小島教育研究所

教育関連ブログです。数学を筆頭に学問全般に渡る有用な情報を提供致します。
東海生、名高生、半高生に最も読まれています。

オープン・コース・ウェア(OCW)が教育の新たな地平を拓く。多様な学びを実現するOCWの今後について。

2013-06-26 | 学習一般

 みなさんは、OCWってご存知ですか。日本も含めて、世界の主要大学、大学院などの講義をインターネットで視聴できるようになりました。(ここ10年くらいでしょうか。)海外では、何といってもMITが全学部、学科の主要科目を網羅しています。科目によっては、ビデオ教材、印刷教材(講義ノート、演習問題、課題問題、試験問題、その他の解説プリント)まで用意されています。私は主として数理科学関係を視聴しています。勿論講義は全て英語ですが、何せ数学は数式がものをいい、板書の内容がとても分かりやすい。一方、日本でも、東大、京大、名大などが授業を公開しています。中でも慶應義塾大学のOCWは質的にもきわめて高く、良心的な講義が多い。(多少の身びいきはお許しください。)そうした中で必見なのが、各大学の定年退官される諸先生方の最終講義です。長年の研究生活で得られた優れた知見を知ることができます。また京都大学の山中教授による高校生向けの講演会なども聞き応えがあります。東京大学大学院数理科学科のビデオライブラリーでは、海外の著名数学者の講義が視聴できます。

学びの過程が飛躍的に、広くかつ深くなりました。是非皆さんも、一度OCWを視聴してみてください。特に高校生諸君の進路決定にとても役立つと思います。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東海中学第23回サタデープログラム 6月29日実施。「いつやるか、今でしょ。」の林修先生、講座番号3番等

2013-06-25 | 告知です。

東区筒井の東海中学高校で、恒例の「サタデープログラム」が実施されます。

講座番号32番、41番、44番の折り紙講座は中止だそうです。(有名な川崎折の川崎敏和先生の御都合による中止です。)

6月29日(土):第一部9:30~11:00 第2部11:50~13:20 第3部14:00~15:30

なお、林先生の講座には入場整理券が当日、朝8:30から体育館3階アリーナにて配布予定です。(入場者、一人一枚 1800名分)

期末試験の準備が万全な方はぜひ参加を。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サザン・オールスターズ5年ぶりの復活。デビュー35周年の今年。ツアー・ライブを全国で実施:復帰挨拶

2013-06-25 | 音楽の楽しみ

 いまや中年のアイドルの「サザン・オールスターズ」待望の復活です。ボーカルの桑田佳祐氏の手術など、活動が危ぶまれていただけに、今回の再活動はファンとしてはとても有難い。桑田君も、姉の死から受けたダメージより、漸く癒えたのだろうか。いづれにしろ、復活はめでたいことです。みなさん、サザンの応援、よろしく!!(何故だか、矢沢永吉の口調になっている!?)

復帰のご挨拶(原文のまま) 

 サザンの活動再開をここに御報告申し上げます。5年間お待たせして、本当に申し訳ありませんでした。また皆さんには、勝手ながらビッグサプライズをと思い、この数か月事実を黙していたことを心よりお詫び申し上げます。そして活動休止中も、メンバーひとりひとりに温かい御声援を頂き、本当にありがとうございました。デビュー以来35年もの間、こうしてやってこられたことは全て皆さんのお蔭です。これからもどうぞ宜しくお願い致します。

 再会を祝してオッパイ!……じゃなくてカンパイ!

 平成25年6月吉日 桑田佳祐(サザンオールスターズ)


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京大学、秋入学断念。4学期制への移行を予定する。社会の受け入れが容易ではない秋入学。その対策は?

2013-06-25 | 高等教育機関

 東京大学では、昨年より秋入学を検討してきましたが、社会的情勢からその実現は現段階では困難と判断し、見送ることとしました。「やはり」という結果に終わりました。秋入学実現には、社会の会計年度との「同期」が不可欠なのです。今でこそ、日本では4月入学が当たり前になっていますが、学制がしかれた明治初期からしばらく、入学は秋であったのです。明治政府が模範とした欧州各国が秋入学であったことが主たる要因でした。

しかし、国全体の会計年度は4月始まりなので、いつしか学校も会計年度を4月始まりに合わせるようになったのです。

秋入学を断念した東大ですが、留学生の便宜を図って、1年を4学期制に改めることを発表しました。これは期の半ばでの留学生の受け入れもスムーズにできますし、東大生が海外に留学する場合も、メリットが多くあります。近年、東大生の海外留学が激減していることを憂えているのは、東大の中枢部の教授達ではないでしょうか。大学院(修士課程、博士課程)を海外で体験することは、とても貴重なことです。武者就業は若いうちから始めることが重要。

海外の大学院などの高等教育機関で研鑽を積むことは、当事者のメリットばかりか、有為な人材の教育、育成の観点からも、日本にとって、とても大切なことです。

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

世の中、矢継ぎ早に変化します。参院選の前哨戦である都議会選は自民党の圧勝。沈む民主党が浮き彫りに。

2013-06-24 | 数学問題解説

表題のとおり、自民党、公明党の圧勝。民主党の退潮と、維新の会の伸び悩みが象徴的であった。

このままの結果が参院選挙でも踏襲されそうです。「アベノミックス」は本当に日本の経済を立て直せるのか。その正念場はこれからです。冷静にことの推移に着目しよう。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

TRONプロジェクトの残したもの。

2013-06-20 | コンピュータよもやま話

 東京大学大学院の坂村健教授がリーダーを務めていたTRONプロジェクトは終了した。純国産のOS、CPUの開発を目指し、国内メーカーの大半が、賛同してプロジェクトに参加した。文部科学省(当時の文部省)が小中高へのコンピュータ導入に際してCECという組織を作った。そこで、教育用コンピュータの満たすべき要件、仕様が議論された。朝日新聞はじめ多くの報道機関による「教育用コンピュータはTRONで決まり。」といったタイトルが紙面を踊った。1986年のこと。それに先立ち、坂村氏は個人的なプロジェクトとしてTRONを提唱した。多くの企業の賛同を得てTRON協会が結成された。先のCEC(セック)が発表したマシン仕様は、B-TRONマシンといわれるものであった。試作機を使用したおな感想は、よくここまで頑張って、ソフトを書き上げ、システムとしてまとめあげたものだと、驚嘆するものだった。開発コンセプトは、「現場の要望を最大限に吸い上げ、そのために、MS-DOSベースの既存ソフ(主としてNECの98シリーズ対応ソフト)トを互換ボックス内で作動させる。」ことであった。同じ時期マイクロオフとは、MS-WINDOWSを98用に移植している最中であった。こちらも互換ボックスを持ち既存ソフトを作動させることを可能としていた。同一ソフトをそれぞれの互換ボックスで作動させてみると明らかにB-TRONマシンのほうが、互換性が高いというものだった。これで、現場の要望が満たされる。教育現場でのCECマシン(B-TRONマシン)の導入は必定か思われた瞬間、日米貿易摩擦について、アメリカの通商担当のカーラ・ヒルズ女子が来日。スーパー301条により、大きな圧力が日本国内のメーカーにかかることとなった。正確には、日本企業の自主規制だったのかもしれないが、多くの企業は実質TRONプロジェクトと距離を置くようになった。

 ソフト部門:アスキー、パーソナルメディア、ナショナル(現在のパナソニック

 ハード部門:CPUの開発担当富士通、日立。(32ビット Gマイクロシリーズ開発製造)

ナショナルのノート型パソコンにTRON-OSを乗せて作ったのが1-Bノート、デスクトップを2Bとしてパーソナルメディアから発売。

ナショナルはB-TRON OSの開発を担当した、開発部隊は約300人、プログラム総ステップ120万行。約1年半をかけて開発した。自社で

開発OSを開発することは資金、マンパワーともに多大の経費を必要とする。利にさといナショナルがよく担当したと思いませんか、そこには、創業者の松下幸之助と坂村健しとの個人的な接触があったという。TRONプロジェクトへの協力依頼、OS開発依頼に対し、二つ返事でOKを出したという。幸之助氏の「世の中の発展のために必要なら、やりましょう。」精神が生きた瞬間だ。

そこで、改めて、「TRONプロジェクトは何を残したのだろうか。」

スマートフォン以前の日本の携帯電話の基本ソフトはTRONプロジェクトから生まれたi-tronです。その役目を終え、携帯電話は急速にスマートフォンに移行しつつあります。

このi-tronは素性が良くて、トヨタ自動車のエンジン制御システムの100パーセントを担っています。

実身ー仮身モデルを実現しているシステムはまだTRON以外にはないが、アップルのソフト担当者が特に興味を持っている、この実身ー仮身モデル。いづれ実装されることも考えられます。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『じゃあ、いつ勉強するの?』『今でしょ。」(今年の流行語大賞の最右翼はこれ?)源流を訪ねる。

2013-06-19 | 日記

 今年の流行語大賞をとりそうな勢いの、言葉で、大半の方がご存知でしょう。言わずと知れた、東進衛星予備校の現代文講師、林修先生の名文句です。 名古屋市東区出身の林先生は、東海中学高校から、東大文一へ進学。卒業後銀行勤務の後、東進予備校の講師に。初めは、数学担当だったそうです。(TBS情熱大陸より)この言葉の背景を探求してみました。その源流はⅠ世紀まで遡ります。丁度100年前の1913年に旧制の東海中学に校長として赴任された椎尾辮匡先生の詠まれた短歌に行き着きます。

 ときはいま、ところあしもと、そのことに、うちこむいのち、とわのみいのち

                              椎尾 辮匡 (シイオ  ベンキョウ)

 時は今、所足元、そのことに、打ち込む命、永遠(とわ)の御命(みいのち)

私流に解釈すると、以下の通りです。

「何事も先延ばしにせず、今というこの時を大切にしなさい。大切なのは、今なのです。足下を省みて、何事に対しても、精一杯打ち込みましょう。それが永遠の命に繋がるのです。」

おそらく、林修先生は、この短歌を意識されていると思います。

「切迫感の無い最近の学生さんを見て、ふと口をついて出た言葉」(ご本人の弁)の背景には、Ⅰ世紀におよぶ教育実践があったのです。

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人生には色々なことがあります。大切なのは、常に誠実に真面目に取り組むことです。

2013-06-18 | 日記

 人生に大切なことはそう多くはありません。日常生活では周囲を良く見て、行動することです。いつもどこかに「改善すべき点はなか。」と自問していると、おおむね解決策が見えてきます。そうした意識のあるなしで、人生は大きく変わってきます。真面目な分だけ、良い結果が生まれます。

 日本ではあまり有名ではありませんが、アメリカ合衆国の財務長官経験者のポール・ボルカーさんなどは、清貧の人として有名です。どんなに高い地位にあり、高給取りであっても、日常の暮らしぶりが余り普段と変わりが無いところは、さすがに感心させられます。元東芝社長であり、経団連の会長も勤めた土光さんも同じく清貧の方でした。世の中には立派な方が多いですね。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

不安定な株価と、為替レートについて。

2013-06-17 | 日記

為替レートがじりじりと後戻りする一方で、株価は乱高下しています。

株価が上昇して、ピーク時の日経平均が15000円に到達した時点で、株価の資金は170兆円に膨れ上がったといいます。現在は12000円まで戻しています。機関投資家の確定売り(利益確保)もひと段落したようです。6月の株主総会もピークを越えたので、企業の持つ持ち株の資産は安くなっても平気なのでしょう。

年2パーセントのインフレ率達成などしなくても良いのではないかと思います。イギリスのような成熟した社会もまんざら悪くもありません。デフレ大いに結構。自分の身の丈にあった生活をしたいものです。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アップル社製、初代apple Ⅰ オークションでなんと6500万円で落札。現存する6台の内の1台。

2013-06-13 | コンピュータよもやま話

骨董品的な価値だろう。アップル社の発展の礎は何といっても、アップルⅡの成功だった。

設計は、スティーブン・ウォズニアックが担当した。(ジョブズではありません。念のため。)

ガレージでの製造から始まった、アップル社を企業にまで押し上げてくれたのが、このアップルⅡだった。

個人で使用できるコンピュータとして、一躍人気を博した。これもたびたび述べるが、CPUとしてモステクノロジー社の6502を採用したところにウォズニアックのセンスの良さを感じます。

売り上げ、社員数ともに急速に伸びたのも、このアップルⅡの時期だった。

ついで、ゼロックスのALTOをみて、触発されたのが、スティーブン・ジョブズだった。カラービットマップディスプレー、ウィンドウ環境、マウスを備えた、オリジナルマシンを作ろう。そして多大な経費と人材を投入して出来たのが、Risaだった。魅力的なマシンに仕上がったが、いかんせん、価格が高すぎた。市場の反応もいまいちだった。「売れない製品は、企業ベースに乗らない。」のが市場原則。一旦は苦渋を飲んだが、商品コンセプトを練り直し、再挑戦で出来た商品が、かのマッキントッシュであった。(当初、Risaの失敗で、マッキントッシュの開発グループからジョブズ自身、シャットアウトされていた。しかし途中から強引に開発チームに参加し、お陰で、開発責任者がアップルを退社してしまう事態を招いた。)しかし、マッキントッシュ(愛称マック)を発売するや、アップル社の業績は急速に回復し、個人レベルばかりか、企業ベースでも、その使いやすさから、売り上げを伸ばした。好事魔多しという。経営を任せるために、ペプシコから引き抜いた、当時の社長である、ジョン・スカリーによって、スティーブン・ジョブズは、アップル社を解任されることとなった。

 私が、アップル社を訪れたのは、ごたごたが収まり、アップル社が極東戦略を練り始めた時期だったと記憶する。担当マネージャー(中国系アメリカ人女性)から、「いよいよ日本法人を立ち上げる時期だが、責任者にはどんな人物がよいか、率直なご意見を頂きたい。」とし質問された。それに対して「広く産業界に顔が利く人物が必要だ。何といっても、豊富な人材を持つ、老舗企業の従業員の中から選ばれるが良かろう。日本のリーディングカンパニーである東芝からの採用を検討されてはどうか。」と答える私。その話が直接影響したかは定かではないが、初代アップル・ジャパンの社長は当時、東芝ヨーロッパ責任者のT氏であった。これも蛇足だが、サンマイクロシステムズ社が日本法人を設立した時の初代社長も同じく東芝出身のA氏であった。

なお、マックで人気のあったソフトは、何とマイクロソフト社の、ワードとエクセルだった。(一般にはPC用として有名だが、マックが先行していた。)また、出力器の分野ではキャノンの協力が無視できなく、世界最初のレーザープリンターである「レーザーライター」はマッキントッシュ用に開発されたもので、DTP(デスクトップパブリッシング)を実現したのです。

今から2,30年前のお話でした。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする