先に紹介した写真の両耳瓶は、どうも現川ではなさそうであった。4月16日から18日の平戸紀行で、現川焼を目にすることもあろうと期待していた。
40数年前に骨董店の主人から、現川焼と聞いていたが、今般現川焼を見るに及び異なるようである。
現川焼を見ると成るほど、刷毛目の盤である。文様は植物文であるものの、雰囲気は両耳瓶と比較し、どことなく異なる。
冒頭の両耳瓶は刷毛掛け後、櫛歯で波文を掻いている。合わせて鉄で枝を緑釉で葉っぱを描く、これは肥前陶器の特徴であるので、肥前地域の焼物には違いないと考えている。古武雄であろうか?ここしばらく、書籍を渉猟し古武雄を追及してみたい。
40数年前に骨董店の主人から、現川焼と聞いていたが、今般現川焼を見るに及び異なるようである。
現川焼を見ると成るほど、刷毛目の盤である。文様は植物文であるものの、雰囲気は両耳瓶と比較し、どことなく異なる。
冒頭の両耳瓶は刷毛掛け後、櫛歯で波文を掻いている。合わせて鉄で枝を緑釉で葉っぱを描く、これは肥前陶器の特徴であるので、肥前地域の焼物には違いないと考えている。古武雄であろうか?ここしばらく、書籍を渉猟し古武雄を追及してみたい。
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