雨の長崎は、それなりの風情があるが3日連続となると、勘弁してほしい。今朝も中国からクルーズ船が寄港している。大勢の中国人観光客が下船してくる。観光地は中国人で溢れていた。クルーズ船が停泊する対面に旧香港上海銀行長崎支店・記念館が在る。香港や上海のそれと比較しようもない小ささだが、それなりの躯体である。ココには孫文と梅谷庄吉の交友を物語る資料が並んでいた。
長崎の最後は福砂屋のカステラである。店内には西洋のアンティーク・ガラスがケースに入れて展示してある。これは文明堂でも見た。
長崎はガソリン価格が半端なく高い。132円ー133円である。暫く、下の道を走り長崎ー佐賀県境を佐賀県側に入り、武雄付近で125円となったので給油。高速に上がって帰路につく。美祢東を経由して左折し萩方面へ向かった。道の駅・萩往還で休憩。
原寸大で松下村塾が復元され、松陰が幕末の志士に講義している様子が展示されている。
展示品をみると、松陰は長崎にも出入りし、新たな西洋事情を入手していたようだ。その松陰は安政5年倒幕論を唱え、萩・野山獄に幽囚され、翌安政5年江戸にて斬首刑に処せられた。
上は、安政6年10月20日付けで親族に送った<永訣の書>とある。死罪は免れなと悟り、親族宛てに送ったものである。以下、塾生の肖像である。
左が山形有朋、中央が木戸孝允、右が伊藤博文でいずれも明治の元勲。
左が品川弥次郎、右は山田顕義。下写真左は野村清三郎、右は野村和作。
左が高杉晋作、中央は吉田松陰、右が久坂玄瑞で何れも志半ばで亡くなった人たちである。これらの銅像の人々は萩から山口さらに三田尻の萩往還を何度も通った志士たちである。