ついに夏休みになってしまった。休みになると何かいいことがあるか?出費がかさむだけであまりよいことはない。実際に夏休みになっても毎日の流れは今のところ変わらない。忙しい。それなのにお昼は給食じゃない。これが痛い!安くすませたいのに,給食ほど安くはならない。しかも外食は時間がかかる。結局は昨日の残り物を弁当にして持ってくるのが一番の安上がりか。愚痴りながらの昼休憩は虚しい。
終業式の日の夜から,我が子がお世話になっている剣道教室の子どもたちを連れて合宿に参加してきました。この数ヶ月忙しく仕事ばかりしていたので,父として,また,師範代として稽古に参加するのは本当に久しぶり。日ごろの運動不足を解消するために,とても重い木刀を持参して,子どもたちと同じメニューで素振りを全てこなしました。
ところが午前中の稽古が終了して昼食の時,既に箸を持つ手が上がらない!!
運動不足という前に「これって,歳?ってこと?」案の定,上がらなくなった右腕(一応左腕は剣道の命なのでそんなに痛くないしよく動く)は,翌日の夜に筋肉痛へと進化し,帰りの運転に支障を来す羽目となった。湿布をしても二日間は痛かった。これって老化現象以外の何者でもない。自分の限界を思い知らされて始まった夏休み。まだ始まったばかりです。我が家の子どもたちは毎朝のラジオ体操にたたき起こされて出かけていますが,その後,トワイライトに行き学習時間を送っているはず…ですが,どうでしょう?皆さんのお宅では如何ですか?
我が家でも絵日記帳を購入して毎日書かせることに挑戦していますが,やはり難しい。親が書かせようとするとけんかになるようですね。うちのカミさんの叱り方に,息子(長男)もブチ切れ!勉強,勉強と責め立てるのもどうかな?と夫婦で語り合うのですが,カミさんには息子たちの「出来なさ」加減が許せないらしいのです。でも私から見れば,そんな許せないほど「腹が立つ」事はないと思うのです。そこで今朝もこの話題になったのですが,概して大人は「出来なかったころの自分」を忘れてしまっていると思うのです。我々だって赤ちゃんのころからペラペラと喋ることが出来たわけでなく,習う前からかけ算九九が言えたわけでもない。習ったその日に一瞬で覚えたわけでもない。覚えるまでに苦労した経過を忘れてしまっている大人が多いと思うのです。何をするにも時間がかかるのが子どもの発達。過ぎてしまえばその時間もなかったかのように思い出の彼方へ消えてしまいます。親のやるべき事は,叱り飛ばすこともたまには必要ですが,やはり子どもの成長を褒め称え,応援してやることだと思うのです。剣道の合宿でも私の同級生が母親として参加していました。ご自分の息子さんをいつでもどこでも叱り飛ばしてばかり。当然のように全く親の言うことを聞きません。保育園では「AD/HD」と言われ,診断も下りているとのことですが,その扱い方に慣れた私たちのような専門職が声をかければ,それなりに話を聞いてくれるし,がんばろうとしてくれるものです。稽古時間が長かったので最後までの集中力は流石に続きませんでしたが,かなり長い時間がんばって稽古に参加できていたことや,体育館で見つけた雀の死骸を,休憩時間中に率先して弔ってあげる優しさを,彼のお母さん(私の同級生)に伝えて誉めてあげたら,彼の得意げな顔にお母さんも安堵した表情になり,楽しく合宿を終えることが出来ました。要するに言葉掛け1つなのです。子どもののんびりとした発達(もちろん個人差があることが前提です)に親がどこまで合わせてあげられるかといっても過言ではないでしょう。通級指導教室が全ての学校に設置されるといいな,と何人ものお母さん方から言われますし,私もその通りだと思いますが,家庭教育が一番の基盤であることも外せない事実です。在籍学級と同じように一番長く在籍する家庭でのコミュニケーションを再考してみる価値はありますね。
長くなってしまいましたが,今朝カミさんに言った言葉を最後に書いて終わりましょう。「自分も幼いころに母親に叱られながら育ったのだということを忘れずに。」
終業式の日の夜から,我が子がお世話になっている剣道教室の子どもたちを連れて合宿に参加してきました。この数ヶ月忙しく仕事ばかりしていたので,父として,また,師範代として稽古に参加するのは本当に久しぶり。日ごろの運動不足を解消するために,とても重い木刀を持参して,子どもたちと同じメニューで素振りを全てこなしました。
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我が家でも絵日記帳を購入して毎日書かせることに挑戦していますが,やはり難しい。親が書かせようとするとけんかになるようですね。うちのカミさんの叱り方に,息子(長男)もブチ切れ!勉強,勉強と責め立てるのもどうかな?と夫婦で語り合うのですが,カミさんには息子たちの「出来なさ」加減が許せないらしいのです。でも私から見れば,そんな許せないほど「腹が立つ」事はないと思うのです。そこで今朝もこの話題になったのですが,概して大人は「出来なかったころの自分」を忘れてしまっていると思うのです。我々だって赤ちゃんのころからペラペラと喋ることが出来たわけでなく,習う前からかけ算九九が言えたわけでもない。習ったその日に一瞬で覚えたわけでもない。覚えるまでに苦労した経過を忘れてしまっている大人が多いと思うのです。何をするにも時間がかかるのが子どもの発達。過ぎてしまえばその時間もなかったかのように思い出の彼方へ消えてしまいます。親のやるべき事は,叱り飛ばすこともたまには必要ですが,やはり子どもの成長を褒め称え,応援してやることだと思うのです。剣道の合宿でも私の同級生が母親として参加していました。ご自分の息子さんをいつでもどこでも叱り飛ばしてばかり。当然のように全く親の言うことを聞きません。保育園では「AD/HD」と言われ,診断も下りているとのことですが,その扱い方に慣れた私たちのような専門職が声をかければ,それなりに話を聞いてくれるし,がんばろうとしてくれるものです。稽古時間が長かったので最後までの集中力は流石に続きませんでしたが,かなり長い時間がんばって稽古に参加できていたことや,体育館で見つけた雀の死骸を,休憩時間中に率先して弔ってあげる優しさを,彼のお母さん(私の同級生)に伝えて誉めてあげたら,彼の得意げな顔にお母さんも安堵した表情になり,楽しく合宿を終えることが出来ました。要するに言葉掛け1つなのです。子どもののんびりとした発達(もちろん個人差があることが前提です)に親がどこまで合わせてあげられるかといっても過言ではないでしょう。通級指導教室が全ての学校に設置されるといいな,と何人ものお母さん方から言われますし,私もその通りだと思いますが,家庭教育が一番の基盤であることも外せない事実です。在籍学級と同じように一番長く在籍する家庭でのコミュニケーションを再考してみる価値はありますね。
長くなってしまいましたが,今朝カミさんに言った言葉を最後に書いて終わりましょう。「自分も幼いころに母親に叱られながら育ったのだということを忘れずに。」