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世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

チェンマイ芸術文化センター&歴史博物館

2014-10-22 15:29:26 | 博物館・タイ

 チェンマイ芸術文化センターと、その裏手の歴史博物館、及びプラポッグラオ通りを挟んで向かいの、ランナー民族(俗)博物館の3館を見学した。今回は芸術文化センターと歴史博物館を紹介する。尚、紹介する展示物は当該ブロガーの興味深いものだけで、多少偏っていることを御許し願いたい。
 
 芸術文化センターは3王像広場の後ろに位置しており、次の写真の歴史博物館は芸術文化センターの裏手にあたる。

 民族(俗)博物館との3館共通入館券は、外国人の場合180Bでタイ人の40Bと大きくことなる。過去当地に4年半滞在しており、その時の古い運転免許証を提示したら、写真の40Bの入館券をゲットできた。



 先ず写真のChiangmai Legends (in Relation to the Lua community)なるボードを紹介したい。多少長文であるが御許し願いたい。
 チェンマイは、ステープ山麓に位置している。多くの伝説がメンライ王前期にチェンマイは、存在していたとする。スワンナカムデーンやインターキン年代記類に依ると、3つのルア族(ラワ族と同義、以降ラワ族と表記)の都市国家が存在していた。それはチャタブリーないしはウィアン・チェットリン、ノッブリーとウィアン・スワンドークであった。
 その後メンライ王は、ランナー王朝の王都を定めた。彼はラワ族社会と良好な関係を持っていたと云う。Chinakarn Maleeprakorn(知らないのでボードの表現をそのまま転写)年代記によれば、彼はラワ族が、ケーランナコーン(ランパーン)都市国家が支配できるよう、その地を割り当てた。チェンマイが確立された後も、ラワ族社会は同じままであった。多くの年代記類は、王が僧侶として叙階されるラワ族の人を任命していることに言及している。
 ラワ族の人々は、ランナー王国内の多くの地域に居住し、他の民族グループと関係を持っていた。パヤオの伝承によれば、ラワ族の人々は彼らの農園で作物を栽培し、それをタイ族に販売していた。スワンナカムデーン年代記によると、タイ族はラワ族の生活様式に学び、それに従っていると言及している。
 ラワ族の伝統は、彼らの居住地で観察することができる。彼らの新居の祝いは特徴的で、新築した家に犬をまず案内するという。カゥイラ王がチェンマイを支配した時、この式典が行われ、彼を祝福し、良い未来がくるように祈った。
 ラワ族は現在も、古い習慣や伝統を維持し、実行している。プーセ・ヤーセ祭祀とに敬意を払う儀式は、いまだ毎年行われ、伝統を継承している。プーセ・ヤーセの祭祀は、社会の人々に敬意を払い、祝福するために行われ、平和な社会生活を祈願する。この祭祀はドイ・カムの山麓で行われる。祭祀の式典ではチェンマイのサオ・インターキン(国の御柱)に似たような、Sagang柱(村の祖柱)に礼拝する。
・・・とある。

 写真はチェンマイ王が即位儀礼の際、犬を連れたラワ族(白い服を着た先導者)が王の先駆けとして、白象門(チャンプァック門)より城内に入城するジオラマである。

 写真は、布薩堂内部を模したものである。ここでもランナーらしさを感ずることができる。本尊前面のSattaphan(蝋燭立て)は須弥山を模したランナー独特のものである。