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ターペー通りの骨董店:青花蓮池魚文碗

2016-05-19 08:01:59 | 陶磁器
シーサッチャナーライを含め北タイ諸窯には、陶磁器の装飾文様に魚文が多い。シーサッチャナーライの魚文は魚幅が広いが、北タイではスリムな細身の魚文が多い。
陶工(絵付工)は現物の魚を目前にして絵付けをしたのかどうか?多分日ごろ見慣れた魚の姿形が頭に在り、それをもって運筆したのであろう。
下の魚は、パヤオ湖に生息する淡水魚で、鯉科の魚である。これらの姿形が脳裏にあったのであろう。
しかし、北タイで南に位置するシーサッチャナーライの魚文は、何故幅広で、他の北タイでは細身であろうか?・・・これは過去からの疑問で、今日においても当該ブロガーは解決できていない。
この話に牽強付会するつもりはないが、ターペー通りの骨董店で明(15-16世紀)と思われる、青花蓮池魚文碗を入手した。草魚であろうか?、鯉科の魚であろう。


明中期から末期頃の特徴をもつ、やや高めの高台と端反りの碗である。写りの関係で染付は、あまり鮮明にみえないが、現物は鮮明な藍色をしている。16世紀頃、イスラムからの輸入顔料か、この頃際立って技術が向上したコバルトの精錬・配合によるものかは定かでないが、鮮やかに発色する民窯青花が出現する。すると上の碗は、16世紀であろうか?
蓮池水禽や玉取獅子、蓮池魚は中国伝統の文様であるが、15世紀末から16世紀に多用されている。このことからも16世紀に入ってからの碗であろうか。
この碗のもう一つの特徴は薄胎で、光をかざすと反対側の文様が透けて見えるほど薄い。外側面の蓮、水草、魚が透けて見えている。下の碗は過去、ベトナム・ハノイの昇龍(タンロン)城遺跡博物館で見た、(景徳鎮)白磁双龍文碗である。この碗も上の青花蓮池魚文碗と同様薄胎である。キャップションには15世紀とある。
入手した青花蓮池魚文碗には民窯款が記されているが、達筆すぎるのか?稚筆なのか?、当該ブロガーには判読不能である。同様な民窯款の染付磁器は、日本にも輸入されていた。
平凡社・中国の陶磁・12「日本出土の中国陶磁」に掲載されている民窯款である。同じような民窯款を持ちながら、上の染付は粗く、蓮池魚文碗は精作である。このことも明末の特徴をそなえている。
これは三杉隆敏編著「陶磁器染付文様辞典」に掲載の明末魚文である。青花蓮池魚文碗の見込みの魚文に似ている。
このような中国・青花魚文が、北タイ諸窯の魚文に与えた影響は、如何程であろうか?時代がやや下る青花蓮池魚文碗とも思われる。



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