少子化に悩む少年野球監督

少子化で部員減少に悩む少年野球チームの監督。その就任からの記録です。

おばあちゃんの思い出

2009-06-23 | 家族
少年野球コーチさんの"「夏」の思い出”を読んでいたら、
久しぶりに自分のおばあちゃんの事を思い出しちゃいました

私の母親はSKDのダンサーだったんです。
父親もダンサーで、私は全然踊れませんが、
隔世遺伝で娘はミュージカル舞台に立ったことがあります。

愚息が生まれた時に、母親が「これ、アンタの母子手帳。観る?」って
見せてくれた、私の母子手帳、父親の職業"ダンサー"って書いてありました
もうチョット、書き方なかったのか。

そんな、浮世離れした二人は直ぐに離婚。
私は、父親の顔を写真でしか見たことがありません。
母親はエキセントリックな人で、その内書く気になったら書きますが、
殆ど一緒に暮らしたことがありません。
「何で、左手で食べてんの。」
「俺、左利きなんだけど。」この会話、もう娘が幼稚園の頃の会話です

そんなワケで私は、おじいちゃんとおばあちゃんに育てられました。
別に積み木崩しになることもなく、
普通に、なんら疑問も持たず。

ただ、あの母親の母ですから、今思うと?な事も多く。

おばあちゃんは、凄い趣味人で
活け花、茶道、俳句、書道をやっていて、それぞれ人に教えてました。
私も活け花と茶道は一時習わされました。
殆ど覚えてないけど
家内も嫁に来たとき、やらせれて、
それがプレッシャーになっていたことがあったな。
書道も、"左利きを直す"と言って。
幼稚園に出かける前に右手で無理やり書かされました。
きっと無理やりだったから、未だに字が下手なんだ

そんなこんなで料理を覚える時間が無かったのでしょうか、
基本的に不味くは無いのですが、カレーなんか大好きでしたが、

小学校の頃、バナナチップにハマった時は、
「そんなに好きなら、おばあちゃんが作ってあげる。」と
バナナ一本を小麦粉?でまぶし、油で揚げてくれました。
フリッターの様になり、バナナチップではなかったけど、
スッゴクおいしかった。で、毎日オネダリ。
面倒くさくなった、おばあちゃんは、
バナナ一本をお皿に乗せ、電子レンジでチン。
真っ黒でドロドロのバナナ蒸しの出来上がり

高校の時、私がカツ丼にハマり、
毎週日曜の昼は近所のラーメン屋のカツ丼。
やっぱり「そんなにカツ丼が好きなら、おばあちゃんが作ってあげる」と
丼にご飯を入れ、買ってきたカツを上に乗せ、生卵をかけ、醤油をかけ、
また、電子レンジでチン
上の方は電子レンジで温まった為、卵が其れっぽく固まっていますが、
ご飯を掘ると生卵が・・・で醤油しかないのでショッパイ

不思議な料理が多かったな。

そんなおばあちゃん、最後は私が勤める病院へ。
クリスマスイブの深夜。病院から

子供達を起し、車で直行。
家内が「パトカーに気をつけて。」って言った瞬間。
後方で赤い光が・・・

間に合いませんでした。
コメント (12)
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