<続き>
亀井の殿様には風流人が多かったようである。四代・玆親(これちか)は漢籍を新井白石に画を狩野洞春に学んだ。その画が展示されている。
七代・矩貞(のりさだ)は書画も良くしたが、陶芸の才が在り綾焼を起こした。
まさに玄人の手になる焼物である。誰に学んだのか興味がある。下に掲げる神農図は八代・矩賢筆である。
見ると源矩賢と記し落款を押している。源と所縁もないが源平藤橘をなのる風習が江戸期に蔓延していた。
我が島根で江戸期の風流人と云えば、松平不昧公が真っ先に思いだされるが、亀井の殿様は代々風流人であったようだ。今回で津和野町郷土館展示物の紹介を終え、次回からは亀井温故館の展示物を紹介したい。
<続く>