ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

小田股ダム

2018-10-17 13:09:08 | 鳥取県
2018年10月9日 小田股ダム
 
小田股ダムは鳥取県東伯郡琴浦町倉坂の洗川水系倉坂川源流部にある灌漑目的のロックフィルダムです。
大山北東山麓に位置する東伯郡琴浦町から北栄町一帯は広く火山堆積物で覆われた台地が広がり、地味は豊かながら水利に乏しく灌漑施設の整備が強く求められていました。
1979年(昭和54年)より農水省による国営かんがい排水事業東伯地区が着手され3基のダム、3箇所の揚水機場、延長38.2キロの幹線水路の整備が開始されました。
まず1992年(平成4年)に西高尾ダム、2003年(平成15年)に船上山ダム、に2006年(平成18年)に小田股ダムが竣工、同年かんがい排水事業全体も完了し約2700ヘクタールの田畑への灌漑設備が整備されました。
運用開始後はダムを含めた灌漑施設全体を東伯地区土地改良区連合が管理を受託しています
 
ダム下から
堤体と地山を挟んだ左岸側(向かって右手)に洪水吐導流部があります。


洪水吐減勢工と取水設備からの用水路がダム下で合流します。
フィルダムのこの絵柄、個人的にはかなり好みです。

 
ダムサイトに上がります
左岸の越流式洪水吐。


左岸ダム湖畔の管理事務所^手に斜樋と繋留設備があります。


ダムサイトの事業説明板。


竣工記念碑兼定礎石。


水利使用標識
受益農地の大半が畑なので年間を通して水利権が配分されています。


天端から
ちょっとわかりづらいですが海が見えます。


総貯水容量200万立米の貯水池。
雲が切れれば大山が見えるのですが・・・。


管理事務所と斜樋、浮桟橋
3枚目の写真を遠望したものです。


草がほとんどない奇麗なリップラップ。


広い天端は徒歩のみ開放。


上流面。


同事業で建設された船上山ダムともどもとても美しいロックフィルダムです。
 
1689 小田股ダム(1395)
鳥取県東伯郡琴浦町倉坂
洗川水系倉坂川
50メートル
347メートル
2000千㎥/1950千㎥
東伯地区土地改良区連合
2006年

船上山ダム

2018-10-17 02:30:54 | 鳥取県
2018年10月9日 船上山ダム
 
船上山ダムは鳥取県東伯郡琴浦町山川の勝田川水系勝田川源流部にある灌漑目的のロックフィルダムです。
大山北東山麓に位置する東伯郡琴浦町から北栄町一帯は広く火山堆積物で覆われた台地が広がり、地味は豊かながら水利に乏しく灌漑施設の整備が強く求められていました。
1979年(昭和54年)より農水省による国営かんがい排水事業東伯地区が着手され3基のダム、3箇所の揚水機場、延長38.2キロの幹線水路の整備が開始されました。
まず1992年(平成4年)に西高尾ダム、2003年(平成15年)に船上山ダム、に2006年(平成18年)に小田股ダムが竣工、同年かんがい排水事業全体も完了し約2700ヘクタールの田畑への灌漑設備が整備されました。
運用開始後はダムを含めた灌漑施設全体を東伯地区土地改良区連合が管理を受託しています。
また2014年(平成26年)から河川維持放流を利用した船上山発電所(最大出力110キロワット)が稼働しています。

下流から
堤高43.9メートル、堤頂長232.7メートル
堤体下部は芝が張られツートンカラー
手前の黒いドアの下が小水力発電所。

 
右岸の洪水吐斜水路。

 
左岸から
農業用ロックフィルダムの場合、管理の手が届かずせっかくの美しいリップラップが草まみれになっているダムが少なからずありますが、ここはきれいに整備されています。


天端から
ダム下は万本桜公園、奥の赤い屋根は県立少年自然の家。
船上山の登山口になっています。


ダム湖の総貯水容量は72万立米。
これだけの規模のダムにしては貯水量は小さい気が。


右岸の繋留設備も兼ねた斜樋。


天端中央の定礎石。
この位置に置かれるのは珍しい。


天端は徒歩のみ開放
背後に聳えるのが船上山。
ぱっと見メサかと思いましたが、大山の火山活動で噴出した溶岩流が侵食されてこんな姿になったとのこと。
ということで凝灰岩。


水利使用標識
かんがい面積2740ヘクタールのうち、畑が2000ヘクタールを占めるため年間を通じて水利権が配分されています。


右岸の横越流式洪水吐
僅かに越流しています。


上流から
右手は管理事務所ですが職員の常駐はなく巡回のみ。


上流面
こちらも草はなくきれいなロック。


竣工記念碑と船上山
できれば青空の下で眺めたかった。


1688 船上山ダム(1394)
鳥取県東伯郡琴浦町山川
勝田川水系勝田川
43.9メートル
232.7メートル
720千㎥/520千㎥
東伯地区土地改良区連合
2003年

寺谷池

2018-10-17 01:46:09 | 鳥取県
2018年10月9日 寺谷池
 
寺谷池は鳥取県西伯郡大山町東坪の真子川水系寺谷川源流部にある灌漑目的のアースフィルダムです。
ダム便覧には1989年(平成元年)に新田井手組合の事業で竣工と記されています。
池の状況を見るともっと歴史は古いと思われ、たぶん団体営事業による改修が竣工したのが1989年ではないかと思われます。
また便覧では堤高15メートルとなっていますが、鳥取県のため池データベースでは堤高13.9メートルとなっており、これを採ると河川法上のダムの要件未達となります。
 
寺谷池への道は一応舗装路ですが、直前の台風による倒木などがあり結構荒れ気味です。
右岸から下流面
時節柄草が伸び放題でなんの写真かわかりません。
草刈は稲刈り終了後にするんでしょう。
 
天端
一応舗装道路が通っています。
 
上流面も草ボウボウ。
 
左岸に越流式洪水吐がありますが、草が伸びていて近寄れません。
 
総貯水容量は10万2000立米
直前に通過した台風の影響でずいぶん濁っています。
 
左岸から。
 
たぶん右岸上流側に取水設備があると思われますが、これまた草生していて接近できませんでした。
稲刈りが終わると池の草刈りも行われると思われ、そのあとに訪問すれば池の印象も違ったものになったんでしょうね。

3667 寺谷池(1393)
ため池コード
鳥取県西伯郡大山町東坪
真子川水系寺谷川
15メートル(ため池データベース13.9メートル
95メートル
102千㎥/102千㎥
管理者未確認
1989年

川手川第2ダム

2018-10-16 18:28:05 | 鳥取県
2018年10月9日 川手川第2ダム
 
川手川第2ダムは鳥取県西伯郡大山町豊房の阿弥陀川水系川手川にある灌漑目的の重力式コンクリートダムです。
ダム便覧には1993年(平成5年)に院内土地改良区の事業で竣工と記されており、土地改良区の事業ということで農水省の補助を受けた団体営事業により建設されたものと思われます。
ダムの直上を大名農免道路が跨いでいますが、ダムへの降り口はわからず終いでした。
帰宅後右岸にダムへの下り口があることがわかりましたが後の祭り。
 
大名農免道路から
ダムは全面越流式で、直下には副ダムがあります。
 
 
アングルを変えて
台風の影響で水位が上昇し越流が見られます。
ドローンでも飛ばさない限り直上からこのような越流が見れるダムはちょっとないんじゃないでしょうか?
 
総貯水容量は14万7000立米。
火山堆積物で形成された地質のため、谷は深く川をせき止めて水源を確保するにはコンクリート製の堰堤しか手はなかったのかもしれません。
 
帰宅後、ダムへの下り口を確認しました。機会があれば再訪したいところですが遠方ゆえなかなか難しいものがあります。
 
3668 川手川第2ダム(1392)
ため池コード
鳥取県西伯郡大山町豊房
阿弥陀川水系川手川
17メートル
46メートル
147千㎥/147千㎥
庄内土地改良区
1993年

茗荷谷ダム

2018-10-16 13:41:52 | 鳥取県
2018年10月8日 茗荷谷ダム
 
茗荷谷ダムは鳥取県八頭郡若桜町茗荷谷の千代川水系舂米(つくよね)川上流部にある鳥取県企業局が管理する発電目的の重力式コンクリートダムです。
1951年(昭和26年)の電気事業再編令により、新たに中国電力が誕生します。
同社は戦後の電力不足を補うために積極的な電源開発を進めますが、送電網末端部にあたる鳥取県では中国電力だけでは電力需要を賄いきれず公営発電である県企業局による電源開発が併せて進められました。
とくに千代川水系八東川流域では融雪による豊かな水量と急流に着目して各所に水力発電所が建設され、1960年(昭和35年)に八東川右支流の舂米川に春米発電所の取水ダムとして建設されたのが茗荷谷ダムです。
ここで取水された水は4.7キロの導水路で春米発電所に送られ242.16メートルの有効落差を生かして最大7900キロワットのダム水路式発電を行っています。
 
若桜町中心部から国道462号を東進、渕見地区で旧国道に入り九十九折れの急カーブを進むと突然目の前に茗荷谷ダムが現れます。
クレストにはラジアルゲートが2門ありますが、訪問直前の台風の影響でクレスト放流が行われています。
放流のため写真では見えませんが、導流部左岸(向かって右手)に後付けの河川維持放流設備があります。
 
ゲート部分をズームアップ
扶壁上の丸みを帯びたゲート操作室に目が行きます。
 
アングルを変えて
なんだかオスプレイみたい。
 
堤体は左岸側が緩やかに湾曲しています。
 
奥は取水設備の屋根。
こちらも円形のデザインがいい感じ。
 
堤体下流面にダム名と施工者の銘板がはめ込まれています。
 
天端は立ち入り禁止。
 
総貯水容量は61万2000立米の貯水池。
 
上流面
左岸が湾曲しているのが分かります
円形の取水設備がいいですね。
 
追記
茗荷谷ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流により新たに27万7000立米の洪水調節容量が確保されることになりました。
 
1680 茗荷谷ダム(1391)
鳥取県八頭郡若桜町茗荷谷
DamMaps
千代川水系舂米(つくよね)川
40メートル
124.5メートル
612千㎥/400千㎥
鳥取県企業局
1960年
◎治水協定が締結されたダム

三滝ダム

2018-10-16 02:00:11 | 鳥取県

2018年10月8日 三滝ダム 

三滝ダムは鳥取県八頭郡智頭町芦津の千代川水系北股川源流部にある中国電力の発電目的のバットレスダムです。
電力事業が自由競争だった戦前、兵庫県西部から岡山・鳥取東部地域では姫路に本拠を置く山陽中央水電と岡山に本拠を置く中国合同電気が2大勢力となって対峙します。
両者の覇権争いは1928年(昭和3年)の山陽中央水電による中国合同発電の買収で決着がつきますが、三滝ダムを建設したのはこの山陽中央水電です。
三滝ダムは1936年(昭和11年)に山陽中央水電芦津発電所の取水ダムとして竣工、ここで取水された水は約1.5キロの導水路で芦津発電所に送られ有効落差189.32メートルを生かして最大出力2600キロの発電を可能にしました。
山陽中央水電傘下となった中国合同電気は1927年(昭和2年)にバットレスの恩原ダム建設の実績があり、さらに1933年(昭和8年)には奥津発電所調整池でもバットレス工法を採用しており、中国合同電気の技術的蓄積を生かして建設されたのがこの三滝ダムと言えるかもしれません。
なお、三滝ダム以降日本でバットレスダムが建設されることはなく三滝ダムは文字通り『最後のバットレス』となりました。
中国地方東部の覇権を握った山陽中央水電ですが、1942年(昭和17年)の電力統制令により発送電設備は日本発送電に接収され会社は解散解散しますが、戦後の電力分割民営化により誕生する中国電力の礎となりました。
三滝ダムはその土木技術的価値を評価して土木学会選奨土木遺産及びBランクの近代土木遺産に選定されています。
 
智頭町中心部から国道373号線を南下、郷原交差点で左折して県道6号に入ります。芦津地区で『芦津渓谷』を示す案内板に従って右折し北股川に沿って隘路をひたすら進むと三滝ダムに到着します。
ダムへは左岸上流側からアプローチする形となります。
対岸に芦津発電所への取水口があります。
 
上流面、バットレスではおなじみ傾斜がついています。
 
三滝ダムには左右両岸に洪水吐があります。
恩原ダム同様扶壁に溝が刻んであり、かつて可動ゲートがあったことが伺えます。
 
選奨土木遺産のプレート。
 
天端は中国自然歩道の一部で立ち入りができます。
 
総貯水容量17万8000立米と小さな溜池なみの貯水池です。
左手は取水口。
 
右岸側の洪水吐導流部。
 
右岸管理事務所の裏手を回り込むとバットレスに対面できます。
渓谷をせき止めた左右両岸に洪水吐を備えたV字形のバットレス。堤高23.8メートルとは思えない高度感があります。
 
右岸からダム下へと降りてみます。
 
まだ木々は青々とした葉を付けていますが、これが色づいたらサイコーの1枚になるでしょうね。
 
三滝ダム以前のバットレスダムは洪水吐が堤体本体と分離する形で建設されてきましたが、三滝ダムで初めて堤体に接続する形で洪水吐が設置されました。
傘下に置いた中国合同電気の技術を生かしながら、両側に洪水吐を設置するという新しい姿で最後に花を咲かせたバットレス。
三滝ダムはバットレス最終形と言っても過言ではないでしょう。
 
追記
三滝ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流により新たに14万7000立米の洪水調節容量が確保されることになりました。
 
1673 三滝ダム (1390)
鳥取県八頭郡智頭町芦津
千代川水系北股川
23.8メートル
82.5メートル
178千㎥/158千㎥
中国電力(株)
1936年
◎治水協定が締結されたダム

佐冶川ダム

2018-10-15 20:19:15 | 鳥取県
2018年10月8日 佐冶川ダム
 
佐治川ダムは鳥取県鳥取市佐冶町尾際の千代川水系佐冶川源流部にある鳥取県県土整備部が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
建設省の補助を受けて建設された補助治水ダムとして1971年(昭和46年)に竣工しますが、1983年(昭和58年)に鳥取県企業局佐冶発電所が増設され多目的ダムとなりました。
現在は佐冶川の洪水調節、安定した河川流量の維持と既得取水権への用水補給、鳥取県企業局佐冶発電所での最大5000キロワットのダム水路式発電を目的としています。
 
佐冶川ダムは国道482号線沿いにあり、今回は岡山県の恩原ダムから辰巳峠を越え佐冶川ダム上流側からアプローチしました。
国道を進むとダム湖越しに佐冶川ダムの上流面が見えてきます。
クレストにはラジアルゲートが1門、右岸にインクラインと艇庫、左岸に佐冶発電所への取水塔があります。
 
佐冶発電所の取水塔
1983年(昭和58年)に発電所が増設されました。
 
ダム下へと回ります。
弥留気(やるき)地蔵の脇を進むとちょうどダム正面に出ます。
放流設備としてクレストにラジアルゲート1門、コンジットゲート2門、ホロージェットバルブ1条を装備しています。
注目すべきはその配置でコンジットゲート機械室の屋根がクレストゲートのジャンプ台式減勢工となっています。
 
コンジットゲートおよびバルブ操作室
左右に高圧ラジアルゲートが2門、中央にホロージェットバルブがあります。
 
右岸天端脇にあるダム名及び諸元碑。
 
下流面
コンクリートの色が異なり、導流壁が改修によってかさ上げされているのがわかります。
 
天端から導流部と減勢工。
 
アングルを変えて。
 
ダム湖は『名馬湖』
総貯水容量は231万立米で、県営の多目的ダムの貯水池としてはずいぶん小ぶりです。
 
上流面
堤体のかなり上まで水の跡があり先日の台風の際に目いっぱい貯め込んだことが伺えます。
 
コンジット操作室の屋根の上のジャンプ台は一見の価値あり、なかなかいいダムです。
 
追記
佐治川ダムには147万6000立米の洪水調節容量が設定されていますが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流によりさらに31万3000立米の洪水調節容量が確保されることになりました。
 
1682 佐冶川ダム(1389
鳥取県鳥取市佐治町尾際
DamMaps
千代川水系佐冶川
FNP
46.5メートル
105メートル
2310千㎥/1880千㎥
鳥取県県土整備部
1971年
◎治水協定が締結されたダム

恩原ダム

2018-10-15 17:52:56 | 岡山県

2018年10月8日 恩原ダム 

恩原ダムは岡山県苫田郡鏡野町上斎原の吉井川水系恩原川源流部にある中国電力の発電目的のバットレスダムです。
明治末期から大正初期にかけて岡山県下では中小の発電業者が19社も乱立していましたが、合従連衡により岡山に本拠く中国合同電気が覇権を握ることになります。
同社は吉井川水系での電源開発を積極的に進め、1927年(昭和2年)に平作原発電所の取水ダムとして恩原川に竣工したのが恩原ダムです。
恩原ダム建設に際してはバットレス形式が採用され、ダムとしては函館の笹流ダムについて2例目、発電用ダムとしては日本初のバットレスダムとして完成しました。
恩原ダムで取水された水は2キロ超の導水路で平作原ダムに送られ有効落差143.8メートルを生かして最大2900キロワットの発電を可能にしました。
中国合同電気は1928年(昭和3年)に姫路に本拠を置くライバル山陽中央水電に買収され同社傘下に入ります。
中国合同電気は1933年(昭和8年)に完成した奥津発電所調整池でバットレス工法を採用、一方山陽中央水電も1936年(昭和11年)に鳥取県でバットレスダムの三滝ダムを竣工させており、恩原ダムはこれらのバットレスダムの技術的な礎になったダムと言えます。
両社は1942年(昭和17年)の電力統制令により発送電設備をすべて接収され解散しますが、べて日本発送電に接収され会社は解散しますが戦後の電力分割民営化により誕生する中国電力の礎となりました。
恩原ダムはその土木技術的価値を評価して国の有形文化財に登録されているほかBランクの近代土木遺産に選定されています。
 
国道482号線から恩原高原青少年旅行村の標識に従って旧道に入ると恩原ダム右岸ダムサイトにに到着します。
ダム下へ続く管理道路はチェーンが掛けられ立ち入りできませんが、さらに下流の駐車場から川沿いに山道を進めばダム下へ行くことができます。
扶壁や水平梁は改修された笹流ダムほどの太さはありませんが、華奢な感じの丸沼ダムに比べるとがっちり太く、外枠工法のマンションのような外観です。
 
正面から
右手全面の細長い建物は水位の観測施設です。
 
堤体から地山を挟んだ右岸側に洪水吐導流部があります。
 
ダムサイトに上がってきました。
右岸の洪水吐。
 
洪水吐の両側の壁には戸当たりのような溝が刻まれています。
かつてスライドゲートが設置されていたんでしょうか?
 
天端はハイキングコースの一部になっており立ち入り可能。
 
貯水池は恩原湖。
奥にはスキー場もあり高原の湖といった風情。
 
バットレスは堤体の荷重が少ないため、上流面に傾斜をつけて水圧でバランスをとっています。
 
ダム下流200メートルほどにある分水設備
平作原発電所へ送る水と恩原川へ放流する水が分水されています。
 
左岸上流から遠望。
 
(追記)
恩原ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。
 
1852 恩原ダム(1388)
岡山県苫田郡鏡野町上斎原
吉井川水系恩原川
24.1メートル
93.6メートル
1853千㎥/1752千㎥
中国電力(株)
1927年
◎治水協定が締結されたダム

奥津発電所調整池

2018-10-15 14:07:26 | 岡山県
2018年10月8日 奥津発電所調整池
 
奥津発電所調整池は岡山県苫田郡鏡野町奥津川西にある中国電力奥津発電所の上部調整池です。
1933年(昭和8年)に当時の中国合同電力によって建設され、日本発送電による接収を経て戦後は中国電力が管理運用を行っています。
当調整池から奥津発電所に水圧鉄管が伸び、有効落差115メートルを利用して最大7400キロワットの発電を行っています。
調整池の堤体はいわゆるバットレスで3メートル間隔の扶壁と水平梁によるグリッドで45度に傾斜した上部水槽の外周壁体を支えています。
堤高14メートルのため河川法上のダムとはなっていませんが、バットレスの堤体が2箇所で屈曲しており、『カド』のあるバットレスとなっています。
当調整池を含めた奥津発電所の関連施設13か所がその土木技術・文化的価値を評価され国の有形文化財に登録されているほか、堰堤はAランクの近代土木遺産に選定されています。
 
奥津温泉手前で国道179号線から左の旧道に入り郵便局を左折、次の十字路を右折してひたすら山道を登ってゆくと奥津発電所調整池に到着します。
ダム下の広場入口には門扉がありますが破損したままで、特に立ち入り禁止の看板等がなかったので中を見学させていただきました。
 
バットレス堤体
3メートル間隔で扶壁が並んでいます。
堤高14メートルのため河川法上のダム基準は満たさずダム便覧にも未掲載です。
 
奥津発電所最大の特徴はバットレスの『カド』
2箇所で堤体が屈曲しています。
 
 
こちらは南側の『カド』
 
バットレスの内側。
 
登録有形文化財のプレート。
 
上部水槽の建屋。
 
奥津発電所への水圧鉄管。
有効落差115メートルを利用して最大7400キロワットの発電を行っています。
 
調整池の天端。
 
上流面は45度の傾斜がついています。
 
帰宅後中国電力に確認したところ、本来は立ち入り禁止だがゲートが破損して開放状態になっているとのこと。
開けっ放し状態だったことから今回の立ち入りは事後承諾していただけました。
当調整池だけではなく登録有形文化財に指定されている奥津発電所の一連の施設全体を水の流れに沿って見学すべきなんでしょうが、遠方ゆえなかなか時間に余裕がないのが残念なところです。
 
岡山県苫田郡鏡野町奥津川西
吉井川水系吉井川
14メートル
---メートル
51.7千㎥/51.7千㎥
中国電力(株)
1933年

川上ダム

2018-10-15 12:34:42 | 岡山県
2018年10月8日 川上ダム
 
川上ダムは岡山県美作市川上の吉井川水系真船川にある灌漑目的の用アースフィルダムです。
ダム便覧には1967年(昭和42年)に岡山県の事業で竣工と記されていますが、現地竣工記念碑では岡山県の農地開拓事業で『昭和48年完成』と記されています。
これはダムの竣工は1967年で、農地開拓事業全体の竣工が1973年(昭和48年)という解釈でいいのかと思います。
なおダム便覧では河川は吉井川水系川上川になっていますがこれは誤りで、正しくは吉井川水系真船川です。
具体的なダム管理者を確認することはできませんでした。
 
美作市川上の国道429号線から真船川に沿って市道を北に進むと川上ダムに到着します。
写真では分かりづらいですが、下流面の下部3分の1程度は表面に石が葺かれています。
 
右岸の洪水吐導流部。
 
洪水吐導流部に沿って堤体よりも高く盛り立ててあります。
 
右岸から。
 
天端は車道になっておりさらに上流へと続いています。
 
右岸の横越流式洪水吐
一週間前に通過した台風の影響で大量の流木が引っ掛かっています。
 
完成記念碑
碑では昭和47年完成となっています。
 
総貯水容量25万1000立米。
 
上流面はコンクリートで護岸。
 
左岸の斜樋。
 
底樋は確認しませんでした。
 
1877 川上ダム(1387)
ため池コード 332151006
岡山県美作市川上
吉井川水系真船川
25.5メートル
83メートル
274千㎥/274千㎥
管理者未確認
1967年

引原ダム(元)

2018-10-14 03:34:37 | 兵庫県
2018年10月7日 引原ダム(元)
 
引原ダムは兵庫県宍粟市波賀町の揖保川水系引原川上流部にある兵庫県県土整備部が管理する重力式コンクリートダムです。
建設省(現国交省)の補助を受けて建設された補助多目的ダムで、引原川および揖保川の洪水調節、安定した河川流量の維持と既得取水権への用水補給、姫路市・太子町への工業用水の供給、関西電力原発電所での最大5000キロワットのダム水路式発電を目的としています。
1939年(昭和14年)に姫路で広畑製鉄所が操業を開始し、安定した工業用水確保を目的として揖保川河水統制事業が着手され引原ダム建設が開始されました。
しかし戦況悪化により事業は中断、戦後、建設省の補助を受けた揖保川総合開発事業として再開され、1957年(昭和32年)に引原ダムが竣工しました。
引原ダムは兵庫県営の多目的ダム第1号となっています。
 
一方揖保川流域では平成以降も3度の大規模な出水があり、引原ダムは2度の異常洪水時防災操作を余儀なくされその洪水調節能力の増強が課題となっていました。
これを受け新たに『引原ダム再生事業』が採択され2029年(令和11年)竣工をめどに、洪水調節能力強化を目的としたダム再開発事業が着手されました。
具体的には堤体の2メートル嵩上げと死水容量の予備放流容量への転用による洪水調節容量の増大(565万立米⇒805万立米)、放流設備の新設と既存放流設備の改造などとなっています。
 
ダム一帯は国定公園に指定され豊かな自然が残るほか、1993年(平成5年)建設省より「地域に開かれたダム」に指定されたことを契機に積極的な湖面利用が進められ、現在では近畿地方有数のカヌーのメッカとなっています。
 
引原ダムは国道29号線沿いにありアプローチは簡単です。
ダムサイトから徒歩でダム下に降りることができます。
非常用洪水吐として真っ赤なラジアルゲート2門、常用洪水吐として導流壁わきにジェットフローゲートを装備しています。
5~11月の第4日曜にはジェットフローゲートから観光放流が行われます。
 
減勢工にある不思議な遺構、棒状のコンクリートに木が何本も填め込まれています。
これが何なのか?ずっと謎のままでしたが、帰宅後調べたところ木造橋梁の橋脚を支える底板(フーチング)であることがわかりました。
ダム建設以前、ここには木造の橋が架かっていたのです。
 
左岸から
 
以前使われていたハウエルバンガーバルブがダムサイトに展示されています。
 
上流から。
ゲート操作室は豪雪地帯のように屋根付き。
 
インクラインや艇庫はなく左岸の浮桟橋に巡視艇が係留されています。
 
天端から。
 
左岸にある関西電力原発電所への取水設備。
運用開始以降、兵庫県企業庁が運営していましたが、2010年(平成22年)に関西電力に譲渡されました。
昭和20~30年代施工の取水口ということで、大掛かりな設備になっています。
 
右岸展望台から
天端は車道で車両通行可能
ゲート部分だけ上流側に張り出したクランクになっています。
 
右岸には建設当時のプラントなど各種遺構が残されています。
写真は建設当時コンクリート運搬車が通る線路が敷かれていたバンカー線跡。
 
バッチャープラント跡
天蓋のドーム部分は母校明治大学の旧記念館を彷彿とさせます。 
 
竣工から60年以上経過する古いダムですが、各所に遊歩道が整備され見所の多いダムとなっています。
 
追記
引原ダムには洪水調節容量が設定されていますが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流によりさらなる洪水調節容量が確保されることになりました。
 
1479 引原ダム(元)(1386
兵庫県宍粟市波賀町引原
揖保川水系引原川
FNIP
66メートル
184.4メートル
21950千㎥/18400千㎥
兵庫県土木部
1957年
◎治水協定が締結されたダム
-------------
1479 引原ダム(再)
兵庫県宍粟市波賀町引原
揖保川水系引原川
FNIP
68メートル
206.5メートル
22850千㎥/20800千㎥
兵庫県土木部
2020年~

草木ダム

2018-10-14 03:27:14 | 兵庫県

2018年10月7日 草木ダム 

草木ダムは兵庫県宍粟市一宮町草木の揖保川水系草木川上流部にある関西電力の発電目的の重力式コンクリートダムです。
兵庫県西部の市川水系や揖保川水系では明治末期より姫路水力電気(株)によって電源開発が進められ、草木ダムは草木発電所とともに1913年(大正2年)に建設されました。
コンクリートダムとしては国内で6番目に古く、発電専用コンクリートダムとしては栃木県の黒部ダムに次ぎ2番目の歴史を誇っています。
ダムおよび発電所は1942年(昭和17年)の電力統制令によって関西配電に接収され、1951年(昭和26年)の電気事業再編成により関西電力が事業を継承しました。
草木発電所の取水口はダム下流500メートルほどにあり有効落差202メートルを生かして最大出力1400キロワットの水路式水力発電を行っています。
草木ダム自体に取水設備はなく、草木発電所で安定した発電が行えるよう草木川の河川流量の平準化を目的としたダムです。
 
ダムはコンクリート製の全面越流式ですが、堤体左右両岸が練石積みとなっており、かつては越流部も石張りだったと推察されます。
減勢工の下流に副ダムがあります。
 
ダム下流500メートルほどに草木発電所への取水堰があり、ダム自体に取水設備はありません。
草木ダムは安定した発電を行うための水量調節が目的です。
 
副ダム。
 
右岸の練石積み
この部分は竣工当時のものと思われます。
 
天端は立ち禁。
堤体はわずかにカーブしています。
 
上流面。
 
総貯水容量24万8000立米。
 
ダムの下流500メートルほどに発電所への取水堰があります。また発電所の落差200メートルを超える水圧鉄管もなかなかの迫力のようですが、いずれも予習不足のため見学しませんでした。
機会があれば・・・と言いたいところですが、一帯のダムはほとんど訪問してしまったのでなかなかその機会はなさそうです。
 
(追記)
草木ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。
 
1466 草木ダム (1385)
兵庫県宍粟市一宮町草木
揖保川水系草木川
24.8メートル
86.4メートル
248千㎥/248千㎥
関西電力(株)
1913年
◎治水協定が締結されたダム

幌別ダム

2018-10-04 02:40:29 | 北海道
2018年9月24日 幌別ダム 
 
幌別ダムは北海道登別市の二級河川胆振幌別川の河口から2.5キロ地点にある北海道企業局が管理する工業用水目的のアースフィルダムです。
戦前から鉄鋼業が栄えた室蘭では高度成長期に入り重工業が一段と集積し、自然水による用水確保が困難となっていました。
1961年(昭和36年)に北海道企業局は通産省(現経産省)の補助を受けた工業用水目的のダム建設事業に着手、1967年(昭和42年)に幌別ダムが竣工しました。
幌別ダムでは日量11万5000立米の工業用水を延長25キロの室蘭工業用水道を通じで日本製鉄室蘭製鉄所や日本製鋼室蘭製作所など11事業所に供給しています。
 
ダム直下を道道327号線が走っておりダム下流面を一望できます。
第一余水吐
2門のローラーゲートを装備しています。
 
ゲートをズームアップ。
 
こちらは第二余水吐の吐口
室蘭地区工業用水道施設一覧によると自由越流型トンネル式となっています。
 
堤体
基部は石積みの擁壁になっており、堤高は21.75メートル。
 
ダム下にある記念碑
盛土がありぱっと見古墳のよう。
 
堤頂長は366メートルにも及び24ミリのレンズではすべてを写し込めません。
 
右岸ダムサイトに管理事務所があり平日のみ職員駐在となっています。
駐在中は天端やダム湖が見れるようですが、今回はあいにく祝日の訪問でゲートが閉じられていました。
 
0074 幌別ダム(1384)
北海道登別市片倉町
胆振幌別川水系胆振幌別川

22.5メートル
366メートル
9974千㎥/8080千㎥
北海道企業局
1967年

相沼内ダム

2018-10-03 18:26:00 | 北海道

2018年9月24日 相沼内ダム

相沼内(あいぬまない)ダムは北海道二海郡八雲町熊石泉岱の相沼内川上流部にある北海道電力が管理する発電目的の重力式コンクリートダムです。
明治以降道南の中心として発展した函館では大正時代に入り函館水電を中心に発電事業が展開され、同社は発電のほか路面電車、バス事業をにも事業展開しました。
相沼内ダムはもともと個人が自家用として建設したものを函館水電が買収して再開発を試みますが、貯水池からの漏水が激しくダムは未完のまま1930年(昭和5年)に使用許可が下りました。
1942年(昭和17年)の電力統制令により日本発送電に接収されたのち、1951年(昭和26年)の電気事業再編政令により北海道電力がダムと発電所を継承しています。
相沼内ダムで取水された水は水圧鉄管で相沼内ダムへ送水され認可出力2000キロワット、常時出力300キロワットでダム水路式発電を行っています。
 
相沼内ダム最大の特徴は階段状の下流面です。不規則に積み上げられた積み木細工のような堤体は、再開発事業の中断という経緯を知らなければ不可思議以外の何物でもありません。
戦前の貴重なダムであり、その特異な形状を評価してBランクの近代土木遺産に選定されています。
 
ダムへの道はダートの荒れた林道です。
きつい登りを進むと水圧鉄管が現れます。
 
足元を見下ろすと発電所に続く水圧鉄管が遥か下方に続いています。
 
 
水圧鉄管を過ぎるとようやく相沼内ダムに到着します。
 
ダムへの道は門扉で閉ざされており、ダム直下に架かる橋から見学するのみ。
 
ダムとしては異形とも言える階段状の下流面
 
テオティワカンのアステカのピラミッドか、それとも不規則に積み上げられたレゴ作品か?
いずれにしてもこんなダムは初めてです。
 
 
アングルを変えて
 
 
再開発事業ではもっと堤高を高くする予定でしたが、貯水池からの漏水が激しいためこの高さでダムの建設を中止したようです。
意図して階段状にしたのではなく、結果としてこうなったというのが実情のようです。
 
0086 相沼内ダム (1383)
北海道二海郡八雲町熊石泉岱
相沼内川水系相沼内川
25.3メートル
90.9メートル
758千㎥/739千㎥
北海道電力
1930年

鯎川ダム

2018-10-03 17:40:06 | 北海道
2018年9月24日 鯎川ダム
 
鯎川ダムは北海道檜山郡江差町鯎川の厚沢部川水系鯎川源流部にある灌漑目的のアースフィルダムです。
ダム便覧では1986年(昭和61年)に北海道の事業で竣工と記されていますが、それ以外の詳細は不明です。
管理は江差土地改良区が行っています。
なおダム便覧では堤高21.1メートル、北海道のため池データベースでは13メートルと数字に大きな開きがあります。
ダム直下からの堤高ならデータベースの13メートルが妥当に思えます。ただ下流は盛土が施されているようにも見えますので果たしてどこが基礎地盤になるのか?
仮にデータベースが正しいとすれば鯎川ダムはダムの要件を満たさないことになります。
 
江差町鯎川小字船越で道道460号線を東に折れ、鯎川沿いを進むと正面に鯎川ダムが現れます。
下流面はきれいに刈り払われ大切に管理されていることが分かります。
 
左岸の洪水吐導流部。
コンクリートの梁が渡されています。
 
ダム下の底樋樋門。
 
底樋の先の分水ゲート。
 
確かにこの高さは20メートルあるとは思えません。
ただし写真右手三段目は盛り土されているようにも見えます。
基礎地盤がどこになるのか?
 
左岸の横越流式洪水吐。
 
天端。
 
総貯水容量は30万8000立米。
 
上流面はコンクリートで護岸。
 
右岸の斜樋。
 
3387 鯎川ダム(1382)
ため池コード
北海道檜山郡江差町鯎川
厚沢部川水系鯎川
21.1メートル(ため池データベース13メートル
114メートル
308千㎥/306千㎥
江差土地改良区
1986年