれて労働をし、機械のねじ的な働き方をしいられる。

---------

著者は敢えて、結論的なものを具体的にメッセージのような形でおいているわけではないが、この本では、げんぜい進行中のアダム=スミスに端を発する市場原理主義的傾向の中で、身体を資本として捉えることの可能性を説いている。
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2つのサルトル。:松山情報発見庫#308

2005-10-17 00:00:00 | 松山情報発見庫(読書からタウン情報まで)
図解雑学 サルトル

ナツメ社

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この本も、授業にて使うので、レジュメ風に。
この本からわかることは、サルトルは生涯に置いて大きく二つの性格を生きてきたと云うことだろう。
まずは、個人主義的哲学に生きた時代と、社会への関わりを持ち、行動により自己を形成していくと説いた実存主義的な哲学を説いた時代の2つだ。

以下順を追って、本書の内容を追って行きたいと思う。

--------

*先頭の数字は本書のページ番号です。

【個人主義的哲学への時代】
 
12.サルトル=「関係」の哲学者
16-右眼の失明、斜視により、いやおうなく他者の視線を気にしなければならないように。(幼年期のいじめ)

20.
1923年,23歳の時 人生の伴侶 ヴォーボワールとの出会い
1933年,28歳 ドイツ、フッサールによる現象学を知る。
:意識がそのものに直接触れていると云う哲学を考え始める。
 「意識とは世界との関係そのもの」という立場
30. 
サルトル哲学は、閉じた内部ではなく、「外部」へ向かってのダイナミックな関係を重視する。
36.
自我の同一性への否定
:固定したものと云うより、そのつど移り変わっていく外部との関係性が自我であると捉えた。

1938年 念願の作家デビュー『嘔吐』発表
 :むき出しの実存に触れることにより嘔吐観を催す少年ロカンタンの物語。
  ↕
  怪物のような、やわらかくて、無秩序の固まり、恐ろしくて裸の塊
63. 「何か『がある』ということ自体が恐ろしく気味悪いものとして現れた」
   →何か「がある」ということ自体(実存)には何の意味も理由もなく、「たまたまここにある」としか云えないことに気づいた。(ロカンタン)
 
 実存、行動の無意味さ
 個人の問題としての行動

 【実存主義的哲学の時代】
~戦争体験を経て~
1940年6月 ドイツ軍の捕虜となる
個人主義的考えから人間の行動を重視する考えへ
小説『自由への道』戯曲『蝿』『出口なし』哲学書『存在と無』などの執筆

78.

『存在と無』について

関係としてのあり方、関係としての存在のありかた
cf.ハイデガー「世界-内-存在」-世界と関わりつつ存在する
83.
「世界と関わる」と云うことは、世界ではないと云うこと
世界との会い大に裂け目を作り出すこと(対自存在)84
この裂け目、隙間が「無」

112.
人間は根源的に自由-世界との関わりを自ら決定する自由
アンガージュマン:世界に能動的に関わっていくこと

116.
『出口なし』-他人のまなざしは、自分が何者であるかを決定し支配する。
120.
実存主義の流行
:今ここに現実に存在している個人の具体的な存在を出発点とする。
 具体的な個人としての人間のあり方、世界へと関わる人間のあり方を問題とした。
124.
「実存が本質に先立つ」という言葉について
 :神により、「(人間とは、)こうこうこうあるべきである」(本質)と決められているものではなく、「行動の中で、自分が『何であるか』を決めていく」
行動により、少しずつその性質を定義していく。
 ↕
「実存主義的道徳」
:道徳はあらかじめ決められて、あるものではなく、作るものだ。
-自分の行動を選ぶことは、人類全体の問題だ。
[アンガージュマン(社会参加)]について
人間は自由だが、誰しも自分の生きる時代の状況に拘束されている。
-どのように社会に能動的に関わっていくかがアンガージュマン

146.
サルトルとマルクス
-戦前はある程度、距離を置いていただが、戦後は著しく傾斜
「マルクス主義はわれわれの時代の乗り越え不可能な哲学だ」とまで言うように
170.
共産党との関係の戸惑い-ハンガリー事件
:フルシチョフのスターリン批判に端を発した反ソ暴動とソ連軍の介入と、フランスのそれへの賛成

サルトル実存主義によるマルクス主義の再構築の試み
:スターリニズムと後期マルクスへの批判

[晩年のサルトル]
⇒文学への絶望感と政治的急進化
220.
1964.4「飢えた子供を前にして『嘔吐』は何の役にも立たない」(ル・モンド紙へのインタビューで)
ノーベル文学賞の辞退も

232.
1968.5 五月革命-学生運動を発端にして起こった社会運動
-資本主義打破と既成の左翼批判(スターリニズム批判)
サルトルのフランス共産党批判
1968.8 チェコ事件=ソ連軍によるチェコスロバキアの自由化阻止
→サルトルのソ連批判と決裂

1980.3月
『いま、希望とは』の発表
「世界は醜く、不正で、希望がないように見える。といったことが、こうした世界の中で死のうとしている老人の静かな絶望さ。だがまさしく、私はこれに抵抗し、自分ではわかっているのだが、希望の中で死んでいく。ただ、この希望、これを作り出さねばならぬ。」
1984.4.10 
肺水腫により入院
  4.15
75歳で他界

☆サルトルと最後の知識人(論)
:ただ蛸壺的に研究をするのではなく、幅広い知識により、世論を導こうとする。
cf.専門家
⇒内部から外部へ、個から全体へ関係し続けることがサルトルの思想であり、生き方。
コメント (2)
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