夢の翼with皇大26期生のブログ

私と関わる全ての人たちが繋がりあえるように、大学時代の思い出から現在の環境までをまとめて1つのブログにしちゃいました。

諦めたら・・・。

2009-11-27 23:59:22 | 言語・難聴
今日は言語・聴覚障害の研究会がありました。愛知県全域の言葉と聞こえの教室の担当者が顔を揃える日です。今回は各自の研究部会に分かれて自分の実践を話す日なのですが、私の所属部会に今年初めて通級担当者になった先生がいらっしゃいました。普段控え目で余り発言されない先生なのですが、私を始め他の先生方が今までの部会で実践報告をいっぱいして、今日はネタ切れだったため、その先生がこれまでのストレスを発散させるかのように話し始めました。簡単に言えば、通級の担当者になった時からの技術的な面の不安と、周囲の無理解による孤立感でした。話を聞いていると自分の13年前を思い出しました。周囲の無理解にいつも腹を立てていた自分を。在籍学級へ授業参観に出かけて、そこでの通級児童の扱いの酷さと、通級に対する無関心さに耐え兼ねて、相手校に直接文句を言って、相手校の校長先生から「うちの方針に口出しするな!」と叱られたことなど、はらわたが煮え繰り返る思いをいっぱいしてきたこともありました。そんなことがあったからこそ、今、自分は理解啓発活動に重きを置いているのです。通級指導が法律上に登場して16年経った今でもそんな悲しい話を聞かされるのかと、頭にくるより情けない気持ちになります。自分の理解啓発活動もまだまだ行き渡っていないなと思うと同時に、一人ぼっちで悩んでいた先生に気付いてあげられなかった自分の配慮不足を悔やみました。学級で言えば、いじめに遭っている、SOSを発信している子供に気付いてあげられなかったのと同じです。教師失格ですね。その先生も半ば戦闘意欲喪失状態で今回の会に参加された訳です。でも、諦めたらそこでゲーム・オーバーですよ!スラムダンクの安西監督みたいな台詞ですが、これは仕事でも、勉強でも、スポーツでも、皆同じだと思います。今やっていることが明日すぐに結果となって現れるなんて有り得ません。言語訓練だって教えたその日に出来てしまうなら、通級する必要はない訳です。中川信子先生がよく、言葉のビルという例え話をされますが、私は理解啓発活動は農業に例えます。酷い状態の土地だって、土を耕し、種を蒔き、芽が出てくればいつかは花も咲き、実がなるかもしれません。芽が出ずに枯れてしまうことだってあるでしょう。でも収穫を夢見て、また初めからやり直すでしょう。ひとつの株が育てば株分けして仲間を増やします。自然に種が飛んで、森になることだってあるでしょう。そのためにも、種を蒔く側の我々教師が諦めてはいけないと思います。
今日は理解啓発活動の奥深さと果てしなさを実感した一日でした。一人ぼっちにさせない!をスローガンにしている全難言協のように、悩んでいる先生に手を差し延べる事も、この仕事に長く携わる者の務めであることに気付かされた、今日の会でした。
 今回が100回目の記念すべきブログでした。そこで決意を新たにする出来事があったのはとても意義深いことだと思います。今一度自分の歩んできた道を振り返る、そんな記念のブログになりました。今まで読んでくださってありがとうございました。101回目からの「夢の翼」も宜しくお願いします。
コメント
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