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サマキー村のマナウ柱

2022-02-09 07:30:37 | 東南アジア少数民族

バーン・マイサマキー( บ้านใหม่สามัคคี )を日本語表記すれば、サマキー新村となるが、以下、サマキー村と表記する。

時間に暇ができると、Google Earthを見るのが日課のようになっている。東南アジアの山岳民族は、漢族の南下圧力に押されて、中国江南から貴州・雲南・東南アジア北部に逃れた人々の末裔であろうと考えている。その江南つまり呉越の地は、百越と呼ばれる多くの民族の本貫の地である。日本列島に渡海した百越の一派と、密接に関わっていたと考えている。彼等の慣習・風俗が古代日本のそれに、何某ら関連しているであろうと考えている。古来の慣習・風俗は、本貫の地よりも周縁部に残っている場合が多々存在する。

従って、貴州・雲南・広西、北および中部ベトナム、北タイやミャンマーのシャン州やその北部(カチン州等々)のGoogle Earthに貼り付けられた写真を、上述のことについて手がかりがないか、眺めている次第である。

チェンマイ県北部のチェンダオ郡、その郡の最北端に位置するアルノータイは、ミャンマー国境に位置している。そのアルノータイの南隣りが、今回話題に取り上げるサマキー村である。

サマキー村は、中国で景頗族(チンポー族とかジンポー族と云う)、ミャンマー・カチン州ではカチン族と呼ぶ民族の、北タイでは数少ない居住地のカチン族村である。そのサマキー村の創始は、ミャンマー政府軍と抗争するカチン独立機構・カチン独立軍(KIO/KIA)の組織から離れた、KIA兵士が移住したのが発端と云われている。50年以上経過していることになる。

前置きが長くなったが、そのサマキー村の一枚の写真に目が釘付けになった。その写真をGoogle Earth(貼り付けた人は日本人のようだが)から借用して掲載しておく。

写真の構造物をマナウ柱(เสามะหน่าว)と呼ぶようだ。カチン族正月のマナウ祭り(中国の景頗族は、それを目瑙縦歌節【めのうじゅうかせつ】と呼ぶ)の広場に立っている祭壇とも呼べるものである。

この祭りは、“かつて天空に9つの太陽が、出現して大地が干からびてしまった時、人々が多くの鳥を太陽を支配する神のもとに遣わした”という伝承にちなんでいる。鳥は歌い踊って神を楽しませ“1日に出る太陽は1つだけにして欲しい”という願いを聞き入れてもらった。その祝いの踊りとされている。この伝承は古代中国の十日神話の変形版であるが、ここでは、そのことはPendingしておく。
その祭りの広場に立つマナウ柱の写真が、Google Earthに貼りついていた。この柱の形状や文様に、それぞれ意味があるという。以下、それについて説明する。

中央の2本の柱は、ドゥンラー(男性・柱の先端が丸い、太陽を表す)、ドゥンイー(女性・柱の先端が半月状にかける、月を表す)、その両脇に同数並ぶ柱は、ドゥンノオイと呼ばれ、様々な文様で装飾されている。斜めの柱はドゥントン、土台はドゥンビエと呼ぶようだ。

土台の一番下の横たわる柱の先端(写真左側)はサイチョウの頭部を表し、反対側は尻尾である。先に記した伝承(カチン族の神話)に登場した鳥が、サイチョウで表現されている。マナウ祭りをリードする男性はサイチョウがモチーフになる冠を被るという。サイチョウは鳥の王者であり、マナウのシンボルで統治権つまり、王権を象徴しているとのことである。そのサイチョウの頭側から尻尾にかけて順にクジャク、銅鑼、月、太陽、星、太鼓を表しているという。

個人的にこれは?・・・と、注目したのは、垂直に立つ6本の柱の一番左側、中央の四番目、右端の六番目の柱の渦巻き文様である。これは三角の連続文(鋸歯文)と同様に魔除け・悪霊除けを意味するようである。日本の弥生時代や古墳時代の装飾文様に、意味が分かりにくい文様や幾何学文が存在するが、その謎解きのヒントになるような文様である。これについては、別途記事にしたいと考えている。

それにしてもサマキー村に貼り付けられた写真を見た時は、久方ぶりに興奮と云えばやや大袈裟だが、大いに興味をそそられる写真であった。貼り付けた人は日本人のようだが、個人的に長年頸を傾げていた、古代日本の文様の謎の一端に迫る写真であった。写真をUpdateした方に感謝したい。

<了>

 



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