■久しぶりにプロレスの記事を、先日放映があった“昭和のプロレス黄金時代”を
紹介します。
■もう一度見たい 昭和のプロレス黄金時代②
○BSテレビ : BS日テレ
○放送日 : 2012年11月12日(月)
○番組名 : 徳光和夫のトクセンお宝映像!
○放送内容 : もう一度見たい! 昭和のプロレス黄金時代
▼黄金期を彩った 外国レスラー
○「超獣」 ブルーザー・ブロディ
○「不沈艦」 スタン・ハンセン
昭和58(1983)年12月12日 蔵前国技館
ジャンボ鶴田 VS スタン・ハンセン (34歳)
天龍源一郎 ブルーザー・ブロディー(37歳)
※ブロディーの助走をつけての高角度のギロチン・ドロップを天龍にみまう。
そして、ハンセンのアメリカンフットボール出身のウエスタン・ラリアットが天龍に炸裂し、
天龍がリングに沈む。
ブロディーの入場テーマ曲は、雄叫びが響く、レッド・ツェッペリンの「移民の歌」
ハンセンの入場テーマ曲は、馬の嘶きや鞭音とともに、スペクトラムの「サンライズ」
○「仮面貴族」よりも「千の顔を持つ男」 ミル・マスカラス
※夏場のシリーズに例年参戦。入場テーマ曲は、華麗な空中殺法を彷彿させる
ジグソーの「スカイ・ハイ」。
オーバーマスクをリング上から投げファンにプレゼントのパフォーマンスが人気。
昭和52(1977)年3月11日 日大講堂
USヘビー級選手権
ザ・デストロイヤー(46歳) VS ミル・マスカラス(34歳)
※得意技のフライング・クロス・チョプがデストロイヤーの首元に突き刺さる。
▼ハプニング
○ボボ・ブラジル(43歳) VS ジャイアント馬場(30歳)
※この試合は、昭和43(1968)年6月25日、ブラジルが馬場選手からインターナショナル
・ヘビー級王座を奪い、そのリターンマッチ。この頃のブラジルはWWA世界ヘビー級王座
(ロス版)を保持していて全盛期。
3本目は不可解な結果でブラジルのリングアウト負けで、馬場選手がインター王座を奪回。
○「インドの猛虎」タイガージェット・シン(33歳)、「まだら狼」上田馬之助(41歳)
昭和56(1981)年12月13日 蔵前国技館 控室で大乱闘
※全日本世界最強タッグリーグ戦。控室でサーベルを振りかざすシン、ブッチャーと
シークに襲い掛かる。
▼珍場面
○馬場選手とデック・マードックかな。
○「原爆男」 大木金太郎(47歳) VS アブドーラ・ザ・ブッチャー
昭和51(1976)年5月1日 日大講堂
※「頭突き世界一決定戦」の試合前、欠場の挨拶をするレイスを急襲。試合中にハリー・レイス
(33歳)が殴り込み、ストリートファイトに展開。
○ザ・ファンクス VS アブドーラ・ザ・ブッチャー、ザ・シーク(53歳)
昭和54(1979)年12月13日 蔵前国技館
※「地上最凶悪コンビ」、ブッチャーの地獄突きをドリーがかわし、シークに突き刺さり、
同士討ちとなり喧嘩に発展。シークの火炎攻撃がブッチヤーの顔面へ。
○「東洋の神秘」 ザ・グレート・カブキ(35歳) VS 上田馬之助
昭和59(1984)年6月 札幌中島体育センター
※高千穂明久のリングネームから海外武者修行時代にマネージャーのアイデアで歌舞伎
役者をモチーフに、ペイントレスラーのザ・グレード・カブキに変身。
凱旋帰国のカブキは、着物や能面を着て登場、ヌンチャクを操り毒霧を吹く東洋系のヒール
キャラクターが受ける。
上田馬之助も負けじと、ペイントで天狗ようにペインテングして、黄色の霧を吹く。
▼「若大将」 ジャンボ鶴田
昭和48(1973)年10月9日 蔵前国技館 鶴田選手(22歳)
インターナショナルタッグ選手権
※プロ転向1年でタッグ王座に挑戦。
昭和50(1975)年12月15日 (24歳)
師匠ジャイアント馬場とシングル初挑戦
昭和52(1977)年8月25日 田園コロシアム (26歳)
UNヘビー級選手権
※ミル・マスカラスとの試合は、東京スポーツ主催の最高試合(ベストバウト)を受賞。
昭和59(1984)年2月23日 蔵前国技館 (32歳)
AWA世界、インターヘビー級選手権
※ニック・ボックウィンクルをテーズ直伝の「バック・ドロップからホールド」でピンフォール
日本人初のAWA世界王座を獲得。
昭和63(1988)年4月19日 宮城県スポーツセンター (37歳)
インターナショナルヘビー級選手権
※バックドロップでブロディーからインター王座を奪還する。
▼三沢光晴
※鶴田選手の付き人だった三沢。
昭和59(1984)年8月26日 田園コロシアム (22歳)
※メキシコ遠征中の三沢は、帰国後2代目タイガーマスクとしてデビュー。
両腕をチキンウィングの体勢にとらえ、タイガースープレックスで固める。
鶴田選手とエースを掛けて戦い、切り替えしてフォール勝ち。(27歳)
全日本プロレスを離れ、ノアを旗揚げ。レスラー兼社長として団体を牽引。
試合中、急角度のバックドロップを受けた後、意識不明・心肺停止状態に陥り死去。(46歳)
◆残念ながら、三沢選手の時代は、プロレスに興味が薄れ試合は観ていません。
★ここに紹介したレスラーは引退や鬼籍に入り寂しい限りです。
古き良き時代、まさに昭和のプロレス黄金時代でした。
紹介します。
■もう一度見たい 昭和のプロレス黄金時代②
○BSテレビ : BS日テレ
○放送日 : 2012年11月12日(月)
○番組名 : 徳光和夫のトクセンお宝映像!
○放送内容 : もう一度見たい! 昭和のプロレス黄金時代
▼黄金期を彩った 外国レスラー
○「超獣」 ブルーザー・ブロディ
○「不沈艦」 スタン・ハンセン
昭和58(1983)年12月12日 蔵前国技館
ジャンボ鶴田 VS スタン・ハンセン (34歳)
天龍源一郎 ブルーザー・ブロディー(37歳)
※ブロディーの助走をつけての高角度のギロチン・ドロップを天龍にみまう。
そして、ハンセンのアメリカンフットボール出身のウエスタン・ラリアットが天龍に炸裂し、
天龍がリングに沈む。
ブロディーの入場テーマ曲は、雄叫びが響く、レッド・ツェッペリンの「移民の歌」
ハンセンの入場テーマ曲は、馬の嘶きや鞭音とともに、スペクトラムの「サンライズ」
○「仮面貴族」よりも「千の顔を持つ男」 ミル・マスカラス
※夏場のシリーズに例年参戦。入場テーマ曲は、華麗な空中殺法を彷彿させる
ジグソーの「スカイ・ハイ」。
オーバーマスクをリング上から投げファンにプレゼントのパフォーマンスが人気。
昭和52(1977)年3月11日 日大講堂
USヘビー級選手権
ザ・デストロイヤー(46歳) VS ミル・マスカラス(34歳)
※得意技のフライング・クロス・チョプがデストロイヤーの首元に突き刺さる。
▼ハプニング
○ボボ・ブラジル(43歳) VS ジャイアント馬場(30歳)
※この試合は、昭和43(1968)年6月25日、ブラジルが馬場選手からインターナショナル
・ヘビー級王座を奪い、そのリターンマッチ。この頃のブラジルはWWA世界ヘビー級王座
(ロス版)を保持していて全盛期。
3本目は不可解な結果でブラジルのリングアウト負けで、馬場選手がインター王座を奪回。
○「インドの猛虎」タイガージェット・シン(33歳)、「まだら狼」上田馬之助(41歳)
昭和56(1981)年12月13日 蔵前国技館 控室で大乱闘
※全日本世界最強タッグリーグ戦。控室でサーベルを振りかざすシン、ブッチャーと
シークに襲い掛かる。
▼珍場面
○馬場選手とデック・マードックかな。
○「原爆男」 大木金太郎(47歳) VS アブドーラ・ザ・ブッチャー
昭和51(1976)年5月1日 日大講堂
※「頭突き世界一決定戦」の試合前、欠場の挨拶をするレイスを急襲。試合中にハリー・レイス
(33歳)が殴り込み、ストリートファイトに展開。
○ザ・ファンクス VS アブドーラ・ザ・ブッチャー、ザ・シーク(53歳)
昭和54(1979)年12月13日 蔵前国技館
※「地上最凶悪コンビ」、ブッチャーの地獄突きをドリーがかわし、シークに突き刺さり、
同士討ちとなり喧嘩に発展。シークの火炎攻撃がブッチヤーの顔面へ。
○「東洋の神秘」 ザ・グレート・カブキ(35歳) VS 上田馬之助
昭和59(1984)年6月 札幌中島体育センター
※高千穂明久のリングネームから海外武者修行時代にマネージャーのアイデアで歌舞伎
役者をモチーフに、ペイントレスラーのザ・グレード・カブキに変身。
凱旋帰国のカブキは、着物や能面を着て登場、ヌンチャクを操り毒霧を吹く東洋系のヒール
キャラクターが受ける。
上田馬之助も負けじと、ペイントで天狗ようにペインテングして、黄色の霧を吹く。
▼「若大将」 ジャンボ鶴田
昭和48(1973)年10月9日 蔵前国技館 鶴田選手(22歳)
インターナショナルタッグ選手権
※プロ転向1年でタッグ王座に挑戦。
昭和50(1975)年12月15日 (24歳)
師匠ジャイアント馬場とシングル初挑戦
昭和52(1977)年8月25日 田園コロシアム (26歳)
UNヘビー級選手権
※ミル・マスカラスとの試合は、東京スポーツ主催の最高試合(ベストバウト)を受賞。
昭和59(1984)年2月23日 蔵前国技館 (32歳)
AWA世界、インターヘビー級選手権
※ニック・ボックウィンクルをテーズ直伝の「バック・ドロップからホールド」でピンフォール
日本人初のAWA世界王座を獲得。
昭和63(1988)年4月19日 宮城県スポーツセンター (37歳)
インターナショナルヘビー級選手権
※バックドロップでブロディーからインター王座を奪還する。
▼三沢光晴
※鶴田選手の付き人だった三沢。
昭和59(1984)年8月26日 田園コロシアム (22歳)
※メキシコ遠征中の三沢は、帰国後2代目タイガーマスクとしてデビュー。
両腕をチキンウィングの体勢にとらえ、タイガースープレックスで固める。
鶴田選手とエースを掛けて戦い、切り替えしてフォール勝ち。(27歳)
全日本プロレスを離れ、ノアを旗揚げ。レスラー兼社長として団体を牽引。
試合中、急角度のバックドロップを受けた後、意識不明・心肺停止状態に陥り死去。(46歳)
◆残念ながら、三沢選手の時代は、プロレスに興味が薄れ試合は観ていません。
★ここに紹介したレスラーは引退や鬼籍に入り寂しい限りです。
古き良き時代、まさに昭和のプロレス黄金時代でした。
あたしは中坊のころ、蔵前国技館で上田馬之助に追いかけられました。
両国日大講堂では、生ハリーレイス、ニックボックウインクル、など全日の試合を、東京体育館などでは新日の試合を多数観戦しています。若い頃の越中が最高に好きです。
訪問ありがとうございます。
越中選手のルチャ仕込みのヒップアタックがヒットするとスカットしますね。
トライアスリートですか、道具に凝るとお金が、、。
明日から沖縄です。おいしいビールは、オリオンビール。
( ^ ^ )/■