不定期連載として掲載した過去4回分をレビューしておく。
今回は、下表に『第5回』と表示した、我が田舎の島根県安来市穴神1号横穴墓を紹介する。それは、横穴式家形石棺に朱色一色にて描かれている。
穴神1号横穴墓は墓群の中にあるが、そこは崖となっており見学は無理である。そこで東300mの平地に『いにしえ横穴学習館』なる建物があり、そこにレプリカが展示されている。当地は島根・鳥取県境で旧・出雲国と旧・伯耆国との国境で下のグーグルのICは、既に鳥取県米子市である。
その横穴学習館に展示されているレプリカを見ると、朱色にて描かれた壁画は、長年の風化にて見づらくなっている。
左右の閉塞石に朱で文様が描かれているが、忠実に再現しているため絵柄が良く分からない。ところが島根県立風土記の丘資料館の分館である『山代の郷ガイダンス』に、これまたレプリカ展示されている。それが下掲示のレプリカである。
右手の閉塞石には2箇所に蕨手文が、主文様として三角形状の屋根が重なる高層の高床建物、そこには斜めの線が入る。それは、梯子と考えられる。
左の閉塞石には、鹿と思われる四つ足動物と狩猟の様子を思わせる三叉の銛とおぼしき線が描かれている。
狩猟の様子は、北部九州の装飾古墳でも目にすることができるが、高層の高床建物の壁画は珍しく、出雲・伯耆特有のものかと思われる。
時代は弥生期と遡るが、当該横穴墓の東に隣接する米子市・稲吉角田遺跡から著名な線刻土器が出土した。
それが、高層の高床式絵画である。この一帯は弥生時代から古墳時代にかけて、このような見張り櫓とも思われる高層の建物が存在していたであろう。それは後世と云っても上古であるが、出雲大社の高層神殿に繋がったものと考えて大過はなかろう。
(上古の出雲大社1/10想定模型:高さ32丈・97m)
ということで穴神1号墓の装飾は、出雲のランドマークを描いたと考えているが、被葬者が誰であったかについては、脳裏をよぎる存在が見えてこないと云うことで、最後は尻切れとなったが、第5回目として出雲の装飾古墳を紹介した。
<不定期連載にて次回へ続く>