三森ゆりかさんの『外国語を身につけるための日本語レッスン』を読んだ。
内容は4章に分かれている。
第1章は外国語と日本語の違い、そして「国語教育」の違いについて。特に日本語は主語や目的語の省略が多く、外国語に翻訳する際うまくできないことが多い。それは日本語の特徴なので善悪の問題ではないが、それがためにあいまいなものをあいまいなままにする傾向ある。
確かに小説などの文学作品の場合、それはひとつの表現となっているわけなので問題にするわけにはいかないが、普段の会話などではあいまいなものをあいまいにして議論がかみ合わず、それを許している現状がある。会議でも意見はつねにかみ合わず、だれもが自論を言うか、ただ黙って聞いているかだけだ。そしていわゆる「空気」による支配によってなんとなく決定していく。国会の議論のかみ合わなさは世界に恥をさらしているようなものだ。日本は民主主義の建前でいながら、独裁者のやりたい放題なのではないだろうか。これは日本語の特徴に安住してしまい、本来行うべき言語技術の学習をおろそかにしてきたせいなのではないだろうか。
日本の国語教育は「文学教育」が主流であった。文学作品を鑑賞することが主だったのである。言語表現を批判的に読解し、それに対して自分の意見を持ち、そしてその意見を的確に表現するという「言語技術」の教育はあまり行われてこなかった。これからのグローバルな時代に対応するためには「言語技術」の指導が重要になってくることは明らかであり、研究、実践が急がれる。
第二章は「翻訳できる日本語へ」。主語、目的語などをあいまいにしないで、外国の人とコミュニケーションができるような日本語の文をつくる訓練の必要性とその方法が紹介されている。
第三章は「『対話』の技術」。
第四章は「『説明』の技術」。
いずれも、言語表現の技術の必要性とその方法の紹介である。外国の国語教育では当たり前のように行われていたことが、日本ではほとんど行われていなかった。それを日本で実践するための入門編と言ったところである。
日本の国語教育のすべてが悪いとは思わない。しかし、あまりに伝統に安住しすぎてやるべき改革をしてこなかったのは明らかである。欧米諸国に比べれば「言語技術」能力という意味では数十年は遅れているのではないだろうか。
今後の改革の方向性をわかりやすく示してくれる良書である。