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辿り着けなかったサンサーイ古窯址

2018-07-12 09:00:57 | 窯址・タイ

古い噺を持ち出して恐縮である。去る6月26日のブログに下記のようにUP DATEした。

”CHAO編集人兼発行人のT氏と2014年、SanSai古窯址探索に出掛けた。場所はメージョー大学の西約200mであったが、T氏の堪能なタイ語で村人に質問を繰り返したが、辿り着けなかった。事前の情報では名前を忘れた寺院の近くだという。その寺院には辿り着けたものの、窯址位置が前述のように村人に質問するも分からない。”

4年前の噺を忘れ始めている。メージョー大学の西と記載してみたものの、もう一つ思いだせない。そこでつたない記憶を再度辿ってみると、位置が異なっていた。その位置を事前に調べると、メージョー大学の北6.7kmの位置であった。従って6月26日の記事を訂正しお詫びしたい。

サンサーイ古窯址について知ったのは、英国人で北タイ陶磁の泰斗であるショー氏のレポートであった。位置はチェンマイ県サンサーイ郡ノンハン地区メー・タオ・ハイ村のワット・メー・タオ・ハイの裏手と記載されていた。そこへT氏と共に出かけたのである。寺の壮年の僧侶に尋ねるが知らないとのこと、さらに3-4軒の民家で尋ねるが、同様に知らないとのことであった。

成程、ワット・メー・タオ・ハイの北側には小川のタオ・ハイ川が流れている。この水を窯業に利用したのであろうとの想像はつく。เตาไหとは、タオ・ハイと読むが、タオとは窯でハイとは瓶を表す。従って地名からも古窯址が在った筈であるが、住民には分からないと云う。

当該ブロガーのチェンマイ滞在予定は、9月中旬までである。再度行こうとすれば、それまでに行く必要があるが、同じ轍は踏みたくない。チェンマイ大学考古資料室やタイ芸術局第8支所で尋ねれば、窯址の位置と原形を留めているのか?破壊されて原形を留めないのかわかるとは思うが、踏ん切りがつかないでいる。

サンサーイ窯は褐釉の広口大壺や口縁に釉薬が載らない盤を焼成していたとされ、極めてサンカンペーンに近い焼物であると、ショー氏はそのレポートに記述している。

上掲2葉の写真は、ワット・メー・タオ・ハイであるが、何やらシャン族寺院のように見えなくもない。寺院は『瓶窯』の名称がつく、何やらありそうだ。

<了>

 


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