PCが8ビット時代、マイクロソフトのdisk-basicが幅を利かせていた。しかし後半、OSとしてCP/M(デジタルリサーチ社)がほぼ業界標準となった。来るべき16ビット時代も引き続きCM/M86が標準になるだろうと誰しも思っていた。事実、三菱電機の16ビット機multi-16はCM/M86を標準OSとしていた。このときまだIBMのPCは発売されていなかった。
一般に、開発サイドでは、以前に作成したソフトの再利用がどれだけ出来るかを常に意識している。
確かに、IBMというコンピュータの巨人が採用したとなれば、俄然注目される。もともと、16ビット用にIBM社内でOSを既に開発していたが、あえて社外のマイクロソフト社製のMS-DOSを採用したか。
ここに、一つの解答を示す。
資産の継続性といった面で、CM/MからCM/M86へのソフトウェア互換性とMS-DOSへのソフトウェア互換性を比較した場合、なんとMS-DOSへの互換性のほうが遥かに高かったのである。具体的にいえば、システムのサービス・ルーチンを呼ぶ、システム・コールを調べると、MS-DOSのほうが、CM/Mのシステムコールをほぼ100%踏襲していたのだ。開発者としては、より変更が少なく済む、MS-DOSに魅力を感じた。
互換性を重視したマイクロソフトの作戦がちだった。
マイクロソフトもそのへんは良くリサーチしていた。また、マイクロソフトも独自に開発するには時間の関係で無理と判断し、別会社(シアトルコンピュータプロダクツ社)開発のDOSを5万ドルで購入し、IBMのPC用に急ピッチで改変したOSそれば、後にPC-DOSと呼ばれるようになった、MS-DOSなのだ。
そのため、三菱もMS-DOSをmulti-16用にMS-DOSを移植することになった。他メーカーも然りで、キャノンもAS-100用に初めCP/M86、後にMS-DOSを発売している。
IBMがMS-DOSを採用したことで、世界中のコンピュータメーカーはこぞって、MS-DOSを採用した。
先に述べたように、互換性はCP/M86より高かったことが、開発サイドからも歓迎された。
なお、MS-DOSを開発したティム・パターソンはマイクロソフトに就職し、後にその功績により100万ドルを特別に支給されたという。
MS-DOSが普及したことにより、ソフトウェアの互換性の前に、データーの互換性が取れるようになったことはユーザーにとって好ましいことであった。ソフトウェア互換性はさらに、WINDOWSの登場を待たねばならなかった。
MS-DOSの特徴は、データ管理を階層ディレクトリー構造で行えたこと、および全ての入出力機器をファイルとして扱えたことである。つまり、新しいデバイスが増えたとき、そのデバイスファイルを管理するソフトを書けば、ほぼ大抵の機器を接続できることだ。
この思想は、UNIXからきているもので、事実リダイレクト機能は標準で備えていた。
UNIXとの違いは、シングルユーザー、シングル・タスクであったことである。
追伸:真偽のほどは定かでないが、IBMがCP/M86の採用を打診のため、デジタルリサーチ社を訪問したとき、社長のケン・キッダールが飛行機のライセンス取得のため不在だったことから、CP/M86の採用を控えたという話が、まことしやかに流れた。