――荻原秀三郎著『稲と鳥と太陽の道』―― シリーズ(4)
現在、アッサム・雲南の山岳地帯を稲の起源地とする説は否定されているが、渡部忠世氏はアッサム、雲南の山岳地帯に起源した稲は陸稲水稲未分化の品種であり、その中には多量のモチイネが含まれていたとする。同地域では稲作が行われる以前にヤム芋・タロイモなどを山地の焼畑で栽培していたことから、粘る食品を愛好した。そのためモチ種も好まれ、稲作栽培の初期からあったとする。中尾佐助氏は古代中国ではモチイネが常食であり、ウルチイネ常食へと転換したのは後漢と隋の間と推定されている。
白川静氏は、楚がおかれた地域の先住民として苗族を考え、早くから水稲耕作を行い、長江中流の武漢から河南の中原にまでこれを広め、その農耕文化を殷にも楚にも伝えた民族であるとしておられる。
これを受け、荻原秀三郎氏は以下の如く記されている。“典型的なモチ文化を伝える民族は苗族であり、祖先祭や苗年(正月)など大切な行事には、モチ、おこわ、酒を欠かさない。モチイネは苗族が生み出した可能性が高い(論証なしの氏の見解かと思われる)。
それが殷の神祭りのための儀礼食文化の一環であったとすれば、苗族の出自はモチ性品種が最初に開発されたであろう地域、すなわち江淮荊州にしぼられる。苗族のモチへのこだわりは、広西壮族自治区融水苗族自治県の苗族が雄弁に物語る。
融水苗族自治県安泰郷培地村の苗族村は、春節に苗年を合わせている。祖先への祭りは、先祖が宿るとする住居中央の囲炉裏に、丸い箕にのせた薄手の丸餅を数多く供えて行われる。モチや供物は囲炉裏で象徴される祖先に供えるといい、囲炉裏の前に供えてはいるが、必ずしも囲炉裏に向かっていないので理由を問うたところ、太陽の昇る東の方向に向けて供えるのだという。東方崇拝と祖先崇拝、囲炉裏の火と太陽が習合している。“
(ハレの日に餅を食するのは、苗族も日本も同じである:新華網より)
以上の説に違和感はない。モチとともにオコワも常食されている。赤米のオコワも存在する。これらの主食の他にも共通した食文化が存在するのは照葉樹林帯共通の文化である。
<シリーズ(4)了>
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