魏志倭人伝には『倭國亂相攻伐歴年』と記し、倭国に乱が在ったことを示し、それも歴年としている。弥生文化博物館はこの倭国大乱を思わせる資料の展示も豊富である。
右手には矛、左手に地上に置く楯を持つ。しかも朱塗りであり卑弥呼を守る衛視もこのような姿であったろう。
(兵庫県立考古博物館展示)
写真の楯は今後紹介予定の兵庫県立考古博物館展示の神戸・玉津田中遺跡(弥生中期)から出土したものである。中央に二重圏で小さな穴が開いているが、これは楯飾りをつけるためだとキャップションは記している。その飾りは当該弥生文化博物館に展示されている。
それは巴形銅器と呼ばれるものである。この巴形銅器が楯の装飾品であるとの説には異論もあるようだが、飛びものを弾く呪いには似合っているとも思われる。
(吉野ヶ里遺跡展示)
写真は吉野ヶ里遺跡に復元展示されている楯で鋸歯文を朱で表し、巴形銅器のような装飾を施している。今日にも通用しそうなデザインである。本当にこのようなカラフルの楯が存在したのかとの疑問があるが、鳥取の青谷上寺地遺跡資料館に展示されている楯は、そのものズバリであった。
(鳥取・青谷上寺地遺跡資料館)
展示されている武器を紹介する。中国の銅剣や半島仕様の銅剣類と倭国の武器である。
以上の舶来系武器に対して倭国製の細形銅剣が博物館に展示されている。倭国大乱の時、武器は鉄製であったのか青銅製であったのか、魏志倭人伝は語っていない。狗奴国に邪馬台国は敗れたかにおもわれるが、狗奴国は鉄製の武器をそろえていたと想像される。
その鉄製武器も写真のように展示されていた。よく残存していたものと感心する。
<続く>
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