過日、松江市立鹿島民俗資料館へ行った折、久しぶりに佐太神社に参拝した。
(向かって中央が正中殿、右が北殿、左が南殿)
佐太神社のパンフレットによれば、主祭神である佐太大神の『サダ』とは伊予・佐田岬、大隅半島の佐多岬などの地名にみられる岬の意味で、島根半島一円の祖神である。この大神の誕生秘話は出雲国風土記にみえ、当社から十キロばかり離れた日本海に面する加賀の潜戸と呼ばれる神𥔎の窟(いわや)に金の弓矢を射ってお生まれになった・・・と記されている。
佐太大神は世に云う猿田毘古大神であるとも記されている。Wikipediaによれば猿田毘古は、「邇邇芸命が天降りしようとしたとき、天の八衢(やちまた。道がいくつもに分かれている所)に立って高天原から葦原中国までを照らす神がいた。『日本書紀』では、その神の鼻の長さは七咫(ななあた)、背(そびら)の長さは七尺(ななさか)、目が八咫鏡(やたのかがみ)のように、また赤酸醤(あかかがち)のように照り輝いているという姿であった。そこで天照大御神と高木神は天宇受売命(あめのうずめ)に、その神の元へ行って誰であるか尋ねるよう命じた。その神が国津神の猿田毘古神で、邇邇芸命らの先導をしようと迎えに来た。」・・・とある。国津神でありながら天孫族とごく親しい間柄である。出雲では大国主や須佐之男命の一族神が多いが、佐太大神はやや珍しい存在であろう。
社殿が珍しい。真ん中を正中殿とし、ここに佐太大神と伊弉諾尊・伊弉冉尊が祀られ、北となりを北殿とよび天照大神、邇邇芸命を祀る。南隣を南殿とよび須佐之男命を祀っている。まさに出雲系と天孫族神のオンパレードである。
正中殿の神門には、扇の神紋が掲げられている。不勉強で何もしらないが、これは佐太大神の神紋であろうか?
北殿の神門には二つの輪の神紋である。これは天照大神?それとも邇邇芸命?
南殿の神門には二重亀甲紋である。これはスサノオの尊の神紋であろうか?・・・これらのことどもについては全くの無知である。なにやら謂れめかしいことが沢山ありそうだ。
佐太大社もまた神在月のころに参拝するのがBestである。
<了>