本の読み方の設計図。

本の構造を明らかにしていく。
論拠・主張

論証=事例、引用。

1998年問題 :松山情報発見庫#342

2005-11-30 00:00:00 | 松山情報発見庫(読書からタウン情報まで)
希望格差社会―「負け組」の絶望感が日本を引き裂く

筑摩書房

このアイテムの詳細を見る

聞きなれない言葉である。著者が1998年問題という問題は、それがほんとうに問題の始まりであったということを実感させてくれる。
問題とは、二極化と、リスクかが顕在しだしてきたことがはじまりだしたということである。
著者は、希望と絶望の定義についてそれぞれ、
「希望(hope)という感情は、努力が報われるという見通しがあるときに生じ、絶望は、努力しなくても同じとしか思えないときに生じる」(193-194項)
というように定義付けている。

つまり、1998年問題とは、われわれ現代に生きるものから徐々に希望という種を摘み取り、絶望という種を植え付けていく糧にスタートということができる。それでは、実際、著者のいう1998年問題というのがどのようなものであったかということをみていこう。
1998年は、
①「実質GDP成長率がマイナス一%となった不況の年」(201項)
②「その少し前、1995年は、インターネットという言葉が流行り、携帯電話が爆発的に売れ始めた年である。経済的には、ネット長者も現れた。社会がますます便利になっていくのがニューエコノミーのプラスの側面だとすると、そのマイナスの側面が一気に噴出したのが、1998年」(-202項)
③2万2千人前後で推移していた自殺者が、1998年に約1万人増えて3万2千人となり、それ以降、景気の変動に関わり泣く、3万人台で高止まりしている(同)
ということが始まった年でもある。これは、リストラの増加、および、経営が行き詰った中小企業の経営者の自殺ということが原因である。
④フリーターの増加はこの翌年の1999年からで、これはこの年に採用が見送られた若者がなったといえる。(203項)
⑤家族の分野では、離婚、できちゃった婚、児童虐待、不登校の増加傾向に拍車がかかりだす。(同)
⑥不特定多数のセックス経験と相関するといわれているクラミジア感染率も
⑦青少年の凶悪犯罪もこの年頃から増加に転じている。(同)
→これまでは、貧困、怨恨などなにかしら理由があっての犯罪であったのが、池田小事件、幼児連れ去り事件などのように「犯罪を犯すためだけの犯罪」(208項)という性格を帯びた犯罪が多くなりだす。(いみじくも、先日の広島女児殺害事件もこの犯罪に属するのであろう)

といったようにまさに何か示し合わせたようにも見えるぐらいに、絶望の連鎖が始まりだしたのがこの1998年を起点にしてだと著者は実際の調査の例を交えながら示してくれる。
これは、どうしようもない現実を癒すため、もしくはそれから逃避するためにアディクション(嗜癖)的な行為に走った結果であったり、自暴自棄になったりの結果としてしてこれらのことが起きたという視点も著者は示している。
著者は、このような1998年問題的な心理を抱くものが希望に障害をきたさせた結果として社会に悪影響を及ぼすのではないかということに警鐘を鳴らしている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中間集団 :松山情報発見庫#341

2005-11-29 00:00:00 | 松山情報発見庫(読書からタウン情報まで)
希望格差社会―「負け組」の絶望感が日本を引き裂く

筑摩書房

このアイテムの詳細を見る


著者は、1990年代頃(以下、著者の言葉遣いに会わせ、現代)までは、個人と社会の間で個人の選択へのリスクヘッジとなってきたものとして「中間集団」というものを挙げている。
これは、日常の中では、
家族、親族、企業、労働組合、コミュニティーなどである。
これは、家族、親族もしくはコミュニティーというものなら、離婚をしてしまったり、親が病気になってしまった場合に、援助をしてくれていたが、これがニュータウンの発達による地域とのコミュニケーションの希薄化や、核家族化による広く親族との交流することの希薄化により弱体化してしまったということである。
また、起業、労働組合ならば、ここでも何度か述べているので詳しく述べることはしないが、現代に入り、市場原理主義的な性格を強め、これまでは、頑張って働き続ければ、給料は上がり、昇進のチャンスもあったのが、今では、そうではなくなってしまったというものだ。

この中間集団(本書の中では、「希望」について述べられている中で登場する)というのを、著者は、思想史的にも俯瞰している。
まずは、これを西洋について見てみよう。

[努力が報われるための宗教の機能]
西洋では、前近代においては、親から職業を告ぐというのがあり、貧しく生まれ育ったものは、そのまま貧しい状態に在るということがあった。そのために、宗教が、来世で救われるためには、道徳的によい行いをすることが必要だとして、民衆に希望を与えた。

[マックス・ヴェーバー的現世努力]
宗教の力が宗教改革などを経て弱まっていくと、ヴェーバーの「資本主義の精神」のように、貧しい状況、苦しい状況にあっても、勤労という行為を精進することですくわれるという概念が広まっていった。

[マルクス的造反]
実際は、努力したところで報われない人が多くいる。このような状況を打破するには、資本化への造反で労働者も豊かな生活を獲得できるとした。

続いて、日本における思想的な「中間集団」について見てみよう。
この日本の思想的な中間集団については案外シンプルに述べられている。
戦前までは、帝国主義的世界の中で日本が欧米に追い越すことで存在意義を見出すということに民衆は意義を見出していた。
戦後においては、それが「広い住宅、家電新製品」(199項)、子供の学歴などに代表されるように、「豊かな家族生活」(同)を築くことを目指し人々は労働に邁進した。
しかし、これが選択に伴うリスク化、中間集団の弱体化により希望が見出しにくくなってきた。

これは、「人間にとって職業(仕事)のもつ意味」(101-103項)において①経済的に豊かな生活をするために不可欠なものとしての人類史上の共通の目的としての仕事②アイデンティティーを支えるためのものとしての仕事という二つの仕事の持つ意味の両方を危機に晒しているといえる。
これまでは、OJTなどによりただ企業の中でいるだけで自らの能力は開発され、キャリアも積み重なれていくということがあったが、それが現代になっては、自ら選択をとおして「社会の中で役に立っている」「社会の中で必要とされている」(102項)という実存感の補完を自らの自己責任において為さなくてはならなくなったからである。

次に、ここまで述べてきたような状況を引き起こすことにつながったと著者が分析している「1998年問題」ともいうべき問題について見てみようと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

リスク :松山情報発見庫#340

2005-11-28 00:00:00 | 松山情報発見庫(読書からタウン情報まで)
希望格差社会―「負け組」の絶望感が日本を引き裂く

筑摩書房

このアイテムの詳細を見る

「職業・家庭・教育、すべてが不安定化しているリスク社会日本。『勝ち組』と『負け組』の格差が、いやおうなく拡大する中で、『努力は報われない』と感じた人々から『希望』が消滅していく。将来に希望が持てる人と、将来に絶望している人の分裂、これが『希望格差社会』である。」
これは、この表紙の帯に書かれている言葉であり、おそらく書評などで見かける本書の理解であるといえる。
頭をひねって理解するというのではなく、理解しようとするものを自らの問題へと接合を試みながら解読しようとするのでもなく、ただ流れてきた風評をフロス<froth=泡>のごとく賞味していく。そのような一般的な情報に対する姿勢を思い知らされる本だ。
この本のように特に「流行」した本は、まさにそのほんとうの内容の質などにまったく無関係に<froth=泡>のごとく消費されていく。
私がいいたいのは、この本はこの表紙に書かれている内容以上に意義深い本であるということである。

著者は、近年とくに進みだしているといわれている社会の不安定化について、「リスク化」「二極化」という二つのキーワードを分析することを中心に述べている。
まず近代まで(著者の主張と照合するなら、あえて1998年までとする)は、ある程度社会は安定していた。
もちろんそこには、職業、婚姻相手に対する選択などの自由はあったが、まだ経済的に膨張を続けてきていたこの時期には、今に比べて安定があったといえる。
この安定を脅かしていったのが、家族、労働組合、会社など社会と個人の間に横たわる「中間集団」(41項)ということである。
この「中間集団」の説明にはいる前に、一般的な意味での近代社会から市場を重視する資本主義社会に移行する中で顕在してきた選択とリスクについてみてみたいと思う。

選択をするということはリスクが伴うということである。
資本主義社会では、選択は自由にできる。しかし、必ずしもその選択が成就するということを保証するものではない。

「リスクは、『敢えてする、勇気をもって決断する』というものが原義であったことを思い出していただきたい。自由で人生の選択が可能な社会とは、逆に、選択に伴う新たな危険に出会う可能性がある社会なのである。」(31項)

と著者は述べた上で、これで最近よくいわれる自己実現について、その定義を「自らの意志で選択し、自分で思い描いた状態を実現すること」(33項)とし、

「自己実現の強調は、個人の生活や意識にとって、プラスの側面ばかりではない。まず、選択肢が多様化しても、その選択肢が実現できない場合が発生する。だから、リスクなのである。自己実現できない状態に出会えば、自己不全感に陥る。中には、絶望感に陥り、自殺する人も出てきてしまう。
 自己実現ができずに、状態が悪くなったとしても、誰のせいにもできない。つまり。『自己責任』の概念が発生する。自己責任は、個人の感情状態に相当の負荷をもたらす。
 同時に、自己実現の強要という事態も現れる。リスクをとることが賞賛されると、リスクをとらないでいること、自分の理想を持たないこと、目指さないこと自体が非難されるものとなる。」(33-34項)

という様に述べている。
選択ということの幅が広がるに連れ、能力がある者がより、富んでいき、そうでないものは貧しくなる。その結果として、能力がないものは、頑張っても仕方ないという風になってしまうというのが、希望格差が現れる前提ということだ。
(*ここでは、選択とリスクという観点からおもに自己実現ということを見たが、夢というもう少し意味を拡張した観点からは、220項周辺で述べられている「夢見る若者の不良債権化」を参考にされたい。)

次は、1998年頃までとくに個人を選択によるリスクから守ってきたとされていた「中間集団」について見てみよう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

葉巻をたしなむ。:松山情報発見庫339

2005-11-27 00:00:00 | 松山情報発見庫(読書からタウン情報まで)
タバコがあらゆる意味で、いろんなことで体に悪いというのは、わかっている。
タバコを身近で吸われると殺意とまではいわないが、気分が極めて悪いのも自分も感じる。
しかし、自分一人で自分の空間でタバコを、葉巻を嗜むというのは、実に心地よい。まずい舌にいやな味の残るタバコを浪費する吸い方は賛成できない。
とはいえ、自分もしてしまうこともある。

さて、今回は、葉巻について取り上げたい。
松山にもなんとも質の高い葉巻を販売するお店があった。
伊予鉄高島屋の1階、市駅側入り口から入ってまっすぐ進んだ左手に在るお店だ。ネット通販でしか買えなかった地域限定品であったり、まさに映画で出てくるような本格的なぶっとい葉巻まで売っている。

今日、ぼくが買ったのは、
モンテクリスト ミニシガリロ(写真)だ。
「100%キューバ産高級ババナ葉を使用した葉巻。ほのかな甘みと雑味の少ないマイルドな味わいです。生産国:キューバ」(たばこ専門店 さくらんぼ*ネット通販も行う大阪のお店ホームページより)
こんな、葉巻だ。
いい!!
高島屋のダンディーな店員さんによると、葉巻はキューバ産が高品質のようだ。

過度にならないくらいで、葉巻を味わうということが趣味。
それも、素敵ではないか。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

すごいオヤジに学んでみる。:松山情報発見庫#338

2005-11-26 00:00:00 | 松山情報発見庫(読書からタウン情報まで)
俺たちのR25時代

日本経済新聞社

このアイテムの詳細を見る


この本はわが就職先でもある(迷いながらもようやく決心がついたらしい。松山配属にならなかったらドタキャンとか不純なことも考えているらしい)リクルートから出ているR25[アールニジュウゴ]というフリーペーパーの中の「つきぬけた瞬間」というののインタビューのいいとこどりだ。
このフリーペーパーは首都圏で毎週60万部を発行しており、
25歳から34歳の男性の立場に立ち「氾濫する情報の中から必要なものを選択するセンス」と「好奇心をもって新しいことに挑戦するスタンス」を読者と一緒に培っていく(9ページ)、ということが趣旨の雑誌だ。

特に僕が面白かったものをそれぞれの章から紹介したいと思う。
[挑む]
石田衣良
:石田氏は、本がとにかく小さい頃から好きでなんとなく社会にはなじめなさそう、そう思い学生生活が終わったことは肉体労働と家庭教師、そして株の投資を行い生計を立てていた。
これは、好きな本を読んで暮らせるようになりたいという想いを達するためであったという。
しかし、この想いは、石田氏が、組織の仕事も経験したいと思い、コピーライティングの仕事をしだした頃から達成されだす。
そこから、石田氏は小説を書こうという気になりのめりこみだす。

石田氏は、近頃の若者には、自分、個という強さがないとして、
「いちばん遠いことをやるといいんじゃないですか。仕事で頑張りたいのなら、一見仕事の役に立たないことをやるのがいちばんいいと思います。それで今の日本のサラリーマンにいちばん足りないのは、古臭いいい方ですが、“文化”なんですよ。25歳の人って、30歳までの5年間に仕事以外で何かひとつ自分のテーマを作ったら同ですかね。」(22ページ)
というようにその対策を挙げている。

哀川翔
:哀川氏の言葉のなかから、人付き合いのポイントを、
「60歳ぐらいまで、現役でやろうと思っているんだけどね。高倉健さんてもう70歳何段けど、すごいよね。気さくでいい人で、見るとビッとしてるよ。俺は以前小林稔侍さんに紹介してもらって、“健さんスゲーなぁ”って思ったんだよ。そういうステキな大人が、実はいっぱいいるんだよ。そこを目標として見られるから、まだまだ俺もいけると思うんだ。それはラッキーなことだよ。」
「そんで、おごってもらうんだよ。ステキな生き方してる人に習っていくんだよ。無理をする必要はないよ。自分で馴染めるいいところだけを追っていけばいい。親のスネをかじるのも人の世話になるのもかまわない。それをわかってやってるかどうかが大切なんだよ。世話になっておごられても、借りができたわけじゃない。人間には役割分担があってさ、金遣うか気遣うかアタマ遣うか、カラダ遣うか。」
というのがあるというように述べている。
すごく洗練された考えのように思う。


これ移行も取り上げようと思ったのですが、
R25のホームページ自体がブログ形式になっていてコンテンツがすべてタダで!!
見れるようになってますので、コチラ(つきぬけた瞬間)からご覧になって見てください!

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

K’S DININGちょっと贅沢な本格派。:松山情報発見庫#337 

2005-11-25 00:00:00 | 松山情報発見庫(読書からタウン情報まで)
ついに始まりました!!
金曜日からサークルK四国地域に住んでいる皆さんですごくマニアな方は、待望であったK'S DININGがいよいよ始まりました。
すごいです!!
うますぎます!!
はっきりいって、前からあったK'S CAFEにしてもそうですが、コンビニで食べられる味ではないです。
というかそこらの普通のお店に比べてもかなりおいしいです。

メニューは小鉢風のおかず(なんとサトイモの煮っ転がし、さばの煮たものなど和風のものまであります!!)、本格的なクラムチャウダーパスタ、ミートソースパスタから、本気のぷりぷりえび入りの本格サラダまだいろいろそろっています!!
しかも小鉢系はすべて200円以下!!
パスタなども500円ほどとたいへんお求め安い価格!!
これは絶対買いです!!
四国限定ですが、お近くにサークルKがある方はぜひお試しください!!

ps.
ちなみにパスタ類はよりおいしくお召し上がりいただけるように、
ソースとパスタがわけてはいっています。
(なぜか社員気取りの宗田でした。)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

孤独と実存、嘔吐の概念:松山情報発見庫336

2005-11-24 00:00:00 | 松山情報発見庫(読書からタウン情報まで)
嘔吐

人文書院

このアイテムの詳細を見る

嘔吐という概念は、『存在と無』のなかでまた詳しく述べなおすことになるがここでこの小説の中での嘔吐、または実存ということを見ていこうと思う。
この小説は、以前も何度か触れたと思うが、サルトルが戦争を経験する前、つまりドイツ群の捕虜となり、その考えに希望というスパイスを加味する前のものである。
つまり、人生というものを実存することと捉え、
実存は、ただそこに現れ在ること、現存することと捉えることというように解釈されている。

実存観を支えるものとしてこの小説の中では、
①他者との関わり
⇒これは男性とは、いわゆるコミュニケーションという領域にいてであり、女性とは、セックスという甘美なものを通して行われるものである。

②就労<働くということ>
⇒主人公であるロカンタンは、ド・ロボンヌ侯爵の本を完成させるという「自己実現」の目標が潰えたとき、独学者との会話に、女性との関係にひびが生じてきたいるように思える。
つまり、働くということ事態が実存観を安定させ、そのロカンタンという「人」が一人になることを防いでいるのである。
実存観を支えるものとして、働くことが挙がっていることは、後に『希望格差』の項で述べることにして、ここでは、実存ということについて考察をしてみよう。

さて、「現存」とは、いわばそこにただ存在する、実存することなのだが、そのクオリア<質感>は、「まったくぶよぶよであり、なんにでもべたつき、厚ぼったくてジャムのよう」(219項)であり、「汚い」(220項)ものでもあり、その発生原理というか、そもそもただ在ることが発生するというのはおかしい著述になってしまうが、
サルトルをして、
「暖かい静かな寝室で、気持ちよいベッドに眠っていた男は、蒼みがかった土地の上、陰茎の森の中で素裸で眼を覚ますだろうジェクストプーヴィルの煙突のような空に向かって突出している、微かに鳴っている赤や白の陰茎の森には、玉葱のように毛むくじゃらで球根の在る、半ば地上に出ている巨大な睾丸がある。また、鳥どもがこの陰茎の周りを飛び交い、嘴でつきさして血が流れでるだろう。あるいは、こうしたことはなにひとつ起きないだろう」(261項)

と言わしめているように、
人がそこに回帰をしようと試みる場では在るが、実際は在るのかも分からないというような場所であり、その状態というのは入れ組んでおり、どろどろしたもので在るということができるのではないだろうか?

そして、「嘔吐」なるものは、この実存という事実、エロティックであり、その実存観を支えるもの、言い換えるなら、実存というものがただそこに在るというだけで、またその在るということ事態が、それだけでは成り立たないという不条理に触れることで引き起こされる状態のことなのである。

①と②がそれぞれ独立して実存を支えているということではなく、それぞれが交差することで相互に影響を及ぼしあい、実存という不条理から救出をはからさせてくれるのである。
ロカンタンは、ある女性とのセックスの最中に、
「私はド・ロルボン氏のことを考えていた。要するに、彼の生涯を題材にして私が小説を書くことを、何が妨げているのか。マダムの脇腹に沿って私は腕を無意識に動かした。すると、ふいに幅のある低い樹木がたくさん植わっている小さな庭を見た。樹々からは毛で蔽わわれた大きな葉が垂れ下がっていた。いたるところを蛾や百足が這い廻っていた。」(97項)
といったことを着想している。

これは単純に、女性器の描写ということもできる(後に取り上げるマラルメにも同様の描写で女性器を暗示させる箇所がある。)
しかし、小説の創作と絡められて叙述されていることからも明らかのように、性と創作ということが関連付けられ止揚されているといえる。
これは、ここでは省くが独学者との図書館での対話にも同じことがいえるのである。

この『嘔吐』という小説において、『存在と無』の大きなトピックの一つでもある
「無の問題」がほぼ述べられていないに思えるのは、サルトルの思想の変遷として今後の検討課題となる。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人生の孤独:松山情報発見庫#335

2005-11-23 00:00:00 | 松山情報発見庫(読書からタウン情報まで)
嘔吐

人文書院

このアイテムの詳細を見る


主人公はロカンタン。特にその身の上が詳しく述べられているわけではないが、分かっていることは、彼は30歳であり、ド・ロボンヌ侯爵という18世紀にいた人物の史的研究をする人物であるということである。
歴史的には、antiquary(アンティカリー)という研究史性に属するといえるのであろう。これは、必ずしも、専門職についていなくても、古物趣味などがあり過去への回帰を試みるような研究姿勢であるといえる。
これを現在的視点から見ると彼は、おそらく今でいうニートという存在に近いのかもしれない。
彼は歴史上の事物を研究している。しかし、特に大学などの研究機関に属したりするというタイプのいわゆる雇用されているという形での研究者というようには思われない。
今は、若者が没頭するものとしてインターネット、出会い系、チャットなどに対して描かれるであろうところが、時代背景もあり、書物に没頭したり、執筆に従事しようとするが身が入らないといったような姿に投影されているのであろう。
つまり、サルトルに自体は、その意図はなかったかもしれないが、人生ということに対して思弁をめぐらす結果、実存という不条理さに思いをめぐらし、徐々に孤独に陥っていくというベクトルはおよそ現在でのニートもしくは、社会的引きこもりというものに近似するといえる。

時代と作家サルトルの個性して、引きこもるというよりは、カフェで読書、執筆をする。もしくは、カフェで出会った女性と情事を起こすというような形になっているのであろう。
その程度差こそあれ、ロカンタン少年は今を生きる若者と同じく、人生における不条理さに追従されているといえるのではないだろうか。
(このことは、後に希望格差についての箇所で詳述)
まず、ロカンタン少年と創作について見て見たいと思う。
創作とは冒頭でも述べたように、ド・ロボンヌ侯爵に対する書物を書き上げようとすることだ。

彼の創作に関しては、①カフェ②図書館という場所が重要になる。
それぞれ創作をするという場所に加えて次のような性格があるといえる。
①カフェ
:避難場所としての性格
→自然という溌剌としたものからの避難
→他者との緩やかのコミュニケーションがとれる場として
→マダムとの性的関係を再帰する場所として
*このカフェについては、後に実存観との関連で詳述
②図書館
:純粋制作意欲を書き立てる場所として
→これは、独学者という男との会話などを含む。

ここからは、実存と嘔吐ということについて見ていきたいと思う。
(次に)
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いよいよ本日18:30「教わる技術。コミュニケーション講座。」

2005-11-22 06:00:00 | 松山情報発見庫(読書からタウン情報まで)
いよいよ待ちにまった「教わる技術。コミュニケーション講座。」が愛媛大学城北キャンパス、グリーンホール(旧称:共通教育第講義室)にて行われます。

火曜ナイトサロンスタッフ一同、心より皆様のお越しをお待ちしておりますので、どうぞお気軽にご参加ください。
就職活動を控えた3回生から社会で活躍する人まで幅広くお楽しみいただける内容になっておると自負しておりますので、どうぞお越しくださいませ。

いつも、ご覧になってくださりありがとうございます。
感謝しています。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ノリタケ感激!!すごいっす!:日経新聞かじり読み#7

2005-11-22 00:00:00 | 日経新聞かじり読み
今回は日経新聞11月21日付の「会社の金言」からノリタケカンパニーアンドリミテッドの社訓を取り上げたいと思う。
ずばり!!

「人は感激に生き保守に死す」

という感慨深い言葉である。

皆さんはノリタケと聞いて何をイメージするだろうか?
僕の世代の人ならおそらくお皿のメーカーというイメージではないだろうか。
あのとんねるず木梨憲武氏が安田成美氏と結婚した際に引き出物としてここのお皿が出されたからであろう。
さてそのノリタケだが今回の記事を見て驚いた。
もともとは、1876年に設立された貿易商「森村組」の陶磁器の製造部門で、そこから「一業一社」のモットーから分社独立したようだ。
更に驚くのは、この「森村組」から独立した会社には衛生陶器で超有名なTOTO、電力碍子の日本ガイシなどもあるということだ!!

「新しいものに目を向ける姿勢を忘れないよう普段から社員に話している」という現社長の言葉にも具現化されているように、
「人は感激に生き保守に死す」
という言葉が現在までに引き継がれているのだ。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

来ないと少なくても6万円の損!?教わる技術コミュニケーション講座!!

2005-11-21 00:00:00 | 松山情報発見庫(読書からタウン情報まで)
もしかするとセミナー終了後はカラオケで水上先生とマラカス揺らして遊ぶかも!!
さてさて、いよいよ「教わる技術。コミュニケーション講座@愛媛大学」が今週の火曜日22日にグリーンホールにて開かれます!!

何が6万円の損かって!?
ほんとうなら水上先生の話を聞きに東京にまで行かなきゃいかないし、受講料も払わなきゃいかないし、時間も会わなきゃ行かないし!?
それが今回はタダで愛媛大学で話が聞けちゃうんです!!
水上先生がサイバーエージェント、ミクシィ、エディーなどなどの会社の代表から得た話!!
水上先生が、月商1100万円を越すネットショップの経営からつむぎだした知恵!!
教わる技術で披露した周りの師匠に学び自分を成長させる方法!!
自分を売り込む自分企画書の作り方!

などなど、こないと絶対損をする内容です!!
少しでも眼に留まった方は、どんどんこのポスターを使ってでもいいのでみなさんお誘いの上お越しくださいませ♪
ぜったい来て下さったら得すると思います!!
どうぞよろしくお願いいたします。

いつも見てくださりありがとうございます。
感謝してます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ホリプロに学ぶプロ論!!:日経新聞かじり読み#6

2005-11-20 00:00:00 | 日経新聞かじり読み
今回は2005年10月10日付け日経新聞の「会社の金言」からあの深田恭子和田アキ子優香も所属することで有名なホリプロの社訓を紹介したいと思う。

「むずかしいことをやさしく やさしいことをふかく ふかいことをおもしろく」

というものだ。これは井上ひさし氏による言葉だそうで、ソフト産業に関わるものの「至言」として創業者が設置したものだそうだ。
現在のホリプロの会社作りの方針は、「チャーミングな会社」を作ろうということのようだ。「ちゃんと笑えて、ちゃんと泣ける、人間力の高い社員」が集うことで創業者の志にもある一般に多く支持されるエンターテイメント集団を目指しているのであろう。

「むずかしいことをやさしく やさしいことをふかく ふかいことをおもしろく」
というのも哲学に本来かされていたことではないかと思う。
つまり、「なぜ生きるのか?」「なぜ仕事するのか?」などの「むずかしいこと」をやさしく、ふかく、おもしろく伝えていくことが哲学の本来の姿であるはずだ。

このホリプロことばは、ありとあらゆる言論に携わる人にとっての「至言」でもあるのであろう。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドラマティックなフリーターの将来:日経新聞かじり読み#5

2005-11-19 00:00:00 | 日経新聞かじり読み
今回取り上げるのは、2005年10月21日付の日経新聞から人材派遣会社の雄PASONA(パソナ)の南部靖之氏の「フリーターこそ『終身雇用』」(『ご異見拝聴』)というのを取り上げたいと思う。
この論考の中で南部氏はいささかトリッキーと思える論理を展開しているようにも思える。

趣旨としては、
:フリーターに関して政府は、彼らは収入が低くそのような存在が増加することは税収の伸び悩みを招き、社会保障制度も立ち行かなくなる。だから、フリーターを正社員化することが必要だ。というようにいう、しかし彼らフリーターは、収入が低くても、ほんとうに自分の価値観にあったライフスタイルや働き方を探している。
これから雇用という概念は大きく変容するであろう。それは、ワークシェアリング(仕事の分かち合い)、アウトソーシング(業務の外部委託)などが進んでいくとある仕事を完遂させるのに必要な間だけ人が集まるといういわば映画製作のような「オーディション型雇用」というものになるであろう。
つまりフリーターはこのような形を先取りしている存在ともいえるのである。
それゆえ、」税制、社会保障もフリーターに合わせたものにすることが必要である。

というようなものだ。
これだけを読むと、一般的に言われているフリーター論と大きく乖離しており違和感を抱かずにはいられないかもしれない。
しかし、これをパソナ社の企業理念と照らし合わせて見ると合点が行く気がする。
それは、

「社会の問題点を解決する」

私たちは、『人を活かす』ことを人材サービスの原点とし
常に高い志と使命感を持ち、新たな雇用インフラを構築し
さらなる雇用創造に挑戦し続けることを使命とする。 一、 誰もが自由に好きな仕事を選択し、一人ひとりの
人生設計に合わせた働き方ができる社会を築く
一、 会社と個人がお互いに対等な関係で結ばれ、自由に
才能を活かせる社会を目指す
一、 年齢・性別を問わず、一人ひとりが夢を持って活躍
できる機会を創造し続ける
(パソナHPより)

というものだ。
純粋に社会との関わりの機会を多様にしたい。その想いがこのような論理を語らしめたということであろう。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

就職活動にむけてのお仕事哲学。:松山情報発見庫#334

2005-11-18 00:00:00 | 松山情報発見庫(読書からタウン情報まで)
就職活動の新しい教科書 (ワークブック)

日本能率協会マネジメントセンター

このアイテムの詳細を見る

いやー!!
やられました。
あのリンクアンドモチベーションからとうとう出ました。
就職活動中に、リンクアンドモチベーションの試験を受けて、たしか「この会社のセミナーとか配ってくれる資料をもっと多くの人が共有できたら就職活動は変わるはずだ」こんな想いをこのブログに書いたはず・・・
それがほんとに現実になったんです!!

世間の多くの就職活動の本では、
どのようにすれば(How)就職できるのか?
ということについては多くを教えてくれます。
そのことでは、結局「自分がどうしたいか?」という軸はすっかり抜けたままになってしまう。
僕も以前大学のセミナーでお話しをさせてもらったとき、
「なぜ就職するのか?(Why)」をまず考えることが大切ということをいったと思うが、この本でもまずそのことを説いている。
しかも、まさに念願であったワーク(作業)つきで自分の考えを具体化できるという優れものだ!!
就職活動をこれから控えている人には絶対というくらい読んで欲しい本だ!!

この本のでは、就職活動は、「目的地のある旅」で、その目的地というのは、「その企業に就職するのか?」「そこを目指すのか?」という自分への問いかけから導かれるべきであるとする。
そして、就職活動における人事担当者からの面接での質問の2つの本質である「この人はどんな人なのか?」「この人はなぜこの会社に入りたいのか?」ということについて、自分史の作成、人生における節目での出来事においてその時々に、自分が何を考えどう行動したか?
誰に、何を、どうした時にどのような強みを得ることができたか?
周りの友人、両親は自分をどう見ているかなどを考えることで深めていくという内容だ。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ボジョレーヌーヴォー、きたー:キター(´∀`*)ノ ヤター松山情報発見庫#333

2005-11-17 12:00:00 | 松山情報発見庫(読書からタウン情報まで)
キター(´∀`*)ノ ヤター
ツイてるツイてる♪
昨日(11月16日)に斉藤一人さんの講演会に出てから、なんだかツイてる気がする♪
今日は、サークルKのアルバイトだったが(このくそ堅いブログの中で珍しく日記調に)、実は今日11月17日は何を隠そうあのかの有名なボジョレー ヌーヴォーの解禁日だったのだ!!
キター(゜∀゜)―
別にボジョレー ヌーヴォー解禁日といってなにも期待はしていなかったのだが、コンビニということもあって、日付が17日になった12時からボジョレーを販売しだすということで、バイトが終わった後にそのセッティングなどをしていました。

時は、am2時、店長がなんとボジョレーのドメーヌ・ド・リョシュボンヌ(写真右)という銘柄を空けて僕に飲ませてくれました。
はやりものには正直毎年、ものすごく覚めた眼で見ている僕だけあって、はじめてボジョレー飲みました!!
びっくりです!!
テレビで「今年は例年よりフルーティーなのが特徴なんですよ!」とかいっていたが、よい葡萄を発行させたその感じが芳醇に口の中にふわあっと広がる感じ!!
日本の多くの人がこのワインに期待する理由が分かった気がしました。
それも、店長、僕が嬉しそうに飲んだからか、なんと!!このドメーヌとやらくれました!!
まさにキター(゜∀゜)―ですね!!

くれた手前もあって、ジョルジュ・デュブッフというよくみるやつも買って帰りました。
味はこのジュルジュ・デュブッフのほうが好きな感じでした。
フルーティーな感じがもう少し強い感じです。
ボジョレー・・・
先日取り上げたジョルジュ・バタイユの論考をまさに食するというかんじですばらしいものでした。

人を幸せにするお酒はすばらしい!!

---------------

このツイてるリズムにのってきっと来週の「教わる技術。コミュニケーション講座。」にも少なくても100人以上は来てくれますように!!
いやきっとグリーンホールがいっぱいになるぐらい来てくれるさ!!
みなさんきっと来てくれたらすごく得すると思うのでどうぞよろしくお願いします!!
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする