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今回から行者塚古墳出土遺物を紹介する。行者塚古墳は現地に立って観たかったが、時間の関係で割愛した。Google では立木が茂り前方後円墳と分かりづらいが、葺石をもつ古墳時代中期初め頃の前方後円墳である。この葺石を持つ古墳は、高句麗の積石塚の影響であろうと、多くの考古学者が指摘している。
古墳時代中期の行者塚古墳は、5世紀初めと云う時期に築かれており、その時代観が重要な古墳である。つまり5世紀初めに騎馬民族の影響が伺われる遺物が出土していることによる。先ず大きなジオラマが展示されていたのでそれから紹介する。
(方角は向かって奥が北、右が東、左が西)
東西の造出し部と北東の造出し部、それと後円部頂で円筒埴輪と共に他の埴輪を見ることができる。以下、説明が順不同で申し訳ない。
西造出し部では家形埴輪を前にして贄や酒が供えられ、シャーマン(巫女)が祭祀儀礼を行っている様子が示されている。想定復元ではあるが興味深い。
東造出し部には家形埴輪が並んでおり、その右のくびれ部には導水施設を伴う囲い型と家形埴輪が置かれている。
東北の造出し部である。先代首長の死去にともなう葬送儀礼の場面である。
北西の造り出し部は築墳の様子がジオラマ展示されている。
(墳頂の埴輪群)
今回は、以下の埴輪類を紹介する。
(靫形埴輪・北東造出し部)
(盾形埴輪・北東造出し部)
いずれも武器形埴輪で騎馬民族かどうかは別にして、それらの人々に繋がる遺品である。
(円筒埴輪・円筒埴輪・朝顔形埴輪)
(蓋(きぬがさ)形埴輪)
(家形埴輪・出土地点非表示)
(家形埴輪・東造出し部)
(家形埴輪・出土地点非表示)
(家形埴輪・北東造出し部)
家形埴輪はバラエティーに富んでいる。片流れ屋根の埴輪を現認したの2例目で実に興味深かった。
次回は、特に現認したかった囲い型埴輪を紹介する。
<続く>