オリンピックの基本理念は平和です。世界各国がスポーツを通じて世界が平和になることを目指しているはずです。だからオリンピックに出場する選手に対しては平等に応援すべきはずです。
しかし明らかに私たちは自国の選手を応援します。それが悪いことだとは誰も思いませんし、誰も批判もしません。日本人を日本人が応援するのは「当たり前」です。「当たり前」過ぎて何も意識していません。
よくよく考えてみれば、「国家」の枠組みは人間を分けるものではないはずです。たまたまその国で生まれただけです。その国を好きになる必要はないし、その国に忠誠を誓う必要もありません。しかし人間は自分の国に固執します。
政治はその国家所属意識を利用します。国家的一体感という幻想を利用して政治的圧力を使うことができるのです。そしてオリンピックというのはナショナリズムを育て定着させる大きな装置となっています。スポーツが権力を握ったのはそういう装置を生み出してきたからです。
東京オリンピックは、政治の思惑があまりに露骨に見えすぎました。競技自体は楽しめました。選手のがんばりに感動し、思うような結果を得られなかった選手の姿に心を動かされました。しかし一方では、政治家の浅はかな思惑も明確に見えてしまいました。
私はこれからのオリンピックはかなり冷めて見てしまうことになるだろうと感じます。