安倍晋三氏が亡くなってわかったことがある。日本の権威主義である。
安倍氏は森友学園や加計学園問題、「さくらを見る会」などたくさんの問題を抱えていた。もちろんひとつひとつ国家的なテーマとしては取るに足らないような問題であり、それを大きく取り上げるのはどうかというものであった。しかし、森友問題においては赤木さんの自殺もあり、やはり見過ごすことはできないようなものであった。
それ以上に大きな問題だったのは、安倍晋三氏をとりまく権力集団の不遜な態度である。とりまきのような評論家が偉そうに安倍氏を擁護する論評を加え、さらに敵対する勢力を「バカ」と言い切る。さらにインターネットでいわゆる「ネット右翼」が乱暴な言葉遣いで追随する。それが当たり前の世の中になっていた。
ところが安倍晋三氏が亡くなって、あきらかに「空気」が変わった。取り巻きの評論家たちは、逆にネットの攻撃の対象になることも多くなった。インターネットの書き込みも、前ほどのひどさがなくなった。(ネット右翼って旧統一教会の信者なのではないかとも思えてくる。)
これは何を意味しているのか。あきらかに安倍晋三氏の御威光がなくなり忖度しなくなったのである。つまり、それだけ日本人は権威に弱かったということである。
こういう権威に弱いという性質が、日本が戦争に突き進む要因になったのだ。周りの「空気」に追随する生き方が日本人の大きな特色であり、それに反抗できない。反抗すれば「村八分」にされる。それが怖くて自分の主義主張を無意識に変えていく。それが戦争に突き進めたのだ。
自由な言論環境を守っていくことが大切である。