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仏暦19世紀以前のランパーン(ケーランナコン)

2022-02-10 08:43:46 | 北タイの風土・慣習

久々にタイ芸術局第7支所(在・チェンマイ)のSNS情報を今回と次回に紹介する。仏暦19世紀とは、西暦13世紀ー14世紀に相当する。その西暦13-14世紀以前、現在のランパーンはケーランナコンと呼ばれていた。

”ランパーン平野は、ワン川が流れる大きな平野です。先史時代から人間の居住地の痕跡があります。ランパーン県のコカ地区で、約160万年~180万年前の人の頭蓋骨の一部が発見されました。

ランパーン県のメーモー地区から3200~2900年前のプラトゥファー遺跡が発見され、タイで最大の先史時代の約1000種類の絵画が出現しました。さまざまな様式の絵画が発見され、それと同じ場所に、まだ無傷の埋葬地の遺跡が発見されました。以上のことから、ランパーン平野は人間の居住地に適していることがわかります。

(約3000年前の岸壁絵画:保護施設も何もない)

その後、ワン川沿いにケーランナコンの建設とともに、都市コミュニティ(都市社会)の集落が出現しました。ハリプンチャイ王国はランパーンを拠点の一つにしました。伝説に示されているように、チャマティーウイ女王の息子が統治するために、ランパーンのマチ(街)を建設しました。

ワン川の北側に位置する最初の時代のウィアン・ケーランナコン。街の中心にはワット・プラケーオドンタオスチャーダーラムがあります。土の堤防を囲む1層の堀があり、6つの門構をみます。

2007年にランパーン林業機構の職員が住んでいた地域の第1時代、ウィアン・ケーランナコンでの考古学的発掘調査から、甕(壺)の蓋など、ドヴァーラヴァティー文化の古代遺物の多くが発見されました。土鍋の残骸の年代は仏暦16〜17世紀頃でした。

(この動物肖形の土器の蓋が、上述の甕の蓋?・・・そうであろう。)

熱ルミネッセンス法(TL Dating)の時代値は760±130年前でした。仏暦19世紀の仏教時代、ランパーンはランナー王国の一部として併合されました。ランナー王国の57のクニの中で最も重要な都市の1つです”・・・以上である。

約3000年前の壁画と云えば国宝物、スリランカのシーギリヤ・ロックもそうだが、ここも自然のままで保護施設は無い。

(シーギリア・ロックに描かれているシーギリア・レディー:保護施設も何もない。しかし手で触る不心得者はいなかった。)

大丈夫か?とも思うが、これも土地柄であろう。高松塚の壁画、数十億円をかけて保護施設を作ったが、結局カビがはえて剝ぎ取らざるを得なくなった。文化庁のおそまつに比べれば、なにもしないタイ芸術局が理に適っているか?

<了>



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