過日尋ねた土井ヶ浜遺跡と人類学ミュージアムについて、展示遺物を紹介する。
遺跡は響灘の海岸(土井ヶ浜)から300m入った内陸に在る。海岸沿いに砂丘があり、それに対して直角突き出た砂丘を利用して墓地が発掘された。東西120m、南北40m程の広さである。
初回はミュージアム内のシネマで見た謎である。謎は何点か存在する。
1)土井ヶ浜弥生人は何処から来たのか?
2)遺跡に並ぶ頭骨の顔面は揃って西を向くのはなぜか?
3)胸に鵜を抱く女性人骨は何なのか?
4)13本の矢を受け、顔面が破損した頭骨の男性は何故なのか?
ミュージアム内には準構造船を模したスタンドから画面が観られるように工夫されていた。
土井ヶ浜人は頭が丸く、顔は面長で扁平であり、四肢骨は長く、男性の平均身長は縄文人より3~5cm高く、163cm前後と推定されているという。
1)の問の結論から先に記すと、土井ヶ浜遺跡は稲作文化とともに中国大陸から渡来した弥生人の墓地であることが、定説化しているようである。
この土井ヶ浜人の本貫を巡っては、過去に種々の見解が示されていたようである。金関丈夫氏は土井ヶ浜人は朝鮮半島からの渡来者と、土着の縄文人との混血であるとした。つまり、土井ヶ浜人の故郷は朝鮮半島北部であるとした。
埴原和郎氏は中國東北地方、あるいは東シベリアに起源地が在る可能性が強く、混血に対しては、渡来人そのものであると主張し、その証拠に4世紀の慶尚南道金海の礼安里遺跡の人骨が極めてよく似ているとした。
しかし、礼安里遺跡人骨との比較分析を行うと、形質的な同質性をみるに至らなかったという。最近の調査では、中国山東省の遺跡で発掘された漢代の人骨資料の中に、土井ヶ浜人ときわめてよく似た形質をもつ資料が多く見つかっているという。このことから中国から渡来したであろうということになる。
写真をご覧になれば、一口に弥生人といっても弥生遺跡から出土する頭骨から判断するに、地域地域によって様子が異なることがわかる。土井ヶ浜と北部九州弥生人は似ており、頭骨については中國・山東省人と似ているという。
2)頭骨の顔面は何故、どれも西を向いているかとの疑問である。ミュージアムでは、本貫の地が西であるから故郷を望んでいるとしている。
朝鮮半島を望むのであれば西北にする必要があり、西と云えば中国大陸を望むことにはなるのだが・・・。
(西面する頭骨)
海岸砂丘の墓である。頭骨が波に洗われ西向きになることはないのか?海岸の海風に吹かれて西向きになることはないのか・・・との疑問が頭をよぎる。多数の頭骨の顔面が、すべて西向きであることに多少の疑問を覚える。ミュージアムが指摘するように、すべてが本貫の地を望んでいるのか・・・多少なりとも疑問に思われる。
3)以降については、後日紹介する。尚、土井ヶ浜人の本貫に関する事項はWikipediaを参考に記した。
<続く>
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます