第十二章
画工は和尚を、最高度に芸術家の態度を具足していると評価する。自分は場所を選ぶが、和尚は場所を選ばず同化できるというのだ。時と場所を選ぶ画工は、画工は気に入った山の端を描こうと外に出る。
場所を決めてそこに寝そべると、視界に男が入って来る。するともう一人女が登場する。女は那美である。画工はふたりを遠くに見ている。画工はその日の朝、那美が短刀をもっている姿を見ていたので、その短刀でその男を斬るのではないかと想像し、冷や冷やしている。男と女は何やら話をしている。男が踵を返す。すると女が呼び止めたのか男が女のほうに再度振り向く。女は帯の間に手を入れる。画工は刀を出すのではないかとひやりとするが、女が出したのは財布であった。男は那美の元亭主であった。勤めていた銀行がつぶれて貧乏になったので、満州に渡ろうとしていたのだ。那美は元亭主に渡航の資金を援助したのである。日露戦争の最中に満州に渡航しようとしているのである。これは大変な決断であろう。
那美は画工を誘い、従妹の久一の住む家にいく。久一は戦争に行くことになっていた。那美は久一に「御伯父さんの餞別」だと言って短刀を投げ渡す。那美が短刀を持っていた理由がここでわかる。
さて、この章で画工は那美を次のように語る。
あの女を役者にしたら、立派な女形が出来る。普通の役者は、舞台へ出ると、よそ行きの芸をする。あの女は家のなかで、常住芝居をしている。しかも芝居をしているとは気がつかん。自然天然に芝居をしている。あんなのを美的生活とでも云うのだろう。あの女の御蔭で画の修業がだいぶ出来た。
那美は芝居をしているというのである。しかし那美自身は自分が芝居しているとは気がついていない。これこそが社会化した人間の姿である。社会の中では役割を演じることが求められ、その要求を知らず知らずに受け入れているのである。それは美的生活を目指す人間にとっては死に等しい。社会というのは人間の必然である。だから美的生活を目指す画工にとってはどこに行っても行きにくいのであり、それが分かった時が画の完成になるのであろう。
とは言え、それは理屈である。その理屈を超えなければ真の完成にはならないのは明らかだ。
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