小島教育研究所

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TRONプロジェクトの残したもの。

2013-06-20 | コンピュータよもやま話

 東京大学大学院の坂村健教授がリーダーを務めていたTRONプロジェクトは終了した。純国産のOS、CPUの開発を目指し、国内メーカーの大半が、賛同してプロジェクトに参加した。文部科学省(当時の文部省)が小中高へのコンピュータ導入に際してCECという組織を作った。そこで、教育用コンピュータの満たすべき要件、仕様が議論された。朝日新聞はじめ多くの報道機関による「教育用コンピュータはTRONで決まり。」といったタイトルが紙面を踊った。1986年のこと。それに先立ち、坂村氏は個人的なプロジェクトとしてTRONを提唱した。多くの企業の賛同を得てTRON協会が結成された。先のCEC(セック)が発表したマシン仕様は、B-TRONマシンといわれるものであった。試作機を使用したおな感想は、よくここまで頑張って、ソフトを書き上げ、システムとしてまとめあげたものだと、驚嘆するものだった。開発コンセプトは、「現場の要望を最大限に吸い上げ、そのために、MS-DOSベースの既存ソフ(主としてNECの98シリーズ対応ソフト)トを互換ボックス内で作動させる。」ことであった。同じ時期マイクロオフとは、MS-WINDOWSを98用に移植している最中であった。こちらも互換ボックスを持ち既存ソフトを作動させることを可能としていた。同一ソフトをそれぞれの互換ボックスで作動させてみると明らかにB-TRONマシンのほうが、互換性が高いというものだった。これで、現場の要望が満たされる。教育現場でのCECマシン(B-TRONマシン)の導入は必定か思われた瞬間、日米貿易摩擦について、アメリカの通商担当のカーラ・ヒルズ女子が来日。スーパー301条により、大きな圧力が日本国内のメーカーにかかることとなった。正確には、日本企業の自主規制だったのかもしれないが、多くの企業は実質TRONプロジェクトと距離を置くようになった。

 ソフト部門:アスキー、パーソナルメディア、ナショナル(現在のパナソニック

 ハード部門:CPUの開発担当富士通、日立。(32ビット Gマイクロシリーズ開発製造)

ナショナルのノート型パソコンにTRON-OSを乗せて作ったのが1-Bノート、デスクトップを2Bとしてパーソナルメディアから発売。

ナショナルはB-TRON OSの開発を担当した、開発部隊は約300人、プログラム総ステップ120万行。約1年半をかけて開発した。自社で

開発OSを開発することは資金、マンパワーともに多大の経費を必要とする。利にさといナショナルがよく担当したと思いませんか、そこには、創業者の松下幸之助と坂村健しとの個人的な接触があったという。TRONプロジェクトへの協力依頼、OS開発依頼に対し、二つ返事でOKを出したという。幸之助氏の「世の中の発展のために必要なら、やりましょう。」精神が生きた瞬間だ。

そこで、改めて、「TRONプロジェクトは何を残したのだろうか。」

スマートフォン以前の日本の携帯電話の基本ソフトはTRONプロジェクトから生まれたi-tronです。その役目を終え、携帯電話は急速にスマートフォンに移行しつつあります。

このi-tronは素性が良くて、トヨタ自動車のエンジン制御システムの100パーセントを担っています。

実身ー仮身モデルを実現しているシステムはまだTRON以外にはないが、アップルのソフト担当者が特に興味を持っている、この実身ー仮身モデル。いづれ実装されることも考えられます。

 


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