<続き>
<パヤオと中国陶磁>
●龍泉窯・同安窯(系)との関係
位置関係を示すため地図を再掲する。龍泉窯や同安窯との位置関係を確認願いたい。
従来から国内及びタイ王国の識者は、シーサッチャナーライの青磁盤、特に稜花縁は龍泉のそれの影響を受けていると云う。また、シーサッチャナーライやパーンの青磁は、櫛歯による文様が特徴であるが、それは同安窯(系)の特徴でもある。
中国とタイは全く無縁で、北タイ諸窯はそれぞれが単独で、オリジナリティーを持ったであろうか?・・・先に記述した「タイの年代記集成」には、磁州窯の陶工云々の記事があり、陶磁の装飾技法や窯道具等が似ている点を踏まえれば、影響を受けたと認識せざるを得ない。更に「タイの年代記集成」は、龍泉窯の陶工云々の記事もある。成るほどシーサッチャナーライの稜花縁は龍泉に似ている。
従来、龍泉青磁については、その青磁貼花双魚文盤が、パヤオやサンカンペーンの印花双魚文盤に影響を与えたと、内外の識者が説いている。以下の写真はバンコク大学付属東南アジア陶磁館の展示である。
写真の左はサンカンペーン青磁(褐釉)印花双魚文盤で、右は龍泉窯青磁貼花双魚文盤である。常にこのように対比され、北タイの印花双魚は龍泉窯の影響だと・・・。
これに対し当該ブロガーは、違和感を覚えていた。片や印花、片や貼花で技法的には全く異なり、魚文の形も異なっている。そのような訳で、北タイの印花魚文は、北タイのオリジナルであると考えていた。
ところが、パヤオを訪れ驚愕と云ってもよいほど驚いた。龍泉窯と同じような魚文を見たのである。
(京都市埋蔵文化財センター 南宋―元)
(ブア村出土陶片)
まさに瓜二つの魚文である。ブア村出土の陶片は貼花ではなく、凹版のスタンプを用いた印花である。凹版ゆえに文様は、器面より浮き上がり、貼花の趣である。またカべットには、幾重にも重なる三角形状の印花鋸歯文で装飾されている。この形状の鋸歯文は、パヤオでのみ見かける特徴であり、この陶片はパヤオ焼成以外の何物でもない。
蛇足も記したが、この陶片を見るに及び、龍泉窯の影響を認めざるを得ず、「タイの年代記集成」に記された龍泉窯陶工云々について、可能性を否定できないであろう。
更なる蛇足である。ブア村出土の陶片は背鰭1箇所、腹鰭2箇所で、パヤオの印花魚文のそれと同じである。思うにブア村出土の陶片は、パヤオ操業の最初期のものであろう。この陶片の科学的年代測定が望まれる。
またまた驚いたことにKriengsakChaidarung氏は、その著書「陶磁器・パヤオ」で、興味深い盤片を紹介しておられる。それは元時代の福建省同安窯にて焼成された、青磁印花双魚文盤片だという。先ず写真を紹介したい。
写真の解像度が低く、印花魚文の詳細が分かりにくいが、腹側の鰭が2箇所ある。背側の鰭は残念ながら分かりにくい。パヤオの印花双魚文盤の魚文の特徴は、腹側の鰭が2箇所、背側の鰭が1箇所である。断定はできないが、なにやら示唆するものがありそうだ。
このKriengsak Chaidarung氏の記述に、驚きを禁じ得ない。上の写真の説明文を何度も読み返す。下の棒線部分は、タオ・トンアン(窯・同安)と記され、同安窯産となる。
この印花双魚文盤片の説明書きを翻訳すると、青磁釉のかかった双魚文盤で、元時代の福建省同安窯にて焼成された。ウィアン・ブア窯群とチェンマイ県のサンカムペーン窯群で作られた皿と非常によく似ている・・・となる。
この盤片の出所はウィアン・ブア古窯址であろうか? いずれにしても、この盤片は大きな課題を突きつけている。それは従来の考察を覆すに値する資料を提供したことにある。
先に検討したように、龍泉窯の双魚貼花文が、印花文に変化した可能性も大いに考えられる。しかし、Kriengsak Chaidarung氏は同安窯の陶片の出自について、詳細に述べていないので即断はできないが、この同安窯陶片の双魚印花文が、パヤオのそれに直接的な影響を与えたと考えることもできる。
同安窯と云えば、枯葉色の黄緑褐色の釉薬に櫛歯文の珠光青磁を思い出す。写真のように貫入をもつ翠色の青磁も存在するのか?・・・、当該ブロガーは語る知識を持たない。
以上の事どもは、パヤオの訪問で明らかになった課題で、従来の説に一石を投じている。信憑性を確かめるには、更なる追及が必須である。若い新進気鋭の研究者に、是非とも追及して頂きたいテーマである。
<続く>
<パヤオと中国陶磁>
●龍泉窯・同安窯(系)との関係
位置関係を示すため地図を再掲する。龍泉窯や同安窯との位置関係を確認願いたい。


従来、龍泉青磁については、その青磁貼花双魚文盤が、パヤオやサンカンペーンの印花双魚文盤に影響を与えたと、内外の識者が説いている。以下の写真はバンコク大学付属東南アジア陶磁館の展示である。

これに対し当該ブロガーは、違和感を覚えていた。片や印花、片や貼花で技法的には全く異なり、魚文の形も異なっている。そのような訳で、北タイの印花魚文は、北タイのオリジナルであると考えていた。
ところが、パヤオを訪れ驚愕と云ってもよいほど驚いた。龍泉窯と同じような魚文を見たのである。


まさに瓜二つの魚文である。ブア村出土の陶片は貼花ではなく、凹版のスタンプを用いた印花である。凹版ゆえに文様は、器面より浮き上がり、貼花の趣である。またカべットには、幾重にも重なる三角形状の印花鋸歯文で装飾されている。この形状の鋸歯文は、パヤオでのみ見かける特徴であり、この陶片はパヤオ焼成以外の何物でもない。
蛇足も記したが、この陶片を見るに及び、龍泉窯の影響を認めざるを得ず、「タイの年代記集成」に記された龍泉窯陶工云々について、可能性を否定できないであろう。
更なる蛇足である。ブア村出土の陶片は背鰭1箇所、腹鰭2箇所で、パヤオの印花魚文のそれと同じである。思うにブア村出土の陶片は、パヤオ操業の最初期のものであろう。この陶片の科学的年代測定が望まれる。
またまた驚いたことにKriengsakChaidarung氏は、その著書「陶磁器・パヤオ」で、興味深い盤片を紹介しておられる。それは元時代の福建省同安窯にて焼成された、青磁印花双魚文盤片だという。先ず写真を紹介したい。

このKriengsak Chaidarung氏の記述に、驚きを禁じ得ない。上の写真の説明文を何度も読み返す。下の棒線部分は、タオ・トンアン(窯・同安)と記され、同安窯産となる。

この盤片の出所はウィアン・ブア古窯址であろうか? いずれにしても、この盤片は大きな課題を突きつけている。それは従来の考察を覆すに値する資料を提供したことにある。
先に検討したように、龍泉窯の双魚貼花文が、印花文に変化した可能性も大いに考えられる。しかし、Kriengsak Chaidarung氏は同安窯の陶片の出自について、詳細に述べていないので即断はできないが、この同安窯陶片の双魚印花文が、パヤオのそれに直接的な影響を与えたと考えることもできる。
同安窯と云えば、枯葉色の黄緑褐色の釉薬に櫛歯文の珠光青磁を思い出す。写真のように貫入をもつ翠色の青磁も存在するのか?・・・、当該ブロガーは語る知識を持たない。
以上の事どもは、パヤオの訪問で明らかになった課題で、従来の説に一石を投じている。信憑性を確かめるには、更なる追及が必須である。若い新進気鋭の研究者に、是非とも追及して頂きたいテーマである。
<続く>