<続き>
行者塚古墳出土遺物紹介の2回目である。興味深い埴輪2点を紹介する。1点目は古墳東造出しくびれ部(白丸)の囲い型埴輪とその中の家形埴輪、更には家形埴輪の中に置かれた導水施設型土製品である。
囲い型埴輪に家形埴輪が配置され、その下に導水型土製品が置かれていた。その意味するところが分からなかったが、近年の遺跡発掘調査により殯宮(もがりのみや:ココ参照)の可能性が高くなってきた。首長クラスの貴人の遺体を導水施設で浄め、家形埴輪のような殯宮で仮安置したのであろう。おまけに、その家形埴輪の棟には鳥がとまっていたのである。
棟の両端に鳥が、中程には3つの鰹木が載る。鳥は死者の魂を天界へと運ぶ。今日の日本風家屋の棟の両端に見る鴟尾の原形であろう。家形埴輪は殯宮と記したが、宮というからには今日の神社の原形かと思われる。その殯宮→神社との連想は、日本独特のものかと考えるが、殯の習慣は朝鮮半島南部(ココ参照)でも現認されている。当時は日本列島と朝鮮半島南部は一衣帯水の関係であり、日本列島の風習が半島南部へ伝播した、逆に半島南部から日本列島へ伝播した可能性も考えられるが、半島基部の高句麗がどうであったのか調べ切れていないので、殯の初出論はこの程度にしておく。
興味深い埴輪の2点目である。それは西の造出し部の家形埴輪と贄の土製品である。
その家形埴輪の前面には、酒杯一組と皿に盛られた贄の土製品が置かれていた。それらを前にして巫女は、祭祀儀礼を行っていたであろう場面である。このような場面を見た経験は無く初見であったが、ホンマかいなとの疑問と共に、さもありなんとの想いもあり複雑な感じがした。このような贄の土製品が出土したことは、これらを用いて祭祀が行われていたことを示している。
<続く>
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